瀬戸の島から

カテゴリ:瀬戸の島と船 > 島遍路の道から

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島の札所の多くは、こんな庵が多いのです。

その集落の人たちによって守られてきたものです。

廃仏毀釈で八幡さんから移ってきた立派な仏様がおられたりもします。

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誰もいないと思いながら入っていくと・・・

「よおお参りになられたな、どこからきたんで」

やさしく声がかけられ、般若心経を一緒に唱えて話がはずみます。


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先日紹介した壺井栄の随筆は、こんな風に続きます。


おへんろさんの中には、腰の曲がりかけたおじいさん、おばあさんから、
巡礼お鶴のように小さい少女も交っているし、
お母さんの背中に眠る赤ん坊も見うけられた。

 こうしたがへんろさんを迎える小豆島の人たちは純真無垢である。
一夜の宿を乞われれば、よほど困ったことでもない限り、
見も知らぬ他国の人のために宿をかし、食を用意する。
それを善根宿といい、善根を積めば後の世に報いられると信じているのであろう。
此の頃ではいろいろな事情万善根宿をする家も少くなったようであるが、
おへんろの時期になれば、百姓家も忽ちへんろ宿になり、
安い宿料で風呂を焚き、明日の弁当まで整える。

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おへんろさんが小豆島八十八箇所を一めぐりするには普通一週間はかかる。
途中で出会った道づれもお互いにいたわり合い、十年の知己のような心づかいを見せて、
嶮しい山や谷を越えるのであるが、その途中の道には番人のいない店がある。
店といっても、それは道端や、畑の岸に大きなザルが二つか二つ置いてあるぎりで、
その中には島でとれる夏みかんやネーブルなどが山と盛られて、
一つ一銭とか二銭の礼が立っているだけで、おへんろさんは一銭二銭と引きかえに、
そのみかんで乾いた喉をうるおすのである。
~後略~

「小豆島と巡礼」昭和16年3月発表

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誰もいない庵に、こんなふうに八朔が置かれたりもしています。

「ご自由にお取りください」とあります。

感謝<(_ _)>


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道路のそばの無人のみかん販売です。

一袋百円。不揃いなみかん達ですが、瀬戸の潮風を受けて美味しい。(*^_^*)

映っている原付は私の愛車です。

風が冷たくなってきた瀬戸の島からでした。

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以前に紹介した昭和9年 岡山からの巡礼者が遺した写真です。

お遍路さん達が下船し、波止場に上陸した時のようです。

気になっていたのは、手前の二人の幼い子供。

前掛けを広げて、何か物乞いしているように思えます。

「島も昔は、貧しかったんやな」と一人納得していました。


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最近、壺井栄の随想を読んでいて、こんな文章に出会いました。


「おへんろさん豆おくれ」
おへんろの姿を見ると、子供たちは歌でも歌うように声を揃えて前かけをうけた。
すると、おへんろさんは、肩から下げた頭陀袋の中から、煎豆を出してくれた。
中には、金米唐をくれる、きれいなおへんろもいた。
私たちはそれを、大阪のおへんろさんと呼んでいた。

おへんろさんは大抵お百性が多く、麦刈前の農閑期を、
出かけてくるのだということである。
胸に、奉納小豆島八十八箇所霊場順拝のお礼ばさみをさげ、
へんろ笠をかかり、手甲脚絆に身をかため、
ささやかな身の廻りのものを包んだ白い風呂敷包を斜に背負っている。
そして、手には南無大師遍上金剛と書いた杖をついている。
これは弘法大師の諸国巡礼の姿だということである。
杖にも笠にも、お札ばさみにも同行二人と言かねているのは、
お大師様と二人だという意味である。
だから、何百人の団体の巡礼が、紫の旗を先頭にくりこんで来ても、
それぞれは皆同行二人なのである。 
~後略~

「小豆島と巡礼」昭和16年3月発表

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「物乞い」と思っていた私は、赤面しました。

見知らぬ人との交わりは「物」のやりとりがあるほうが

スムーズにいくと言われます。

お遍路さんと子供達を「豆」がつないでいたようです。

「おへんろさん豆おくれ」と・・


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見上げると「西の瀧」 

修験道の行場としても有名な島の霊場です。

「さいあがりと舞い上がりは、高いところが好き」と

ひいおばあちゃんから聞かされました(^_^;)

