瀬戸の島から

2007年09月

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彼岸も過ぎたし、中秋の名月も終わったし、

開花の遅れた彼岸花も、そろそろ見頃ではと千枚田に出かけました。

取り入れの終わった田んぼの方が多いようです。


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バインダーが往復すれば刈り取りが終わる棚田の幅

刈り取られた藁束が集められています。


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さて、お目当ての曼珠沙華は・・・(?_?)

幼い子供が両手でつぼみをつくっているよう・・(*^_^*)


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遅すぎた開花に気づいたのかぐんぐん伸びて

秋空に背伸びするかのよう(^O^)。

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こちらは頭を垂れる稲など、どこ吹く風。

パカッと音を立てて花が開きそう。

彼岸花百態です。

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10月7日(日)は、この下の神社で農村歌舞伎が行われます。

その時には、花の帯が千枚田を赤く染めているかもしれません。

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真夏日が22日も続いた四国の9月。

8月よりも暑い9月を逃げ出して、友人と沢に入ってきました。

両岸が絶壁のゴルジュの谷をじゃぶじゃぶと進みます。


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現れた二段の滝を越えていきます。


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足下を白い清流が洗います。


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その上には一枚のナメ状の岩場が続きます。


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どこの庭園にも負けない光景の連続。

どこまでも歩いていたい明るい渓谷です。


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流れの中に見つけた橡の実です。

縄文人が主食にしていたとも聞いています。

下界は真夏日でしたが、渓谷は秋の訪れを感じさせてくれました

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第12話 迷路
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

『小豆島恋叙情』の中で、『迷い恋』という作品を書いたが、
もう一度違った角度から触れておきたい。
小豆島の観光事業は低迷している。
昭和四十七年頃だったと思うが、新幹線が岡山まで開通した。
そこで岡山に来たついでに小豆島にでもということで、観光客がわんさと押し寄せた。
鹿島の海岸にも、若い水着姿の男女が甲羅干しをする姿が見られたそうである。
とにかく老いも若きも小豆島へ渡ってきたのだ。
未曾有の観光ブームであったらしい。
私が五十一年に赴任したときも、まだ観光ブームは続いていた。

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 私は最初の二年間は土庄町吉ヶ浦の官舎に住んでいた。
夏には二十五センチくらいの巨大ムカデが出現する、それはすごいアパートだった。
最後の一年は双子浦の独身寮に移り住んだ。
この独身寮のすぐ前横に瀟洒なホテルがあった。
ホテル東洋荘。
それが名前である。
前にはプライベートビーチがある高価なホテルだった。
通勤で前を通るたび、転勤して小豆島観光に来たら一度泊ろう、と思っていた。

 二度目の赴任を命じられとき、まず私が行ったところが二つある。
一つが吉ヶ浦のアパート、もう一つが双子浦の独身寮。
吉ヶ浦のアパートはまだ存在していた。
これは奇蹟だった。
私が酒を飲んであれほど破壊の限りを尽くしたのに、まだあるのだ。
まさにダイハード。
双子浦の独身寮は老朽化したので、昨年の三月をもって閉めてしまった。
うん残念。また思い出の場所が消えた。
しかし、もう一つショックなことがあった。

ホテル東洋荘。
昔の瀟洒な姿はなかった。
いつ営業を止めたのか、まさに幽霊屋敷となっていたのだ。
ホテル前のビーチに押し寄せる波だけが、昔と同じように憧憬を運んできては、また引き返していた。
銀波園もそうだった。
私の行く先々で、私の懐かしい思い出は潰されていった。
飲み屋も消えていた。
スナックも、焼き肉屋も。
代わりにパチンコ屋と巨大ショッピングモールがあった。

