瀬戸の島から

2008年05月

第18話 牛小屋
鮠沢 満 作
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大きく愛くるしい目。
これを見ていると、本当に牛が好きなる。
と同時に切なさがこみ上げてくる。
記憶の端っこに引っ掛かって外れないもの。牛。
そのべべんこ(仔牛)が来たのは、
確か秋が深まりときどき北風が寒風の尾っぽを振り始めた頃だった。
前にいた牛が売られ、その後釜に買ってきたものだ。
私はモウと名前を付けた。

 百姓の家はどこでも一頭の牛を飼っていた。
牛が耕耘機の代用として、力仕事をさせられていた。
理由はそれだけではない。
農家にとって牛は大切な換金動物だった。
犬や猫のようにペットフードなどを食べさせなくても、
藁を切って米ぬかをまぶしてやれば、牛はいやがらずに食べる。
ときどきそこら辺りに生えている青草を与え、栄養のバランスを取る。
それで十分だった。
牛の糞も肥料として使える。
いろんな意味で牛は百姓にとって有益だった。
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 冬を越し、春の匂いが鼻先をくすぐる頃になると、
モウの身体も随分と大きくなっていた。
あと二ヶ月もすれば田植えが始まるが、そのときには一人前の働きを期待されるだろう。
その大事な牛に餌をやるのが、私に与えられた役割分担だった。
そこで毎日、早く大きくなれと、祈るような気持ちで世話をしていた。
毎日顔を合わせていると心が通う。
犬と同じで牛も利口な動物で、こちらの気持ちを十分に汲み取るようになる。
いつしか仲間意識が生まれた。
 小学生だった私は、よくモウと会話をしていた。
私がその日あったことを細かく説明すると、
大きな目をこちらに向けて真剣に聞いてくれる。
ときどき頭をぶるぶるっとゆすって、こちらに近づけてくる。
「君の話はよく分かったよ」という合図だ。
こんなとき「ありがとう」と言って、頭を撫でてやる。
すると、とても嬉しそうな表情を作るのだ。
そんな優しい心根のモウが好きだった。
けれども牛小屋で飼われてろくすっぽ外にも出られないモウが哀れでもあった。
所詮は人間と対等ではなかった。
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 その頃、よく牛の運命について考えていたように思う。
もし自分が牛に生まれていたらどうなっていただろうか、などと。
中でも私を苦しめたのは、モウが大きくなって大人の牛になるときのことだった。
そうなると牛市に連れて行かれてしまう。
それは私にとってはとても悲しいことだった。
いつそのときが来るのか、びくびくしながら暮らしていた。

 季節が一度巡った。
夏が過ぎ、空が一段と澄んで高くなり、あちこちで祭り囃子が聞こえるようになった。
収穫も終わり、農家ではひとときの休みに入る。
モウはすっかり大人の牛になっていた。
筋肉が首、そして肩口から背中にかけて盛り上がっていた。
足も太い。
モウの成長に呼応したように、私たちの関係もこの一年でぐっと深くなっていた。
私は相変わらずモウに何でも話していた。
モウはそんな私の話を身をすり寄せてきて、
大きな目をじっとこちらに向けたまま聞いてくれるのだった。
涙を含んだような潤んだ目が柔らかな光を帯び、
その中心に私の顔が映ると、私はモウと一緒に生きていると感じた。
雲一つない大空のように澄んだ瞳に掬われると、
どんなに苛立っていても気持ちが和らぐのだった。
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 でも私が恐れていたことが起こった。
その日は朝から暖気が漂い、昼間にはぽかぽか陽気の小春日和となった。
その陽気も手伝って、私は放課後友達に誘われるままサッカーに興じ、普段より遅く家に帰った。
もうすっかり暗くなっていた。
カバンを置いて真っ先にモウのところに行った。
電気のスイッチを入れた。裸電球がぱっとオレンジ色の光を放射した。
その瞬間、私は言葉を失った。
いない。
そこにいるはずのモウがいないのだ。
数日前、父が有線電話で誰かと話をしていた。
その会話の一部が思い出された。
「じゃあ、木曜日の午前中にでも引き取りにきてください」
父の声は低く、声を落としているようだった。
考えるに、あれはモウの引き渡しの話をしていたのだ。
私はすべてを悟った。
まず、モウに申し訳ないことをしてしまったという罪悪感が登ってきた。
私は唇を噛みしめ嗚咽した。涙が止まらなかった。
その晩、蒲団にくるまって、モウ、モウ、モウと心の中で叫んでいた。
いくら呼んでも心に開いた穴を埋めることはできなかった。
トラックに乗せられ牛市に連れて行かれるモウ。
何度も後ろを振り返り助けを求めるモウ。
悲しみに満ちたモウの目が私をじっと見ていた。
明け方、やっと睡魔が襲ってきて眠りに落ちた。
私は愛犬のミックが死んだ日と、モウが姿を消した日を忘れることができない。
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 思い出はいっぱいある。
でも大人になる過程で、燃えるものと燃えないもの、
捨てるものと捨てないものに分別して整理してきた。
捨てないでおいた思い出も、時間の経過と共にその色合いを失っていった。
けれどもこの二つの思いでは、
真夏の夜空に咲いた打ち上げ花火のような鮮烈な印象を今も残している。
ミック。モウ。
楽しかったよ。
素晴らしいひとときをありがとう。
そしてお休み。
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  人間は他者の命と引き替えに生きている。

