瀬戸の島から

2008年07月

第22話 腹が立つこと
鮠沢 満 作
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 腹が立つこと?
 そんなもの数えたら切りがない。
 例えば、職業柄、非が自分にあるのに決してそれを認めようとしない生徒、それと親。
特に常識のない親には、腹どころか薄くなりかけた髪の毛まで立つ。
髪の話ついでに、カツラを付けて心機一転人生をバラ色にしようとしている人間に向かって、
「あら三日でロン毛になってる」と冷たく言い放つこと。
最初から払う気がないのに、食事の後にわざとらしく財布を取り出して、
「わたし払いますよ」とほざくこと。
駅裏で我が物顔で他人の自転車を無断拝借すること。
いわれなく犬の頭をこついたり、何日も猫に餌をやらないこと。
(私は猫嫌いだから、後者は許せるか)。
普段は病気の親の見舞いにすら来なかったくせして、
死んだときだけハイエナのように群がり分け前に与ろうとすること。
切符を買おうとキューイングをしているのに、
横から油揚げをさらうように割り込むこと。仕事を他人に押しつけてさぼること、等々。
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 腹が立つ人間?
 これも枚挙に暇なし。
 どこにでもつばをはくやつ。
 自分の車の吸い殻とかゴミを平気で窓から捨てるやつ。
 他人の年金でおもしろおかしく遊んだ金融庁のやつら。
 私の自転車のタイヤに千枚通しを刺したやつ。
 ついでに同僚の女性職員の自転車のサドルを盗んだやつ。
(いったいサドルをどうするつもりなんだろう? 
 まさかその人の大ファンで、毎晩あらぬ想像をしながら抱いて寝るとか? 
 これぞまさしく変態趣味)。
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まだある。
貸した金のことを覚えているくせしてとぼけ続けるやつ。
火事なのにタバコに火をつけて一服する消防署員。
「ご愁傷様」と言いながら、「香典がまたいるわい」と金勘定するやつ。
お経の途中を抜かしたくせして一人前お布施をせしめる坊主。
坊主の話のついでに、「金がないからご寄進を」と言いつつベンツを乗り回す糞坊主。
まだまだあるが、書き連ねていると本当に腹が立ってくるので、ここらで打ち止めにする。
ところでどうしてこういったことに腹が立つのでしょうか。
みなさん、考えたことありますか? 
弁論大会の原稿みたいになりましたが、問題提起だ。
問題提起したら、その答えを出す。
これが論理的文章論だそうだ。
 で、その答えは、『デリカシー』の欠如。
こうすれば他の人がどうなるか考えないから、
また、こう言えば他の人がどんな気持ちになるか考えないから。
至極簡単な答えで申し訳ない。
それに模範解答すぎて面白味もない。
でもデリカシーのない言動が、昨今我々の社会生活を蝕んでいる事実を見逃してはならない。
そうおっさんは思う。
違いますか? 
これは問題提起ではない。
賛同を求めているのだ。
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*
 初対面なのにまったく緊張感がない。
それもそのはず、目の前の女はあまりにも飾りがなく平凡そのものだったからだ。
幸政は知恵の顔を正面から見ていた。
鼻は高くなく低くなく、こじんまりと顔の中央に収まっている。
目も切れ長ではなく酔わせるような潤いもない。
ただ光は強く、澄んで凛としたところはある。
ほっぺにはまだ少女のような赤みを残しており、それに日焼けしていた。
唇も紫外線の餌食になったのか、ややかさついた感があり、
若い女特有の艶やかさがない。
たが、これも好意的に解釈すれば、しっかりと結ばれた唇からは意志の強さだけは窺い知れる。
額に無造作に垂らした髪が、どこかふけた印象を与えていた。
化粧でもすれば、多少なりとも見栄えもするのだろうが、そういうものにも無頓着らしい。
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「これってお見合いなんでしょう」
幸政の値踏みするような視線を跳ね返すように訊いてきた。
「そうらしいね」
 幸政もつい不躾な言い方になった。
「断ってもいいわよ」
「断るって……」
「見合いなら受けるか断るかはっきりした方が話が早いでしょう」
 いきなり結論に直行とは、味も素っ気もない。
正直、幸政は言われなくても会ったときから断ろうと思っていた。
ちょっとは期待もなくはなかったが、