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 土庄町が『迷路の町』という触れ込みで町に遺る迷路を観光化しようと、新たな切り口で宣伝に乗り出した。
自由律俳句の奇才、尾崎放哉の俳句を染めた暖簾も店先に出ることとなった。
しかし、と私は言いたい。
観光もいいが、じっくり小豆島を考えることも大事。
気になるのは、島内に住む人たちが、自分たちの島の良さをどれくらい理解しているかということ。
慣れすぎて、ただの退屈な島。
そうなってはいまいか。
若い人は島を去っていく。
学校がないから、店がないから、仕事がないから、と。
残るのは年寄り。
年寄りはどんどん天寿を全うして物故者となる。
当然、島の人口は細っていく。
島が衰退する。
だからといって、私に秘策があるわけでもない。
まさに迷路に入ってしまった。

 海賊の攻撃から身を守るため、海から吹き付ける強風を避けるため作られた迷路の町。
もう海賊はいない。
それに建具もしっかりして、ちょっとやそっとの風にはびくともしない。
名前と先人の魂だけが残り、迷路を彷徨っているというのか。
それとも迷路の町興しも一時の思いつきで、
やっぱりな、そう言われつつ押し寄せる消費社会の荒波に飲まれて消えていくのだろうか。
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 つい先日、「瀬戸の島から」氏と近くのうどん屋へ出かけた。
迷路を通った。
う~ん、やっぱりいいね。
二人の顔にはそう書いてあった。
質屋の崩れかかった土塀。
その中に倒壊寸前の家屋。
蔦に巻かれながらも、しっかり遺っているのだ。
土塀に触れながら「瀬戸の島から」氏が、
「立派なもんや。こんなの遺さにゃ」
 それに対して私。
「日本は古いものを切り捨てて、新しいものに鞍替えした。情けない」

 実際そうである。
古いものは、価値がない。
だから新しいのに取り換える。
今の日本は、この流儀だ。
あったとしても、美観地区とか文化保存地区とかいうもっともらしい名前を付けて、特別に遺しているに過ぎない。パリ、ロンドンといった大都市でも、街の外観を損ねることを恐れ、修復には許可がいる。
個人の所有だからと、勝手に外観を変えることを許していない。
屋根にしてもしかり。みな統一を保つために、同じ色。
中は、勝手にどうぞリフォームを、だ。
そのことに対して、人々も文句はない。
おらが街を守るためなら、そういう気持があるからだ。
それはひとえに自分たちの伝統文化を理解しているからに他ならない。
誤解しないでほしい。
これはパリ、ロンドン、ローマといった大都市に限ったことではなく、
ヨーロッパならどこに行っても見受けられる、日常の風物詩なのだ。
   なくなって、しまった! 保存じゃ! これでは遅い。
 迷路の町が町興しどころか、本当に路頭に迷わないよう、一町民としてそう切に願う。
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「おい見ろよ、俺たちの町が壊されていく」
「いいじゃん、新しくなるんだったら」
「でも色も、形も、匂いも、全部変わってしまうんだぞ」
「新しくなるんだったら、それでいいじゃん。古くて、寒くって、カビ臭い町のどこがいいのよ」
「空の色だって変わるんだぞ。星の瞬きだって、温度だって。きっと人間だって変わる」
「それがどうしたというの。ピカピカの新しいのがいいじゃん。車だって新車がいいでしょう。それと同じよ」
「おい待てよ。恋だって変わるかもしれない」
 男が言った。
「変わったら変わったでいいじゃん。変わったら、次の新しい男見つけるから」
 女が本音を言った。
「所詮は、使い捨てかよ」
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 狭い路地を歩いていると、ふと昔の懐かしい風景に出逢いそうになる。
会いたい人に会えそうな気がする。
例えば土塀の角を曲がると、昔の「青い自分」が気を付けをして立っている。
好きだった彼女が日傘を持って、にっこり笑っている。
 どうしても言えなかった最後の一言。
「あなたが大好き」
 今ならきっと言える、この迷路の町でなら。
 細い路地をあなたと手をつないで歩きたい。
 何故って?
 一人で歩くには広すぎて、二人では狭すぎるもの。
 じゃあ、どうやって歩く?
 ふふふ。
「それはね、もっと顔をこっちに寄せて。そしたら耳打ちしてあげる」
 ふふふ。
「さあ、迷わないように私の手を取って。
 ううん。この際、二人で迷いましょう」
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エッセイ「想遠」(小豆島発 夢工房通信)