第17話 卓袱台
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卓袱台の引き出しの中にそれはあった。
表に農協の稲穂のマークが付いた通帳。
この通帳に頭を殴られた思い出がある。
「大学に行きたいんやけどな」
兄貴のくぐもった声がした。
「無理や。うちは百姓や。そんな金はない」
にべもなく親父が言い切った。
以後、兄が大学のことを口にしたことはない。
封印したのだ。
兄が高校三年のときのことである。
兄は何を思ったのか、大型運転免許を取ると、或る運送会社でダンプの運転手となった。
腐っていたのかもしれない。
親父への反抗だったのかもしれない。
昨今とは違い、大学に行きたくても行けない時代があった。

 それから五年後。
私が高校三年のときである。
進路PTAがあった。
父も母も野良仕事が忙しく懇談には出席できなかった。
でも進路に関わる大事なことだからと、必ず保護者が来るように言われていた。
そこで代わりに兄が来た。
 家に帰ってきた兄が、
「お前、教師になりたいんか」
 と訊いてきた。
「まあなれたらの話やけどな」
 私は曖昧に答えておいた。

 卓袱台の事件の日、父も母も朝早くからキャベツの収穫に出ていた。
兄も仕事に出たらしく姿が見えなかった。
私は一人卓袱台に向かい、皿に盛られた菜っ葉の茹でものをおかずに、
冷えた朝ご飯を掻き込んだ。
百姓の家では、家族が揃って食卓を囲むことはほとんどない。
かといって、今のように家庭崩壊がどうしたこうしたというような性質のものではない。
百姓は労多くして稼ぎの少ない仕事だ。
夜が明けきらない内から仕事が始まり、日がどっぷり暮れて終わるというのもざらである。
「さあ、みんなで食事ですよ」なんて悠長な状況は考えられない。
それに特に農繁期になると、ご飯だっていつも用意ができているというわけにはいかない。
だからご飯がなかったら、自分で米をとぎ炊く。
おかずがなかったら、畑から菜っ葉でも何でも取ってきて自分で作る。
用意ができたら一人で食べる。そして洗い物をする。
これが百姓の家では当たり前のことであった。
こうやって生活の中で子供たちは自立することを学んだ。
家族の団欒がないから子供が心配だと、今の親たちのように不安になることもない。
親が苦労している姿を見ているから、子供は悪さに走らない。
適度な貧しさが人を成長させる。
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 腹にご飯を詰め込み食欲を満たしたとき、目の端に何かが引っ掛かった。
親父がいつも箸を入れている引き出しだ。
少し開いていた。
そっと引っ張り出してみると、農協の通帳があった。
悪いと思ったが通帳を開けてみた。
そして驚いた。
我が家には貯金は一円もなかった。
いや、それどころか借金だらけだったのだ。
私は複雑な気持ちでページをめくった。
その前の年も、その前の年もそうだった。
黒い数字よりも赤い数字の方が多かった。
頭を殴られたのはこのときだった。
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 父も母も家計のことは私たち子どもには一切言わなかった。
余計な心配をさせたくなかったのだろう。
子を持つ身となった今にして分かる。
それが親としての責任だ、と。
それと親としての矜持。
黙々と野良仕事に明け暮れる姿が浮かんだ。
朝から晩まで土色に染まった百姓生活。
それでいて暮らしは楽にならず強いられた借金生活。
 やりきれなかった。
 後日、兄貴にそのことを言うと、
「俺も見た。なんも知らんのに、俺は大学に行きたい言うて……
 金がないと言われたとき、はっきり言って少々親父に腹が立った。
 でもその貯金通帳を見たとき、自分が情けなかった。