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やってきました。

今日の行場巡りは、護摩堂の右の断崖。

白い避雷針(?)の立っている所です。

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修験道の人たちによって階段がつけられています。

この岩場は曼荼羅世界では「金剛界」にあたるようです。


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上からは護摩堂の屋根がすぐ下に・・


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眼下には、蒲生の集落が見えます。

その向こうには、土庄の町並みと余島の島影


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目を転じると、山門の紅葉が真っ赤。

その向こうの池田湾が輝いていました。

しばらく座り込んで「瞑想」しました。

「それはぼけっーとしとるだけじゃ」と、天狗の声が聞こえたような・・(^_^;)

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先日紹介した清滝山

絶壁を見上げると、ぽつんと丸い石が載っています。

「煙と何とやらは、高いところが好き」と言います。

確かめに行ってみましょう(^O^)

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境内の岩場に「行場登口」の標識があります。

くさりをたどりながら登ります。


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岩のくぐり窓を抜けて、急登をたどること10分


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岩場の上にやってきました。

行場らしく不動さまが岩の両脇に立っています。


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その間から下の境内を見下ろしました。

右下のあざやかな紅葉の下に、先日紹介した不動明王がいます。


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田浦の半島に抱かれるように内海湾が見えます。

ここで行者たちは、どんな荒行を行い、何を祈りったのでしょうか。(-_-;)

愛らしい(?)不動さまが見つめていました。

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11月26日 一週間後に再度訪問した清滝山。

紅葉も見頃になっているようです。行ってみましょう!(^^)!


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イロハモミジが仏さまに,覆いかかっています。

一枝一枝の彩りが、ちがうようにも見えます。


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紅い頭巾をかぶった地蔵様

頭の上には白い絶壁をバックに紅葉


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仏達も移る季節を惜しんでいるかのように見えます。(-_-;)

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こちらは絶壁を背後に立つ不動明王。

大日如来の化身で憤怒の表情

すべてを焼き尽くす炎を背負っています。

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後背の炎に染まってか、その上のモミジは一段と鮮やかです。

碑文にはこう刻まれていました

罪と咎を焼きほろぼさん誓いにて
炎の中に立ちよせる身を

不動明王が火焔の中にいるのは ”火生三昧”といって、
 私たちの罪や咎などの煩悩を大智慧の火で焼きつくそうとしているからだそうです。
 そして、私たちを悟りに導くことを本誓(ねがい)としてます。

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小豆島の北東海岸の小部(こべ)の海岸から見上げるの恵門の瀧です。

紅葉の具合を見に登ってみましょう。


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ここも修験道の業場で、断崖に穿たれた洞窟が本堂です。

白い断崖に朱の柱がお似合いです。


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でももみじは、こんな具合(>_<;)

ここは月末にならないと真っ赤に染まらない様子です。

それじゃ、業場の雰囲気を味わいに、この上に登ってみましょう。

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本堂上の断崖の上にやってきました。

小部の集落、その沖の小島、そして海苔網がきれいに見えます(^_^)v

その遙か向こうは岡山の日生方面です。


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青い海に点のように見えるのは漁船

その間を自動車運搬船がゆっくりと行きます。

向こうに見えるのは兵庫・相生の工場群。


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そして、振り返ると断崖絶壁の鎖場(^_^;)

今日は、ここで「修行断念」(-_-;)

天狗のように、この鎖場を登り降りした山伏のようにはいきません(>_<;)・・


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11月19日 島遍路札所で一番標高の高い清滝さん。

業場の雰囲気が色濃く残る札所です。


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天涯に穿たれた洞窟が太子堂です。

敦煌や龍門の石窟寺院と同じくように

洞窟の外側は瓦の屋根で縁取られています。


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屋根の上を見上げると、こんな感じ(*^_^*)


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石仏に覆いかかる紅葉は今が見頃です。

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青い空と青い海にイロハモミジの赤が目にしみます。

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内海湾に白い航跡を遺して、高松へのフェリーが出て行きます。