第11話 重ね岩
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

 
誰が言ったか重ね岩。誰が造ったか重ね岩。
とにかく人間業とは思えない。
とてつもなくでかい岩の上に、これまたとてつもなくでかい岩が載っているのだ。
おまけにその両側は直角の断崖絶壁ときている。
命知らずの男どもが何十人かかっても、岩を重ねるのは無理。
重機を用いても、果たして……。
じゃあ誰が? 何の目的で?
重ね岩がある小瀬の住人に訊けば、その由来が分かるだろうが、あえてそうしない方が夢があっていい。
夢づくりプロデューサーである私としては、あれこれ想像力に任せる方が楽しいと思うのだが。
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そもそもこの重ね岩には、語るべき思い出がある。
大学を卒業してすぐ小豆島に出稼ぎに来たことはすでに話したが、
その頃、私は野良仕事の手伝いのため、土、日曜日にはよく家に帰っていた。
フェリーから眺める小豆島の山々の美しさに、当時も今と同じように心を奪われていた。
赴任して一ヶ月くらいしてのこと、その日も朝起きると、
朝ご飯も食べずに崩れかけの官舎を飛び出し、フェリーに駆け込んだ。
フェリーは土庄港を出発し、小瀬の沖に差しかかった。

 と、そのとき、ムムムムッ、何じゃあれは? 
見上げる視線の先に異様なものがある。それも山のてっぺんに。
私はキャビンを飛び出し、デッキに走っていった。
隣で居眠りこいてたお婆ちゃんが、挙動不審の私に吃驚仰天して目を丸くしていた。
私は腰の抜けた婆さんをよそに、その異様なものに釘付けになっていた。
見れば見るほど凄い。
それはまさに巨大なアポロチョコだった。
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坂出と高松の境に大越半島というのがある。
五色台の歴史民族資料館からまっすぐ北に降りてきた先に、
大槌、小槌というまさにアポロチョコそっくりの島が並んでいる。
トウガンとボトウという兄弟の竜が、島になったという言い伝えがある小島である。
まさかそいつが物見遊山のついでに、ここまで足を伸してきたというんじゃないだろうな。
フェリーの右手を見た。
しかし大槌と小槌は三角帽子を海に突き出し、暢気に日向ぼっこを始めようとしていた。
「もう一度言うが、ありゃいったいなんじゃ」
以来、私の中にアポロチョコが住み着いた。
いつかその正体を確かめてやるぞ。
しかし、三年間勤務したのに、そのアポロチョコの正体を突き止めることなく転勤になってしまった。
 慚愧の念に堪えない。(何を大袈裟な!)
官舎を引き払ってフェリーに乗り込んだときも、
「俺はきっと帰ってくるぞ。そのときお前の正体を暴いてやる」と、
デッキの手すりに凭れて独りごちていた。
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しかしそれは負け惜しみだったかもしれない。
というのも、転勤先で仕事に忙殺される自分の姿が見えていたからである。
日々の生活に追われ、やがてアポロチョコのことも、(いやアポロチョコだけでなく小豆島のことも)
やがて忘れてしまうに違いなかった。
それが人生とはいえ、なにか忸怩たるものを拭い去ることができないままの離島となった。
「人間はときとして思わぬ力を発揮することがある。
 そういうことが昔、実際に起こったんだ。
 その証拠が重ね岩だ」
私はそう言って自分を納得させていた。
そうすることが去りゆく小豆島へのせめてもの思い入れの証であり、
また、たとえ一時であれ摩訶不思議な気分にさせてくれた重ね岩への感謝の気持ちと思えたからである。
二十分ほどすると、さすがのアポロチョコもその威容を失い、ただの小さな黒い点になってしまった。
山のてっぺんにチョコんと載っかった、そのどことなく憶病そうな姿に、
私は訳もなく切なくなって、涙が溢れてしまった。
「さようなら、愛しのアポロチョコ。それと、素敵な思い出をいっぱいくれた小豆島。有り難う」
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真っ青な空と真っ青な海。
貼り合わせてあった色紙を、はがして二枚にしたようだ。
フェリーが白い航跡を残しながら通り過ぎていく。
その後ろ姿に引かれるように群れ飛ぶカモメ。
美幸はまたしても臆病になっていた。
素直に卓也の胸に飛び込むことができない。
「おんぶ」
「えっ?」
脈絡のない言葉に、美幸は卓也の方を見た。
泣きべそをかいたような卓也の横顔があった。
卓也は
「あれだよ」
と、重ね岩を指さした。
両側がすっぱり切り落とされた山の稜線。
見るからに身がすくむ。
巨大な岩が、「通せんぼう」の形で居座っている。
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「何故こんなところに、こんなに大きな岩が?」誰もがそう訊いたに違いない。
「君を幸せにできるという保証はない」
 卓也は美幸を正面から見つめ、改まったように言った。
 先ほど見せた物怖じした表情はすでに消えていた。むしろ自信にあふれた卓也がいた。
「わたし、一度だめだったでしょう。だからどうしても怖くなるの」
「過去の亡霊は捨てろ。俺は、あそこの重ね岩みたいに、君を背負って歩きたい。
 苦楽を共にするなら、美幸、君としたい」
 卓也は美幸を胸に引き寄せた。
 往路と復路のフェリーが沖合正面で重なった。
 美幸は卓也の心臓の鼓動を聞いた。
 ドク、ドク、ドク。
 太く、強く打っていた。
 その鼓動の強さに、美幸は心安らぐものを感じ、未来を重ねてみた。
「二人一緒なら、何だってできそうな気がする」
 美幸は頬を胸にうずめたまま、重ね岩を見た。
〈そうね。どっちがおんぶされる方か分からないけど……〉 