 親の心子知らず。でもお前は大学に行け。教師になりたいんだろう」
「まあ」
 またしても曖昧に答えた。
五年前の父と兄の会話が頭をよぎっていた。
兄に悪いなあ、という気持ちがあった。
「分かった。俺が話してやる」
何を思ったのか兄は背中をくるっと返すと、部屋から出て行った。
翌朝、出がけに親父がぽつり独り言みたいに言った。
「教師になりたいんか。大学に行ってもいいぞ」
兄が父を説得してくれたのだ。
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それから三十年して父の一言にまたしても頭を殴られることとなった。
或る市民病院の一室。
夜。外は雨。
ベッドに横たわる父。
苦汁が滲み出た土色の顔。
重い息遣い。
 父は腎臓を患っていた。
その日も透析があって、ぐったりしていた。
明らかに命の炎が小さくなりかかっていた。
それに痴呆も出始め、言葉がときどき支離滅裂になるときがあった。
私は父親に付き添って、そばの丸椅子に座って本を読んでいた。
肺から絞り出される苦しそうな寝息。
ときどき痰がつまるのか咳をする。
それが病室の壁に反響する。
苦しそうな父の姿を見たくなかった。
こちらまで苦しくなるからだ。
努めて本に集中しようとした。
しかし思考は錯綜し、中断した。
父が寝返りを打った。
体位を変えたことで少し楽になったのか、息遣いも普通になり咳も出なくなった。
静寂が訪れると、病室独特の臭いが急に強くなった。
鼻をついてくる尿と消毒液、それと饐えた体臭が絡み合うような臭い。
それは生と死がせめぎ合う臭いでもあった。
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「千年の雨が降る」
突然父の声がした。
喉の奥から絞り出すような声だった。
「え?」
 私は父が眠っているものとばかり思っていた。
彼は窓の外をじっと見ていた。
目は焦点が溶けたみたいにぼーとしており、像を結んでいるようには思えなかったが、
それでも闇の先に何かの輪郭を捉えているようだった。
乾いた唇を舌先でしきりに舐めている。
腎臓を患っているので、水分を控えるよう医者から言われていた。
前日、みかんをくれとせがんだ。
だが、心を鬼にして与えなかった。
心が痛んだ。
その残滓がまだ心の隅に残っていた。
父は窓の外に落ちるものをはっきり感覚で捉えているらしく、
ひび割れた紫色の唇を少し引きつらせると、
「千年の雨。
 遠い遠い空の果てから千年の時を経て落ちてくる。
 そして雪のように降り積もっていく。
 音もなく。
 雨が止むとき終わりが来る」
「親父、しっかりせんとあかんで」
 私は少し声を大きくして言った。
それに対し、父はその場に私がいることに初めて気が付いたらしく、
「ヤスヒロか?」
 と、顔を向けずに問うてきた。
「そう俺や」
 父はその返答に納得したように頭をこくりと一つ振ると、
 突然脈絡の飛んだことを口走った。
「お前は教師になったか」
「ああ」
「それはよかった。だがサトルに悪いことをした。それだけが悔いや」
「悪いこと?」
 私は訊き返した。
「サトルは大学に行きたかった。
 それなのに行かせてやらなかった。
 今考えたらアホなことした。
 親として、それだけが悔いや」
 きっぱりと言った。
虚ろな視線に不釣り合いな明確さがあった。
まるで何十年も収納していた言葉をやっと言ったという感じであった。
父がこちらに寝返った。よく見ると父の目に涙が浮かんでいた。
「サトルに悪いことした。それだけが悔いや」
 父は同じことを何度も繰り返した。
きっと心に大きな杭となって突き刺さっていたに違いない。
「兄貴はそんなことちっとも気にしとらん」
「そう思うか」
「ああ。そんなちっぽけな兄貴じゃない」