ここは寒霞渓への途上に位置しますが、観光バスは素通り。(^_^;)

少人数で訪れた際には、是非立ち寄って欲しい所です。


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11月15日 寒霞渓の札場「石門」への道をたどります。

妖怪「いったん木綿」のような奇岩が迎えてくれます。(*^_^*)


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遍路さんが見上げるイロハモミジは見頃には早いようです。

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茅葺きの鐘楼の上にはモミジの枝が伸びています。


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断崖の不動明王もモミジに囲まれて、すこし紅く染まっているように見えます(^_^;)・・。

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洞窟の中の2階にある本堂に登ります。

石門本堂の窓からの「奇岩と錦秋」です。


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同じ窓から見下ろしたモミジの境内。

緑から赤へのグラデイエージョンが赤一色に染まるにはもう少し先のようです。

ここでは12月初旬まで「紅葉狩り」が楽しめます。

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前回に続いて、栂尾山(とがお)からです。

名所図絵に書かれている業場を探してみました。

「お滝へ」とあります。こちらのようです。


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森の小道をくぐると、石垣が見えてきました。

石仏や仏塔のかけらとなった石片も散在しています。


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「お滝」と呼ばれた業場のようです。

渇水期だったので、水はしみ出す程度です。


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正面には、行者たちの「守護神」である不動明王がにらみをきかしています。

ここで真冬でも岩からしみ出す清水を浴び、業に励んだのでしょうか(-_-)。


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「お滝」の上に上がってみます。

折れた石柱の頭片が踏み石に「転用」されています。


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建物はなく、石垣も自然に帰ろうとしています。

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道を引き返し禅寂和尚の墓から見下ろしました。

肥土山の集落を、静か見守っているようでした。

小豆島霊場47番 栂尾山より

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江戸時代末期の小豆島名所図絵に載っている栂尾山です。

岸壁にへばりつくように業場や庵がみてとれます。。

よく見ると箒で庵前を掃き清めている人の姿も(^_-)

今はどうなっているか、ご案内します。


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ウバメガシの木漏れ日の森を歩くこと15分で到着。

誰もいません。野鳥の鳴き声だけが谷間に響きます。


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断崖に洞窟がうがたれています。

入ってみましょう。


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十一面観世音が安置されている厨子以外に、なにもありません。

他の洞窟の業場に比べるとシンプルです。

ひんやりとした空気と静けさが漂います。


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外に出てみます。


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テラス越しに、肥土山の盆地と集落が見えます。

秀吉のキリシタン禁止令後に、高山右近が隠れ住んだのもこんな所だったのかな。

ふと、そんなことを考えました。

私のお気に入りの「テラス」のひとつになりました。(^_^)/~

江洞窟の今昔
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江戸時代末期の小豆島名所図絵に載っている江洞窟です。

かつては「豪門弁天堂」と呼ばれて「弁天様」をお祭りしてあったようです。

沖ゆく船に湧き出す清水を提供した船寄せ場でもあったと聞きます。


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今はこうなっていました。

漁港の堤防と護岸で「石桟」はコンクリートで固められています。

石窟前には、コンクリートのお堂が建っています。

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崖から転がり落ちた岩が波で丸くなっています。

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洞窟の中は海面よりも低いようです。

中の井戸には、水がたたえられていました。

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図絵にある千軒に続く石段です。

今は通る人もないようです。

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登り詰めた高台から四国方面を望みます。

でも、今日は視界悪し(>_<;) 沖ゆく船も見えません。

ずれた石段に過ぎ去った200年の歳月を思いました。

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小説「小豆島恋叙情12話」の舞台、西の瀧の本堂です。

修験道の行場らしい雰囲気を残しています。

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階段の横にこんな矢印を見つけました。

「行場道」と読めます。

「おもしろそう!いけ!いけ!」という私の好奇心に素直に従います。

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馬目樫(うばめがし)の林の中に小道が続きます。

かつては、この木も備長炭の原料として、管理されていました。

今は、人の手を離れて島の「自然林」のようです。

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30分で大麻山(たいま)頂上。行場らしいところはありません。(*_*)