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小豆島には甲乙つけがたい風景が随所にある。
重ね岩もその一つで、そこから眺める景色も掛け値なしに最高。
すぐ下が海。
のどかにフェリーとか漁船が行き交う様に、瀬戸の内海の優しさが伝わってくる。
それに足下が断崖絶壁のため、他のどこにもないスリルを味わうことができる。
高所恐怖症の私なんぞは、手摺りもなにもない山の稜線沿いを歩いたときには、
もう意識が遠のいてしまったほどだ。
しかしその冒険を差し引いても、余りあるものがある。
胸の奥まできれいさっぱり掃除ができる。
「う~ん、気分爽快」
この一言に尽きる。
特に夕日のシーンはお薦め。
ドラえもんの頭みたいなでっかい夕日が海に沈んでいくのだ。
(私個人としては、伊木末から眺める夕日が、ちょっぴり寂寥感があって好きだけど……
 ドラえもんの頭もつい撫でたくなって捨てがたい)
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私は今年三十年振りにして、ようやく「アポロチョコの正体」を突き止めることができた。
それは紺碧の空と紺碧の海に抱かれた、でっかい「夢の卵」だった。
しかし、誰が? 何の目的で?
その答えは必要ない。
なぜなら夢の卵だ。
夢に講釈はいらない。
人間はときとして、思わぬ力を発揮することがある。
そのとき「夢の卵」は孵化する。
それで十分じゃないかね、明智君?

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海に潜りたいと思うようになり(^_^;)

配偶者とともにダイビングのCカード取得のために8月末に沖縄に。

那覇から高速船で1時間。

藍よりも蒼い海 慶良間の海です。


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ダイビングスポットに着くとアンカーを入れて船を固定。


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透明度は20㍍、船の上からも海底が見えます。

前日にプールで実技講習を受けて、この日初めて海に潜りました。(^_^;)

