瀬戸の島から

2016年06月

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阿波池田の親三好大橋の上流からから出港。
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三好大橋下の落ち込みをなんとか通り抜けて、鉄橋と高速の橋をくぐる。
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吉野川鉄橋を土讃線の普通列車が通過していった。

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昼間の長いザラ瀬抜けると最後に落ち込みがあり、宮下の台地にぶつかり大きく流れを変える。そして正面に見えてくるのが美濃田大橋。
この橋が1960年竣工。上流にあった三好大橋より1年若く「56歳」
ここから長い瀞場が始まる。
プールがなかった1970年頃までは、この付近は川原が広がり遠浅であったので、子供の楽しい水泳場であったようだ。夏休み中は、PTAの監視下で水泳が行われたという。

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「上陸」してみると、こんな石碑が建てられていた。
昼間と辻を結ぶ「辻の渡し」とある。
この渡場について三好町史にはこんな記述がある。
 「明治から大正・昭和の戦後まで、辻地区は面積は狭いが、井内谷・祖谷谷という後背地を有し、特に刻み煙草で繁盛しており、人家が密集し商店が軒を連ねた。特に渡し場上がりの浜地区には、大きな商店や、料理店まであり、その賑やかさは北岸の比でなかった。こうした状況から、北岸から南岸へ渡る人は増加していった。」

 明治四十四年(1912)ごろに、中屋から辻渡船場への道も道路改修が行われた。大正三年(1914)徳島線が池田まで開通し、辻駅が設置されるにいたって、人はいうに及ばず、物資輸送もこの駅が起点となった。北岸の昼間側からの利用者は急増し、特に朝夕の通勤・通学時には非常に混雑した。
 大正十五年現在の町道・昼間中屋線(通称新道)が完成し、同時に南岸は岩場を掘り抜いた道が新設され、北岸も岩盤を削りとり、両岸ともに立派なコンクリートで固めた船着場ができた。
 昭和三十四年、美波田大橋の架橋で廃止となった。船頭さんの逸話、施与米、賃取、昭和二十三年県営化、借耕牛、カンドリ舟、転覆の惨事など、悲喜・哀歓の長い歴史を両岸の岩場に残して、幕を下ろした。
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美濃田大橋から上流をながめた風景。
向こう側(南岸)の井内谷川の流入点とこちら側(北岸)を渡し船は結んでいたという。渡場につながると思われる道路は残っているが、ここが上陸点という地点は分からない。

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 現在では早明浦・池田ダム等による香川用水等への取り込みによるものかこの当たりの吉野川の水位はニメートル以上低くなっているという。地理や風景も大きく変わっている。
 56歳の美濃田大橋が「遠い昔のことだよ」と呟いた気がした。
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吉野川の川船IMG_4161

吉野川はかつて多くの川船が行き来した川。
吉野川を池田からカヌーで出発。その痕跡を探してみました。
まずは、阿波池田の川港跡へ。

諏訪神社下の千五百河原にあった川湊
対象頃の池田の川港 諏訪神社の鳥居に向かって階段が伸びている
船頭達が航海の安全を祈った神社へ長い
石段が残っています。
ここから池田への人と物が荷揚げされ、積み出されていきました。
池田の旧街道もこの港を起点に発展したようです。

阿波池田の川港の灯籠

川船の安全を祈願して建立された灯籠が今も建っています。
ここから出港です。馬10頭分の荷物を満載した川船(平田船)も、出港していきました。

遠賀川の平田船
遠賀川の平田船
穀物・薪炭・足代桐・藍・まゆ・野菜などを積んで徳島まで下り、
帰りは塩や肥料・海産物・日用雑貨品などを運んできました。
下りは3日程度。登りは、風向きのよいときは帆を張り、一週間ほどだったといいます。

遠賀川の船曳

船には船頭の他に丘船頭が乗って艪や櫂の使えない浅瀬に来ると、川へ飛び込んで船を進ませたそうです。

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三好大橋

出港から30分。赤い橋が見えてきました。
三好大橋です。
吉野川に架かる橋としては創生期の鉄橋です。1968年竣工ですからもう50歳になろうとしています。この橋が出来る前は、どうやって川を渡っていたのか?

池田町大具渡し
三好市池田町大具の渡し 1958年三好大橋完成まで運用
この日は梅雨の中休みで真夏日。
蒼い空と白い雲と赤い橋を川が映していました。

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三好大橋の下流、三好高校の下あたりの風景です。
今回の「航行」では一番危険な瀬です。流れや地形は当時と変わっているのかもしれません。でも、ここを平田船で下るのも登るのもたいへんだったと思います。

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一番の難所を過ぎると、鮎師さんの立ち並ぶザラ瀬の向こうにみえてくるのがこの風景。
東みよし町昼間(左側)と三好市井川を結ぶ鉄橋と高速道路がクロスしているように見えます。
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鉄橋は讃岐琴平からの列車に阿波池田に至るため架橋されたもの。
昭和の初めのことです。阿讃のトンネルを抜けてきた蒸気機関車が誇らしげにこの鉄橋を渡って行ったのでしょう。
 この鉄橋のあたりにも、井川と昼間を結ぶ渡船場があったようです。布屋渡と呼ばれていました南岸を通る伊予街道と北岸の撫養街道を結ぶ渡船場として、地域の人たちには大切な渡しでした。

 この渡しの下流に土讃線の鉄橋ができた「影響」を三好町史(775P)は、こんな風に紹介しています。
 この渡しを通っていた人たちの中には、鉄橋に付けられている保線のための側道を歩いたり、自転車を押したりして通る者ができた。もちろん、国鉄当局からは通行を禁止されていたので、当局の者の目を逃れて、秘かに通っていた。


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 高速道路の橋のたもとの風景です。
かつての瀬戸の港のような「雁木」構造のように見えます。
この当たりが昼間の川港だったようです。
今は鮎船の係留場として利用されています。

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下流から昭和初期と平成に登場した2つの橋を振り返ってみました。
ザラ瀬をカヌーは下っていきます。

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ザラ瀬が終わると赤い橋が見えてきました。
美濃田大橋です。
この橋のたもとにも渡場があったようです。その話は次回に・・



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