なんか肩すかしです。

でも眼下の景色は最高! 池田湾方面です。

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西には土庄方面が見えます。

川のような「どぶち海峡」で土庄の町は、区切られています。

地理上は、向こう側は「前島」という島になります。


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最後に、西の瀧の山門からの瀬戸内海です。

五剣山と屋島のあいだをゆっくりと島のようなタンカーが東行していきます。

ゆっくり進んでいくのが時間の流れのように思えてきます。

雨雲は見えません。渇水の気配が漂う島からでした(^_^)/~

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一本の綱を絆に巡礼団が登っています。

「二十四の瞳」上映後の昭和30年代の写真のようです。

小豆島巡礼2番札所の碁石山を目指しているようです。

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この写真が今日のテーマです。

遙かな山並みは、段山・四方指のようです。

眼下には内海湾と苗羽の「醤醢の里」が広がります。

碁石山からの展望のようですが「不動明王」がいます。

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私にはこの不動様は、今まで見つけられませんでした。

「昔はあったが今はない」と思っていました。

ある人から札所の上の絶壁にあると教えられました。

札所の上の「金比羅さん」への壊れかけた石段を登りました。

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いました(^O^) 不動様が昔のままで立っています(^^)!。

丸金醤油の工場も見えます。

眼下には、50年前と同じ光景が広がっていました。

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内海湾も、ここからは昔のままに見えました

変わってしまたものも多いのですが

変わらない物も、たくさんある小豆島です。

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小豆島・土庄の街の小高い丘を歩いています。

海に面して民家が密集する「瀬戸の町並み」です。

視線は自然と、一カ所に向かいます。

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大きくはありませんが、天を指す赤い指のような・・

西光寺の三重塔です。

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埋め立てが進む前は、ここは海際の小さな丘でした。

沖ゆく船の「灯台」としての役割を果たしてきました。

漁師さんたちからの信仰も厚いものがあります。

近くに行ってみましょう。

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新しい緑を吹き出したばかりの大銀杏と並べて見ました

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島の人たちを見守る塔

土庄のランドマークタワーでもあります。

五月の青い空に、赤い翼を広げているようにも見えました。

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昭和8年に、島遍路を巡った写真です。

小さな孫を2人連れた巡礼団です。

歩いて7日間で巡っています。

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麦畑の中を、孫を肩に乗せて歩いているようです。

70年前は、遍路さんも着物姿です。

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疲れた子供を、背負っているようです。

子供もおじいちゃんもおばちゃんもタフです。

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島遍路は、先達さんに連れられて集団でやってきます。

伊勢講や立山参りの「講参り」と同じ形態です。

お四国さんのように個人でお参りする人は、少ないようです。

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今の遍路さんたちにも、それは色濃く残っています。

もうひとつ特徴的なのは、遍路さんの地域の偏りです。

播磨・備前・因幡・伯耆などの農家の人たちが多いのです。

特定の地域以外からは訪れる人は、ほとんどいません。

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毎年の島遍路を楽しみにしている年老いた遍路さんの姿が

島の札所に多くなる季節です。

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小豆島を牛にたとえると後ろ足の付け根にあたる洞雲山。

標高が400m近くあるので、桜もつぼみのままです。

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花崗岩の岸壁にへばり付くように伽藍が点在します。

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本堂も修験道の洞窟の中の高い所にあります。

階段を登って、中に入ってみます。


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中は人気がなく、静けさと神秘さが漂います。

私たちの般若心経を唱える声だけが響きます。

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唱え終わり、洞窟の隙間から外をながめて見ました。

見えるのは、二十四の瞳の大石先生が通った「岬の半島」です。

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讃岐10景に指定されている展望台まで歩いてみました。

観音様が立つ(右隅)むこうに瀬戸の海と島がけむって見えました。

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150年ほど前、幕末の誓願寺の周辺が描かれた小豆島絵図です。

寺の前には、塩浜(塩田)が広がっています。

(写真をクリックすれば拡大します。(^_-)


作業小屋からは、塩を煮詰めるための煙が登っています。

周囲の山は、「汐木(しおぎ)山」として、木を切られ裸山のように見えます。

環境破壊は、この時期からあったようです。

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「塩」は大きな富を島にもたらし、回船業を栄えさせました。