たくさんの魚がいました。でも・・ゆっくり見る心の余裕がありません。


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40分近いダイビングが終わると、次のポイントに移動。


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那覇からのダイバーを載せたボートがポイントにはいます。

午前中に2回、午後に1回ダイヴィング。



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それが終わるとボートは那覇へ帰ります。

船の上では、傾く太陽の光を浴びながらお昼寝です。

瀬戸の島とは、また違う海と島を経験することができました。感謝<(_ _)>

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第10話 銚子渓
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

 
パリには鳩、ロンドンにはカモメ、東京にはカラスが似合う。
これはある外国紙に載った記事である。
うん、目と耳が痛い。
最近は動物に限らず昆虫まで住みにくい世の中らしい。
野山に引っ込んでいたのでは食べていけない。
それではとばかりに、街へと向かう。
なぜなら残飯があって、食べるものに苦労しないから。
ビルの谷間を真っ黒いハシブトガラスが舞ったり、
ジュースの空き缶に蜂が群がるのはそういう訳である。

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 小豆島に銚子渓というところがある。
ここも寒霞渓同様、モミジが美しい。
だが、銚子渓といえば猿。
猿が放し飼いにされ、多くの観光客が訪れる。
ふれ込みは、『お猿の国』。
だがそう銘打っているものの、実際は猿の暮らしも楽ではないに違いない。
猿にも人間同様、階級社会が存在している。
しかし、なかには群れに属さない猿もいる。
彼らは「離猿」と呼ばれて、まさにローンウルフならぬローンモンキーとなって暮らす。
観光客から餌をもらう連中を、輪の外から冷ややかに見ている。
 俺は、飼い慣らされないぞ、とばかりに。

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「飛び猿、群れに戻らないか」
 猿丸がようやく切り出した。
 山の頂上には彼ら以外誰もいない。遠慮なく話ができる。
 屋形崎と小海の集落が、作り物みたいに海岸線に沿って並んでいる。
 海は真っ青だ。その先に岡山が見える。
「団十郎の考えじゃないだろう」
 飛び猿は猿丸の考えを見抜いていた。
「銀治郎が台頭してきやがった。
 若い連中がなびいている」
「時代の趨勢だろう。
 歳とりゃ、力で押さえはきかなくなる。
 あいつは力の支配に頼りすぎた」
 飛び猿は遠くに視線を泳がせている。
「あんたの言うとおり、もう少し知を働かすべきだった。
 でも頑固で耳を貸そうとしなかった。
 あんたが離猿になったのも、そもそもそれが原因だった」
「昔のことはよせ。済んだことだ。感傷は禁物だ」
「このままだと団十郎は、殺られる」
 
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 猿丸は懇願するような目で飛び猿を見ていた。
 しかし飛び猿の表情は変わらなかった。
 遠くを懐かしむように見ている。
「あいつを守るのは側近のお前の仕事だろう。団十郎に言ってくれ」
「何て」
「俺は離猿。でも哲学はある」
「哲学?」
「閑雲野鶴。俺はこの生き方が性に合ってる。誰に与することもない。
 あいつも群れの頭。引き際はきれいにしろ。それだけだ」
 猿丸は、分かった、と言ってその場を離れた。
 遠くで海が緩やかにうねっていた。
 汚点の一つもない天気だった。
「兄貴、済まない」
 飛び猿の目が濡れていた。

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  離猿。
ときに私もそうしてみたい、と思うことがある。
そうできればどんなにか楽だろう。
楽しくはないが、しがらみがない分精神的には楽だろう、と。
漂泊の俳人、尾崎放哉。
まさに彼がそうだった。
彷徨の果て、彼は小豆島を終の棲家として死んだ。
私は彼の心の襖を開けたことがないので、その奥に何が蠢いていたのか分からない。
彼は非凡、私は凡夫。
それでも少し憧れるところがある。

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 銚子渓に行くと、私は必ず頂上の展望台へ行く。
ときどき離猿が角張った岩にぽつんと座って、遠くの海を懐かしむように眺めているときがある。
飛び猿?
そう錯覚してしまう。
目の前に広がるパノラマは、私が選んだ小豆島三絶景の一つだ。