 父はこの言葉に安堵したようだ。
表情が穏やかになり、静かに目を閉じた。
「千年の雨が降る」
 やがて寝息が聞こえてきた。
千年の雨が落ちるような静かな眠りだった。
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 この会話を交わして二日後、千年の雨に抱かれながら父は他界した。
夜の闇を塗りつぶすように降る雨。
父は小糠雨の先に何を見ていたのだろうか。
葬儀のとき、兄と相談した上で最後の別れに『青い山脈』を流してもらった。
私たち兄弟のささやかな、そして最後のプレゼントとして。
父を涙で送り出したくはなかった。
土に染められ、黙々と百姓という人生を生き抜いた男に、涙は似合わなかった。
 卓袱台。
今も実家の納屋にある。
兄はその上に載っていた親父専用の陶器の灰皿を今も使っている。
遠目から見ると親父が煙草を吹かしている、と錯覚するときがある。
 子どもができたとき、我が家はテーブルから卓袱台に変えた。
子どもたちはその意味を知らない。
いつか話すときが来るだろう。
そのとき千年の雨の意味も解けるかも知れない。
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第16話 筋力トレーニング
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筋力トレーニングに没頭しだしたのは、格闘技を始めて少ししてからである。
格闘技を始めたきっかけは、たいていの男ならそうであるように、
ただ強くなりたいという単純な理由だった。
買い物の途中で見かけた看板を思い出し、空手道場の門を叩いた。
空手といえどもまがりなりにも「道」という漢字が当てられている。
が、出てきたのは風貌からしてとても人の前で道を説くような人物ではなかった。
一言で「やくざ」。
でも話をしていると知性が感じられ、その長くて細い目と尖った鼻梁、
それと薄い唇がなんとも仏様のような顔立ちで、
まあ仏様なら道を説くのが道理で、人を陥穽に突き落とすこともなかろうと、
腹を決めて入門することにした。
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 だが、私が想像していた空手とは大きく異なっていた。
スポーツとしての空手をあくまできらい、
古来沖縄で綿々と受け継がれてきた正統の武道空手だった。
つまり、限りなく実践に近い空手である。
突く蹴るは勿論のこと、組み打ち、締め、関節も許されていた。
いわゆる総合格闘技である。
してみれば、強靱な精神はもとより鍛えた身体が要求されることは言うまでもない。
痩せの非力では、たとえ技が切れても勝負にはならない。
 そこで筋力アップ。
幸い、群れることが元来あまり好きではなかった私には、
孤独と背中合わせのウェートトレーニングは性に合っていた。
中にはパートナーを見つけなければ長続きしない人がいるが、
私に言わせれば、そういった人間はそもそもやる気がないのだ、と。
途中で必ず棒を折る。
なぜならウェートトレーニングは、その面白さが分かるまでは苦役そのものであるから。
要するに重労働。
なんとなく暗くて、しんどい。
まさに「修行」ということばがぴったり。
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最近は美容の一環として若い人たちにも人気が出てきたが、
それでも人口から言うと、テニスとかゴルフの比ではない。
しかし自分の肉体が徐々に変わり始めると考えも変わる。
胸、腕、背筋にうっすら筋肉が乗ってくる。
体脂肪が落ちて、ウェストがキュッと細くなる。
それに今まで持ち上げることができなかった鉄の塊を持ち上げることができると、
効果が実感でき、やる気を起こす。