江戸時代半ばに、廻船業主が九州から運んで移植したソテツです。

その後、島に根付き大正13年に天然記念物に指定されました。

その10年後(S9年)に、岡山の巡礼者一行が撮った写真です。

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その72年後の昨年、我が「酔いどれ巡礼団」が撮った写真です。

大ソテツは、すこし勢いをなくしているようにも見えます。


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元禄時代に建立された山門です。

柱には,難破した千石船の用材が使われているそうです。

この島が塩と船で栄えていたことをかすかに伝える「資料」です。

この前に塩田が広がっていた時代が、あったようです(*_*)

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昭和九年(1934年)・島巡礼の写真です。

4月に7日間で大人8人・子ども2人で回っています。

二十四の瞳の大石先生が岬の分教場に赴任した時期です。


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岡山方面から小舟に乗り込んでいます。

向こうに見えるのが小豆島の島影のようです。

私には、牛窓付近からの船出風景のように思えます。

こんな船が頻繁に、島と対岸の港を行き来していたようです。

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船中の様子です。

この時代は「遍路姿=白装束」では、まだなかったようです。

しかし、「金剛杖」はみんな持っています。

おばあちゃんたちはみんな着物姿です。

大石先生が洋服姿で学校に現れて、お母さん方から反発を受けた時代です。

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島への上陸光景のようです。四海か北浦の港と思われます。

孫を肩くまにして、上陸するお祖父ちゃんの姿が見えます。

これから一週間、徒歩での島遍路の始まりです。

これらの写真について、何かお気づきの方がいらっしゃいましたら

お教え下さるようお願いします。m(_ _)m

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今から150年ほど前の幕末に書かれた島の名所絵図です。

(クリックすれば拡大します。)

島を牛の形になぞらえると前足のスネあたり。

小豆島札所29番風穴庵からの眺望図です。

弁天島が風と波を防ぎ、天然の良港になっています。

ここには神の浦(こうのうら)の港があります。

かつては潮待ち、風待ちの港として栄えたところです。

沖には帆を揚げた船が幾隻も見えます。

そのむこうには、讃岐の五剣山の特徴的な姿が描かれています。

この山も沖ゆく船のランドマークにはぴったりです。

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現在の神の浦です。

小さな漁村になっています。

吹く風と寄せる波は昔と変わりないようです。


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だれもいない庵の中には、涅槃仏が静かに横たわっていました。

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今から150年ほど前の幕末に、書かれた島の名所絵図です。

島札所54番寳性院(今は宝生院)の境内が描かれています。

今と違うところが、いくつかあります。

まず、廃仏毀釈で境内から「五座社・鎮守の森」が姿を消しています。

後ろの山は「青門山」と書かれていますが、

明治になって皇国史観の影響で「皇踏山」と変えらました。

時代と共に地名も変わって行きます。

変わらないものは、右の端に描かれている巨木。

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シンパクです。イブキの変種で、正式名はミヤマビャクシン(深山柏槙)。

遠くから見ると、まるで森のようです。

昔はカラス天狗が住んでいるとも言われたそうです。


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樹齢は推定1500年以上。根元の周囲は16.6メートル。


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国の特別天然記念物で、日本最大のシンパクと言われています。

この木だけは、150年の月日を経ても変わりないようです。

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島を牛にたとえると肩のあたりある四海(しかい)地区です。