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職場の若い人たちに混じって小歩危でラフテング
日本一の急流激流に挑戦してきました。(^_^
両岸は切り立ったゴルジュの白や緑の壁。

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ホワイトウオーターの激流にいくつも突入。

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瀬に入る前に一生懸命に漕いで勢いをつけて、後は舵とるインストラクターにまかせ。
落差が4㍍近くある激流の波を頭からかぶります。

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ゆるやかなトロ場では、水に入ってボデイーラフテング。
川の流れの中に寝っ転がって、上を見ると青い空に白い雲

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恐怖心が薄らいで、川を楽しむ遊び心がでてきます。
こちらのほうが川を直接に感じられて、私のお気に入りになりました。

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調子に乗りすぎて、こんな目にも遭いました。
吉野川の水をタップリといただきました(-_-

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最後は、川に着きだした岩の上から飛び込み(*^_^*)

激流は、ストレスや人に言えない愚痴やいろいろな悩みを
 きれいに流し落としてくれるような気がしました。
  
写真は随行したインストラクターがカヤックから撮ったものをいただきました。感謝_(_^_)_

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高松をバックに小豆島方面へ向かう白い船

小さいフェリーのようにも見えます。


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バランスが悪くて、いつ見ても傾いたように見えます。

どんな役割を持つ船か、いつも不思議に思っていました。

みなさんは、何を運ぶ船だとおもわれますか?


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ある日、どぶち海峡に接岸しているのを発見。

あるものを陸揚げしていました。

さて、あるものとはなんでしょう?


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ヒントは船橋の下のこのイラスト(*^_^*)。

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そうです。牛の専用運搬船でした。

小豆島の隣の小豊島(おてしま)は人口12人。牛は400頭

その島から牛を「出荷」するためにの船だそうです。

ちなみに最大搭載人員は14人 最大搭載牛頭数は8頭だそうです。

またひとつ、「働く船」を見つけることができました。感謝(^_^)/~。

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第9話 渡し船

文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」
 
車を使い始めたのはつい五年ほど前のことで、それまでは自転車を使っていた。
東京とか大阪のような大都市に住んでいる人を除けば、
この話を聞くと、へえ今時変わってるね、と言われそうだ。
実はこれ私のことなんです。でも誤解しないでください。
私は変人でもそこら辺りを徘徊している変態性高気圧でもありません。
自転車に乗って小学生や幼稚園児を狙ったり、
物干し竿に吊してある女性物の下着を物色したりする趣味は持ち合わせていない。

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 要は、現代文明に飼い慣らされたくなかっただけのこと。
そう言えばちょっぴり格好良く聞こえるが、本当は自分のトレーニングのためだった。
自転車はいいトレーニングになる。
毎日、通勤に使っていた。
だから脚力には自信があった。

 ところがつい五年ほど前、仕事が変わって、どうしても車を運転しなければならなくなった。
自転車では仕事ができない。
すると給料がもらえなくなる。
えらいこっちゃ、死活問題じゃ。
で、仕方なく車に乗り始めたという次第。
自転車でのトレーニングができないので、脚力を落とさないため毎朝四時半から走ることに。
そんなおまけまで付いた。

 車に乗り始めて、やっぱり駄目だと思ったのは、
確かに早くて便利だが、周囲のものを楽しむことができなくなったということ。
自転車だといつでも道ばたに止めて、四季の草花を観賞できた。
本当は歩くのが一番いい。
時間はかかるが、それだけいろんなものに気が付く。
特に私は花が好きなので、自転車はまさにトレーニングも兼ねた最適の乗り物だった。
私たちは、スピードが増すほど逆に細かなことに気が付かなくなったり、
周囲のことに配慮ができなくなっているのではないか。

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 土庄町小江(おえ)に沖之島という小さな島がある。
県道からほんの目と鼻の先。
泳いでも行ける距離だ。
小さな島だが、それでも現在民家が十数戸ある。
ではその人たちはどうしているのか?
 渡し船。
 今時渡し船?
そこに住んでいる人たちにしてみれば、至極不便かもしれないが、無責任な言い方だが、
私のように島外から来ている一時的な住民にしてみれば、へえ渡し船、すごいじゃん、となる。