チョコレートパフェを遠慮なくつつく野暮ったい田舎女を目の前にして、
余計その気持ちが強くなった。
「しばらく付き合ってから結論を出すというやり方もあるらしいけどね」
 一応は灰色の選択肢もあることを臭わせたが、
それはあくまで考える余地さえ残さずに
一発で断ったときの女の気持ちを考えての社交辞令であった。
むしろ知恵の方から、断ってもいいわよ、
と言ってくれたことに内心ほっとしていた。
「わたし、慣れてるから大丈夫」
「慣れてる? じゃあこれまで何度もお見合いを?」
「ううん。今回がはじめて」
「じゃあ何が慣れてると言うんだね」
 幸政は訝った。
「百姓女ってこんなもん。さっきあなた値踏みしてたけど、
私って見てのとおり値踏みのしようがない田舎女」
「はあ」
顔に似合わず感だけは鋭いようだ。
それでも幸政はすでに仕草を読まれていたことを少しだけ恥ずかしく思った。
紳士的でなかった、と。
「だから作ったって仕方ないでしょう。
あなたには悪いとは思ったけど、素のわたしで十分」
畳みかけるように言葉が飛んでくる。
飾らない物言いに少し好奇心と好感がわいた。
 視線を真っ直ぐに戻し女を改めて見ると、強がりとも思える言葉とは裏腹に、
やはり落胆に近い顔色を隠せないでいる。
目の前の田舎娘が少し可哀想になった。
「別に哀れんでくれなくてもいいのよ」
やはりこちらの心を読んでいる。
「別にそんな……」
「目を見れば分かるわ」
 そもそも今回のことはと言えば、父親の古い友人に「くっつけ業」をやってるお節介屋がいて、
どうしても、と言われて否応なく受けた次第だ。
はじめから気乗りはしなかった。
それに幸政ももう少し独身生活をエンジョイしたかったというのが本音。
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ところが一年半後、こともあろうに彼らは同じ屋根の下で暮らしていた。
それに知恵のお腹はスイカを抱いたように丸々としていた。
 決め手は?
 それは別れ際の幸政と知恵のこんなやりとりだった。
「お別れね」
「まあそうなるんだろうね」
「あなたの期待に添えない女でご免なさい。
言ったでしょう。わたしって素のままが楽なの」
「それも自分らしくていいんじゃないかな。
最近は自己表現ができないやつが増えたからね。
俺も含めてのことだけど」
「あたしんとこリンゴ作ってるでしょう。
リンゴって店頭に並んでいるまん丸で真っ赤なリンゴより、
見てくれは悪くても太陽をいっぱい吸収し
自然の風を纏ったリンゴの方が甘くておいしいの。
でもね。残念だけど見てくれの悪いリンゴは店頭に並ぶことはないの。
つまりは商品価値がないということ。
多くの人は外見ばかりに目を奪われて中味を見ようとしない。
まあ世の中ってそんなもんでしょうけどね」
「はあ」
「かく言うわたしも見てくれの悪いリンゴと似たり寄ったりだけどね」
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「ちょっと待った。
はっきり言っておくけど、君はちっとも見てくれが悪いなんてことはない。
むしろ健康的で溌剌とした美しさがある」
 知恵の誠実さについ引き込まれ言った言葉だったが、まんざら嘘でもなかった。
 知恵は目を細め幸政をぐっと見た。
「ありがとう。今の言葉素直な気持ちで受け取っておくわ。
初めてだわ。そんなこと言われたの」
知恵は右手を差し出し、
「さようなら。お元気で」
 と言った。
 幸政は差し出された手をためらいなく握り返すと、
「君って素敵だよ。さようなら」
 と、ちょっぴり感傷的になっていた。
 一週間後、断るはずだったのにどういうわけか、幸政は再び知恵と会っていた。
そして幸政は言葉を失っていた。
目の前にいるのは知恵だったが、知恵ではなかった。
薄化粧した知恵はまさに溌剌と健康的で、青空を焦がす太陽のように輝いていた。
「化粧しちゃった。どう? 少しは見てくれよくなった」
「綺麗だ」
 幸夫は心底そう思った。
そして無意識に言葉を継いでいた。
「店頭に並ばなくってもいいから、俺も太陽をいっぱい吸った、
自然の風を纏った、甘くて健康的なリンゴになれるかな」
「勿論。その方が人生肩肘張らず楽しくて、それに味わい深いわよ、きっと」
「俺、決めたよ」
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 デリカシー。
その根本は、相手の心を読むということ。
これってとっても大事なこと。
相手へのいたわりが滲み出るから。
すなわち自分の言動に責任を持つことに通じる。