狭い路地を、通り抜けて松林寺へ向かいます。

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どの家の前にも菜園があります。

瀬戸に浮かぶ島は、霜が降りることがなく野菜が元気です。


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使われなくなって久しいタバコ葉の乾燥棟。

その前のわずかな空間にも、植えられています。


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途中の納屋には、こんなものもいました。

農道の狭い島では、いまでも現役で活躍しています。


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島遍路68番松林寺が見えてきました。

札所の前の畑にも、元気な野菜の姿がありました。

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池田湾を見下ろす断崖に鎮座する西の滝

登っていくと護摩堂から般若心経の読響が聞こえてきます。


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中では護摩焚きの真っ最中。

播磨から訪れた信者の方々が祈りを捧げています。


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炎が高く昇り、煙がお堂に充満します。

その中で、一人一人の祈りが続きます。


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海に向かって続く階段を下りて帰路につきます。

体中が護摩で清められたような気がしました。

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田浦の分教場から細い道を奥にはいると田浦庵があります。


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おおきな銀杏が境内を覆っていたのですが・・

正月に行ってみると、ごらんのとおり・・。


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かわいそうにも思えますが、大きくなりすぎた銀杏は、

本堂の屋根を傷めないために、こうやって「仕立て直し」するそうです。

確かに、幼い枝が何本も空に向かって伸び出していました。

冬なのに緑の葉を残している枝もあります。


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帰りの道筋では、こんなものも見かけました。

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小豆島・西光寺の大銀杏を誓願の丘より見つめました

5月 今年も枝一杯に新緑をつけました。


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そして11月下旬 瀬戸の島の遅い秋

空に近い枝先から落葉していきます。


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師走になっても、地に近い枝には黄葉が残ります。

「最期の葉」になるのは、どれかな?


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そして師走も、押し迫って枝だけの姿になりました。

「新しい年を迎える準備完了」のようにも見えます。


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今日は西光寺の「大師市」の日

人の世界は年の瀬の準備に、動きもせわしそうでした。

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いつもそばを通る西光寺の銀杏が目に留まりました


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境内に入ってみます

本堂よりも高く、丘の上に立つ三重の塔と

高さを競っているようにも見えます


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下から見上げると、何本もの木のように見えます


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根元には、尾崎放哉と種田山頭火の歌碑があります

世を拗ねて、世間からはじかれ、島に死に来た放哉

彼に庵を提供したのがこの寺の住職さんでした

以後、半年あまりの短い期間に死と向きあいながら

作られた句は秀作ばかり


咳をしても一人

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小豆島の地図を見ながら気に入った場所に印をつけて
「今日の散歩道」と称して歩きに行きます。

原付で風を切っると、流石に寒いです。
印をつけた神社の近くまで行くと、下りて歩きます。

まず、民家の狭い畦道を抜けます。

すると、柘榴が実を付けていました。
ここまでで200叩

その向こうを見ると畑のそばに、立派な井戸。
写真を撮っていると、不審者と間違われて
おじいさんに
「なんしよんじゃ 毒でもいれよれへんのか」と詰問されました。

誤解を解いて、その後30分近く話し込んでしまいました。

おじいさんと分かれて、50辰垢垢爐函
雑木林が風に、色づいた葉の裏を見せていました。
里にも秋の気配です。

結局、本日の歩行距離250叩
私の散歩報告でした。

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寒霞渓裏八景の「石門」の
すぐそばにある札所なので「石門洞」

一枚目 渓谷の断崖にある洞窟に、本堂が開かれています。
    階段の右の岩壁には、不動さんが睨んでいます。

2枚目 近づいてい見ると、不動さんの肘から伸びた
    もみじの小枝は、今が紅葉の見頃です。

3枚目 空海さんは、もみじの下を急ぎ足で歩み去る気配
    このもみじ、上からはどう見えるのかな?
    階段で本堂に登ってみました。

4枚目 窓から下を見下ろすと、こんな光景でした。

寒霞渓の谷筋にあり、標高の低い石門洞。
12月初旬までは、楽しめそうです。

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小豆島寒霞渓の裏八景を歩いてきました。
寒霞渓の紅葉の売り物のひとつは、
「奇岩を背景にした錦秋です。」

一枚目、法螺貝岩です。
巻きがかかった法螺貝に見えるかな?

2枚目何に見えますか?
私は、水木しげるの描く妖怪、一反もめんに見えます。
でも、昔の文人の付けた名前は「幟岳」(のぼりだけ)

3枚目は、天然の石橋のアーチです。
名付けて「石門」


寒霞渓の裏八景 紅葉は12月初旬まで楽しめるようです。

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小豆島を牛にたとえると
しっぽの付け根あたりにある恵門の滝

ここも○○の滝と名前がついていますから
断崖と洞窟があり修験道の行場です。

そして、島で一番行場の雰囲気を残している所だと
私には思える札所です。

狭い道を登り詰めてたどり着くと山門。
さらに急な階段を登ると洞窟にふたをしたように
本堂がへばりついています。

中は、洞窟。
いちばん奥では、密教の護摩祈祷が行われます。
最初に、これを経験したときには「異文化体験」でした。

護摩が終わり、窓が開かれます。
外の紅葉が、また違って見えました。

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土曜日に寒霞渓からの帰りに、清滝さんへ寄りました。
島の札所では一番高いところにあります。