 情緒。
日本人は情緒を大事にした。
 つまりは「空白の部分に存在する価値」を重んじたということ。
大都市東京にして、江戸情緒なんていう言葉もあるくらいだ。

   秋来ぬと
  目にはさやかに見えねども
  風の音にぞ驚かれぬる
        古今集169番 藤原 敏行

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 こんな一句が頭に昇ってきた。
すべて言わなくても相手の心が分かる。
以心伝心(以心妊娠ではありませんぞ)とか、一でもって十を知るというやつ。
それに行間を読む。
こういったものも、一種の情緒にどこか通じるもの。


 沖之島への渡しは往復百円。
この百円にあなたはどれほどの価値を見出すか。
安い? それとも高い? 
その判断は、一度乗ってからにしましょうか。
いくばくかの情緒がありますから。

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「いくらだ」
 男は不機嫌に言った。
顔はコートの襟に隠れてよく見えなかった。
「往復百円」
 船頭が言った。
「どうして、往復と決めつける」
「経験でさ」
「ふん」
 男は鼻を鳴らした。
 最終便。男は女を連れて船に乗った。
 年老いた船頭は、若い者には道理はきかねえ、そんな顔をして黙って艪を漕いだ。
 北風がぴゅーと泣いた。

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 冬、小江の港では、「げた」という舌びらめを一夜干しにする風景が見られる。
寒風に揺らぐげた。
どうしたことか、私の中ではこのげた干しの風景と沖之島への渡しが絡み付いて仕方ない。
これも情緒というやつだろうか。
空白の部分に私は何を見ているのだろう。

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8月の終わりに沖縄にダイビングのCカード取得に行ってきました。

帰りの飛行機の窓から見えた光景です。

本島南部の具志頭村あたりを北上していきます。

藍色の海、青い空 白い雲 。


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見えてきたのは、沖縄のすぐ北の与論島。

珊瑚礁のリーフのコバルト色の色合いが目に鮮やかに映ります。


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人口6000人 一番高いところが98㍍。。

赤茶けた土は、刈り取りの終わったサトウキビ畑なのでしょうか


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続いて見えてきたのが沖永良部島。

この日は西南諸島の島々が点々と屋久島まで姿を見せてくれました。


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地図と見比べながら飽かず眺めました。

小豆島と同じ島であって、まったく違う環境にある島々。

どんな人が住み、そんな家に暮らし、どんな生活をしているのか・・。

「旅愁」「旅心」「好奇心」を刺激された窓からの光景でした。

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第8話 意石の館
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

小豆島に西寒霞渓といって、もう一つ寒霞渓があるのを知らなかった。
私としては随分勉強不足だった、と今さらながら反省している。
西寒霞渓は、小豆島町丸山から六キロほど上がった段山の頂上にある。
急なカーブを何度も曲がって、ようやくそこに至る。
バブルの時代、ご多分に漏れず小豆島にも土地ブームが席巻したと見える。
西寒霞渓には別荘の分譲地が、未だ売れずに放置されている。
所々に当時は洒落た別荘だったのに、と思わせるロッジがあるが、それも一時代の終焉を見て、荒れるに任せている。

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 どう説明していいのか分からないので、その分譲地の東、それとも西? の奥まったところに、
『石の館』と呼ばれるレストラン?(?マークばかりで、申し訳ありません)がある(のを偶然発見した)。
翌日、私は「瀬戸の島から」氏に世紀の大発見をしたと言わんばかりにそのことをまくし立てると、
石の館ならみんな知ってますよ、といとも簡単に言われてしまった。
 じゃあ、知らなかったのはこの私だけ?
 そうですよ。
 悔しい!
 こうなったら負け惜しみついでに言っちゃいますよ。
 みなさん、この『石の館』はなかなかのもんですよ、ホント。
ストーンアートとしてよりむしろ立地条件が凄い。