 だが私の場合は、筋肉アップもさることながら、
日を追うごとに精神的な強さを求めるようになった。
つまり修行。
今日はどうする? 
疲れているからやめる? 
暑い? 寒い? 腹が減った? 飲み会がある? 
じゃあやめたら? 
悪魔がいろいろと誘惑の声をかけてくる。
そこで決断が迫られる。
これも修行の一つ。
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 不思議なことに、どのスポーツでも同じだが、
アスリートというのは休むということができない。
一日でも休むと筋力が退化する。
そんな妄想に取り憑かれている人間が多い。
私もその一人である。
気が付いたら走っているか、ウェートトレーニング室にこもっている。
休まなければ……と思いながらも鉄の塊と向き合っているのである。
黒光りする器具類は黙秘権を決め込んだ犯罪人みたいに押し黙り、
こちらに冷たい視線を向けているだけ。
伝わってくるのは、冷酷そうな無関心。無言劇。
一人芝居。パントマイム。影絵。何でもいい。
こちらも彼らを単なる鉄の塊とか機械という概念でしか捉えていなかった。
道具。
それが彼らに冠した私の言葉である。
その「道具」を使って、黙々と筋肉を絞り上げ、汗をかく。
鉄の塊を宙に浮かすとき、筋肉がぴりぴりと痙攣を起こす。
そして筋肉の細い繊維が切れる。
夏の盛りの筋力トレーニングは汗だくになる。
全身の筋肉を収縮させるため、細胞から水分が絞り出されるのだ。
真冬はまた違った意味で辛い。身体がなかなか温まらず、
その上芯まで冷え切った鉄の重みが、
物理的重さに加え精神的な負荷をも筋肉に加えてくるのだ。
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 しかし変化があった。
油を流し込んだような沈黙に支配されたトレーニング室。
その中で躍動する筋肉。
それに寄り添うように透明だが実体のある何者かが介在するようになった。
毎日使っている器具が、次第に自分の肉体の一部となった瞬間である。
器具の重みが筋肉に変わっていく。
そのため筋肉の破壊に快感が生まれ、道具に秘められた沈黙に
閉じこめられることに安逸さえ覚えるようになった。
それを機に、単なる「道具」と思っていたものとの対話が始まった。
機械と無声の対話。
彼らは口を開かない。
それでも何かが伝わってきた。
特殊な連帯感というのだろうか。
それが意思伝達という形で、私の感情に迫ってきた。
彼らに話しかけていたのは、むしろこの私だった。
不思議な感覚に襲われたのは事実である。
そして最後には彼らに対する愛着さえ湧いてきたのである。
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当初は、肉体が勝れば目の前の機械に勝てる。
劣れば負ける。
優劣を決める単なるゲームさ。
そう思っていた。
だが奥は深かった。
筋肉に精神が注入される。
このときアドレナリンが全身を駆けめぐる。
身体がカッと熱くなる。
気合い。
弾ける筋肉の筋。
と同時に、自分の一部となった機械が意識を持ってくる。
「負けるな。もう一息だ」彼らがそう囁きかけてくる。
それは彼らの最大の励ましである。
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 里山に登った。
紅葉の季節も終わろうとしていた。
枯れたススキが冬の寒さをよけながら揺れている。
その足下に、壊れた電気製品が捨てられてあった。
かつては人間の便宜のために身を粉にして働いた勇者。
だが、壊れたらただのガラクタ。
「お疲れ様」の一言も言えない人間の心が淋しい。
捨てた人間もやがて終焉を迎える。
そのとき周囲の人間はどのように振る舞うのだろうか。
ガラクタがいなくなって清々した。
こうなったら生きてたことが、これまた淋しい。

 ウェートトレーニング。
私の孤独を助長し、それでいて独り悦に入ることができるもの。
決して彼ら機械を粗末に扱ったりしない。
なぜなら、彼らは嘘をつかない。
まっすぐこちらを見据え、本当のことしか語ってこないから。
捨てられた道具たちにも言い分がある。
それに耳を傾けよ。

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