この札所も絶壁にへばりついたような所にあり、
洞窟を覆うように本堂が建てられています。
かつての修験道の行場であったところです。

ここは、すぐそばを寒霞渓への道が通っています。
でも、観光バスは、ここを通り過ぎていきます。

島外からのお客さんを、連れて行くと
喜んでいただける所でもあります。

ここの紅葉は、まだまだこれから。
12月初旬がピークになりそうです。

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名水がわき出す湯船山に登りました。

境内の大杉の葉が茶色に「紅葉」。
枯れかかっているようで、元気がありません。

見上げると、緑の葉の枝もあります。
死んではいません。

幹に触っていると、ほこら発見。
中には、お地蔵さんが座っています。

杉中矢久與家地蔵(すぎなかやくよけじぞう)と
命名されているようです。

そして、玉垣から下を見ると千枚田です。

先日降った雨の後、田んぼは使いこまれて
黒土がのぞいています。

春の田植えに向けた準備が、もう始まっています。

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島外からのお客様を案内して、日曜日に札所の笠が滝に行ってきました。
ここは、修験道の行場になっている札所です。

岩壁にお堂が張り付いているように見えます。
石段もなく、いきなり岩場を登ります。

ハイヒールを履いた女性は、登れません。
でも、これを登り、くらい洞窟を抜けるとそこは・・・

さらに、その上には13重の塔が立ち、
地蔵様が下界を、見守っていました。

「島遍路の聖地」と、私は呼んでいます。
ご案内した方々も、無事に下りてこれました。

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島遍路・笠が滝への道で、
白いすだれのようなものが目に入ってきました。

近づいて見ると、素麺の天日干しです。
小豆島では、江戸時代から素麺が特産品として有名です。
「島の光」という名前で、親しまれています。

作業中の主人に声をかけて、いろいろなことを教わります。

昨日から練って伸ばした麺を
今日は晴れたので天日で乾燥させているそうです。
長い箸で麺の付着した部分を、ほぐしていきます。

乾燥が終わった素麺は、決まった長さに切り、
結束し箱に入れ3~6ケ月間熟成してから、
来年の春先くらいから出荷されるそうです。

秋の青空の下で、白い素麺がきらきらと
輝いているように見えました。                                                           

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島を牛の形にたとえると、心臓のあたりにある肥土山。

この地区の小学校の前を歩いて、
何気なく見た校碑に、目が引かれました。

碑文の周りに並べれているのは・・・
そして、門柱を見ると、それは・・・
二度、びっくり。

島では、江戸時代からそうめんの製造がさかんです。
電気モーターの使用以前は、これで小麦を粉にしていました。

お役後免になった石臼や摺臼たちは、
こうして第2の人生を、門柱として
子供たちの登校する姿を見つめながら送ってきました。

過去形なのは、この小学校も児童数減で
今春に廃校になったからです。

こどもの声がしなくなった学校にも
秋の優しい日射しがさし込んでいました。

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島巡礼43番札所浄土寺は、
千枚田のある中山の奥にひっそりとあります。

お城のような石垣を階段で抜けると
播磨からの巡礼団が、お参りを済ませて帰って行くところでした。

ごらんの通り、本堂は藁葺きです。
黒い鬼瓦と年を経た屋根、そして青い空。

何か足らないような・・・

「古い屋根には、ツメレンゲがよく似合う」という
昨日、私が作った言葉からすると・・

そうです。
ここにも藁の屋根に「ツメレンゲ」が根付いていました。

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土庄港にオリーブの木々につつまれるように建つ群像。
小豆島を全国区の観光地に、押し上げた記念碑なのかもしれません。