『自然愛好家倶楽部』会長の私が気に入ったのは、テラスから眺める風景。
これは小豆島の三絶景の一つと言って過言でない。
信じてください。誇張表現でも何でもないんですから。
ここはやっぱり「瀬戸の島から」氏の写真の出番か。
ちょっぴりアールヌーボー風の手すり。
それに薄いブルーのタイルを敷き詰めた半円形のテラス。
真下に内海湾、三都半島、岬の分教場を擁する田浦が広がっている。
フェリーの出入りまではっきりと見える。
私が行った日は快晴で、遠くに鳴門大橋まで見えていた。

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 う~ん、ロマンチック。
彼女若しくは彼(いや、何も彼、彼女に限ったことではありませぞ。隣のおばさまでもおじさまでも、飼い犬の銀治郎でも、二軒隣の乳牛のギュー君でも構わない)とデートするなら、ここ。
でも、夜は少し怖いか。

 ところで、一般的に言って欧米は石の文化、アジアは木の文化となる。
私はよく海外に出る。元々モンゴル系の血を引いているのか、生まれつき放浪癖がある。
そのため年に何度かどうしても異国を彷徨いたくなる。
そういう衝動に駆られたら、迷わず行く。
それが私流の生き方。

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 フランスのパリから汽車で四十分ほど郊外に行くと、シャルトルという小さな町がある。
〈シャルトルの青〉として全世界に知られるものがここにある。
大聖堂を飾るステンドグラス。
その青の美しさは〈シャルトルのブルー〉と呼ばれ、世界遺産にもなっている。
 一歩大聖堂の中に足を踏み入れると、そこは異次元。
静謐が支配し、あらゆるものが聖なるもの。
そう感じさせずにはおかない圧倒的な力(=神の力?)が存在している。
思わず天を仰いでしまう。
石を寸分の狂いもなく積み上げ、百メートルを超す大聖堂を造るに至った。
クーポラがもう一つの小宇宙を築いている。

 視線を側面に移すと、ステンドグラスが太陽の光を分光して、
その光の束が大理石の敷石に色の影を落としている。
よく見ると、光の束は万華鏡の中のような彩りの光の粒子からなり、
そっと差し出せば手のひらですくい取れそうだ。
その聖なる光の中に身を置き、神に祈りを捧げた数多の人々。
人間の叡智の凄さと、人間を究極の域まで駆り立てる宗教の持つ凄さに感服したに違いない。
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「手を出して」
 と言って、冬子は私に近づいてきた。
「どうしたの?」
 私が訊くと、
「これよ」
 と、目を輝かせた。
 冬子は光の束に両手を差し出し、ちょうど小さなカップを作っていた。
「ほら見て。光の粒子が手の中に溢れているでしょう」
 冬子の両手はステンドグラスの色に染まっていた。
「注いであげる」
 冬子はそう言った。
 私は黙って両手を差し出した。
 冬子はゆっくりと光の粒子を私の手の中に注ぎ込んだ。
「温かいでしょう」
 私は、黙って頷いた。
 この聖なる光の中で、冬子を折れるほど抱きしめてみたかった。

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 小豆島には、島四国と呼ばれる小豆島霊場八十八カ所がある。
見事な木造建築のものから簡易な庵に至るまで種々様々であるが、つい最近、枯れた雰囲気の庵の良さが少しなりとも分かってきた。
重々しくて圧倒的な力で迫ってくる石の建造物も凄いが、肌と同じ温もりを持つ木のそれも捨てがたい。
気持ちが落ち着くのだ。心が癒されるのだ。
見たことはないが、仏様を身近に感じる。

 海が見える小豆島霊場八十八カ所。
素敵なところなんです。
毎日コピー機で焼いたような生活を送っている人がいたら、是非のんびり小豆島を回って欲しい。
きっと日本の良さが分かりますよ。
小豆島に住む人々の心根の優しさが身にしみますよ。
まあ、一度おいでま~せ。
(話が逸れて申し訳ない。西寒霞渓。もう一度言いますが、すばらしいですよ、ホント)

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