ホットで、丸くて、柔らかいもの。
そしてほんわか包んでくれるもの。
それがデリカシー。

第21話 奇蹟
鮠沢 満 作
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 私の家族は四人。
父、母、兄、そして私。
父はすでに鬼籍に転じている。
母はもうすぐ八十に手が届く。
その母に奇蹟が起こった。
話はこうだ。
母は野菜畑にいた。
生来の貧乏性か、じっとしていられない。
毎日のように野菜畑に行っては、身体を動かしている。
毎日行くのだから、さして仕事があるわけでない。
とにかく身体を動かしていれば安心するのだろう。
そういえば長女が歩き始めた頃、毎朝五時くらいなるとムクッと立ち上がり、
何十分もベビーベッドの手すりにつかまって立っていたことを思い出す。
妻によると、子供というのはよちよち歩きしだすと、
そうやって自分が歩けるかどうか確かめているのだそうだ。
母もこれと同じで、畑に出て自分が動けるかどうか確かめているのだろうか。
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 その母がキャベツ畑の草取りか何かをやっていたときである。
母の頭蓋骨の内側をナイフで抉るような鋭い痛みが走った。
母は普段から頭痛持ちで、よく頭が痛いとこぼしていた。
だが、その日の痛みは普段の比ではない。
右目の奥がキリキリ切り刻まれていく。
母は我慢できずにその場にしゃがみ込み、兄の名を呼んだ。
幸いその日は土曜日で、兄は休み。
彼は折角の休みとばかりに、釣りに出掛けようとしていた。
 そのときどこからともなく自分の名前を呼ぶような声が……。
 はてな……。
 空耳?
 まあいいか。魚が早くおいで、と呼んだに違いない。
 兄は軽トラに釣り道具を積み込んで、さあ出発だ、
 とばかりに運転席に乗り込もうとした。
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 そのとき野菜畑では母の意識はほとんど切れかかっていた。
しぼんでゆく意識。白い部分がどんどん黒く塗りつぶされていく。
もう目の前が真っ黒で思考停止寸前。
それでも本能か、小さくなった思考の断片の、それまた隅っこから息子の名を呼んだ。
 今度ははっきりと聞こえた。
 兄は訝しく思いながらも声のした方へ行った。
 するとどうだろう。
母が地面に寝そべって身体をくねらせキャベツと戯れているではないか。
いくら陽気だとはいっても、モンシロチョウになるにはちと歳を取りすぎてはいまいか。
「おかはん、何やってんだ」
半ば呆れ気味に訊いた。
だが母は頭を両手で抱え、のたうちながらただウーウーと狼少年よろしく唸るだけ。
モンシロチョウからオオカミ少年への変異か。
兄が駆け寄ると、その表情は苦悶に歪んでいた。
そこではじめてただごとではないと悟り、すぐさま軽トラを走らせ病院へ連れて行った。
まあ奇蹟というのは、一連の伏線があって起きるもの、と私は解釈している。
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つまりその日、たまたま兄が仕事が休みだったこと。
その日たまたま市民病院に脳外科専門の当直医がいたこと。
偶然ICUにベッドが一つ空いていたこと。
頭蓋骨を一部取り外し出血部位を治療するという通常の処置に踏み切らなかったこと。
さらに言えば、待合室で冷たいようだが兄と私が父に対して、母の回復は絶望に近いから、
まさかのときのために覚悟を決めておいた方が落胆も少なくていいよ、
となんとも親不孝な忠告を発したことも、
もしかするとそのことで神様が父のことを哀れんで、
禍を福に転じた要因だったと考えられなくもない。
要するに、こういった諸々のことがいわばジグソウパズルのそれぞれのピースであって、
それらがうまく組み合わさって奇蹟は起こる。
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 クモ膜下出血。
これが母がモンシロチョウになり損ねた原因だった。
誇張に聞こえる節もあろうが、
手当に要するエネルギーたるや巨大なダムを建設するの匹敵した。
規模こそ違えやることはまさに大がかりな工事そのものだった。
母の年齢を考え、通常の外科的処置をせず、
大腿部の血管から細いカニュラを挿入して脳までゆき、
管の先に取り付けた特殊カメラを頼りに出血部をクリッピングして止血するという、
まさに劇画かSFの世界でしかお目にかかれそうにない処置に打って出ることになった。
結果、手術に要した時間は、なんと八時間。
八時間の手術。
少し想像ができない。
というのも私の一日の労働時間に匹敵するからだ。
それに私のように手抜き足抜きで、適当にやっているのではない。
相手は患者。
一瞬たりとも気を抜くことができない。
まさに生死の天秤棒を担いでいると言える。
そう考えると、八時間の手術というのは、患者にしても医者にしても一大事業である。
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 だが待てよ、と邪推の多い私は考えてしまう。
医者の中にもいろんなのがいる。
誠実一途の医者。
そうかと思えば、鉄筋を減らして手抜き工事をするどこかの
マンション建設の請負業者みたいな医者。
後者のお世話になったらそれこそ悲劇だ。
例えば母を例に取ると、患者は七十を越えた老女。
随分長く生きてきたんだし、今さら息を吹き返しても余命幾ばくもない。
だったら一応は手術の真似事だけはしておいて、
途中で「ああ面倒臭い。や~めた」と手抜きしたって素人には分からないだろう。
まあこういうことが起こってもおかしくはない。
しかし母は運が良かった。
彼女の主治医は医者としての使命を全うした。
こういう医者に母が委ねられたのも奇蹟を起こす連鎖反応に違いない。
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 ようやく手術が終わり、医者からできる限りのことはやらせて頂きました、
と丁寧に術後の報告を受けたときには、すごい医者もいるもんだと、
今更ながら医者という職業を見直した次第である。
それに引き替え私の出臍をいじくった医者はどうだ。
手術に失敗したにも拘わらず、慰謝料(医者料と書くべきか)を払うどころか、
ごまんと治療費をせしめたのである。
お陰で私の臍は醜く黒ずみ、カラス貝が夏の太陽に干されたみたいに、
パックリ大口を開けているのだ。夏なんか恥ずかしくて海水浴にもいけやしない。
中学のとき、きっちり臍が隠れるどでかい海水パンツをはいて行ったところ、
友達に「なんでお前の海水パンツそんなにでかいんだ? 
臍が見えるやつが今のはやりなんだ」と冷やかされた。
おのれ藪医者め! 
今からでも遅くないから、カニュラでも内視鏡でも何でも使って俺の腐った臍を治してみろ!
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 話のはぐれついでに、母が手術を受けた翌日、
近所のおばさんが同じクモ膜下出血で入院してきた。
(クモ膜下出血って、伝染するのかなあ)。
だが、その日はあいにくと脳外科の先生はおらず、
医科大学に応援を求めることになった。
しかし、搬送するのに時間がかかったことも原因の一つか、
残念ながら手術の効なく三日後に亡くなった。
 それに対し母はといえば……。
この……が何を意味するか。
実は、母は奇蹟的とも思える復活劇を演じたのである。
最初、医者から手術が成功しても言語障害とか手足の麻痺が残りますよ、
だから家族の人は気長にリハビリなんかに付き合うように、
と前置きされていたのである。
ほぼ諦めていた私たちにしてみれば、どんな形であれ生きててくれさえすればそれで十分だった。
 ところが、とここでフォントを変えて太字にする。
 奇蹟。
そうまさに奇蹟が起きたのである。
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母は言語障害もなければ手足の麻痺もなかった。
それどころか手術前よりもはるかに言語・頭脳ともに明瞭、
且つ手足は車検後の車みたいに快調に動き出したのである。
完全なるオーバホール。
「やったね! これだったらときどきICUに入るのも悪くないね」
「拾った命。これからは二度目の人生を謳歌できるというもんだ」
「人生を二度楽しめる人間なんてそうざらにはいない」
「じゃあ今晩は祝杯といくか」
 私たち兄弟はそう減らず口をたたいて、
手術当日父に向かって、
「まさかのときのために覚悟を決めておいた方が落胆も少なくていいよ」、
と言った言葉を茶化す形となってしまった。
だが結果がすべて。まさに私たち家族には最高のエンディングとなったのである。
 それから二年足らずで元気印の父が他界した。
 う~ん、人生は予測不能。
 そして波瀾万丈。
 今日もどこかで奇蹟が起こっている。そう思いませんか。
 納得? 
 でしょう。
 ではこの話はひとまずここで。
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