1954年 高峯秀子版
1987年 田中裕子版
2005年 黒木瞳版(TVドラマ)
の三回、映画化されています。

この像は、映画の大ヒットを受けて2年後の56年に建立されたようです。
ちょうど今年で50年目になります。
大石先生の顔は、高峰秀子さんにそっくりだったそうです。

地元では「二十四の瞳」を読んだことも、見たこともなく
高峯秀子も知らない世代が増えていました。

昭和も遙かになりにけりでしょうか。
でも、昨年の黒木瞳版で少々「認知度」が高まったようです。

平和と幸せを求める願いが込められた「平和の群像」
その思いを、大切にしていきたいと思います。

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牛の形をした島のお腹あたりが西村の集落。
この丘に開かれているのがオリーブ公園。

オリーブの木の中から、青い空を突き刺すように伸びている十字架。
エーゲ海ムードを出すための演出かと思ったら・・・とんでもない。

420年ほど前のこと、この島の領主となったのがキリシタン大名・小西行長。
彼はイエズス会の神父を保護し、この地に教会を建立しキリシタンの楽園を計画。

しかし、その後の禁教で迫害と殉教を受け、島からキリスト教徒の姿は消えた。

400年後の1986年に、ローマのバチカンから「平和と友愛」の
シンボルとして贈られたのがこの十字架

オリーブの木の中に、すくっと建っています。
まわりのオリーブの実も、収穫の時期を迎え黒く熟していました。

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小豆島の北西部の札所を歩いていると
いやでも目に入って来るのがこの観音様。

大きいです。
岡山の牛窓からも親指のように、飛び出しているのが見えます。
私は最初、ウルトラマンかと思いました。

このお寺は、島の札所ではありません。
地元では、もうひとつ人気がないようです。

私も最初は、視野の中に入れないようにしていたのですが・・
それもやはり、不自然で。

頭まで、エレベーターで上れるそうです。
今度一度、上って来ようかとも思っている今日この頃です。

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島で一番元気な漁師集落・四海(しかい)
等空庵でお参りを済ませ、次の松林寺への道を歩み始める

黒い焼き杉の壁に白い漆喰の土蔵、
いいふんいきだ。

うん! なに・・

近づいてしっかり見つめる。
ニヤリ

時を経ると、打ち付けられた標識もとけ込んでいるよう。
私は癒されました。

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島遍路は、四国遍路のように立派なお寺さんばかりではありません。
集落の人たちが守り続けているお堂も、札所になっています。

住職さんはいないけれども、地元の人がお接待をしたりしています。

ここは小豆島遍路 第七十三番救世堂です。
いつものように般若心経をおつとめして、堂のなかにはいると

あら・・
「自由にどうぞ」の言葉が・・・
これも接待の一つのかたち。

ありがたくいただき、合掌。

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 = 島遍路の途上で出会った石仏たちを紹介します。=

目に入ってくる石仏たちが、
大切にされていることがよくわかります。

かわいくなって、なでなでして、
そして合掌です。

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島遍路の第一番洞雲山からきつい坂道を降りてくる。
坂手の集落を見下ろせる小高い丘の上に、その文学碑はあった。
碑文の前には、醤油の島らしく大きな石臼や藍瓶が置かれている。

二十四の瞳の原作者・壺井栄のものだ。
近づいてみると
 桃栗三年
 柿八年
 柚子の大馬鹿
 十八年
と読める。

「なんのこちゃ わからん」と呟き、また遍路道を歩く。
でも、語調がいいので、つい口の中で般若心経の一節のように唱えてしまう。
そして、私の記憶に残る。

後日、訪れた「岬の分校」にある壺井栄記念館に、夫である壺井繁治がこうコメントしている文章に出会った。
 大馬鹿と軽蔑される柚子でも、18年もすれば実がなる。
 下積みの民衆に対する共感と、40歳を過ぎ 、
 作家としての出発が遅かった栄自身を比喩したものでは・・」

そうか 「大馬鹿」には、「慈愛」が込められていたのか。
それでやさしい響きがあるのかと、自分で納得。

そして、わたしの好きな言葉となった。

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小豆島遍路道 石門への道で見つけた言葉です。
看板が壊れ、地面に落ちていました。
地に還っていく途上です。

遍路道を歩いていると、いろいろなメッセージが投げかけられてきます。
言葉であったり、風景であったり、仏像であったり、
そのメッセージへの自分なりの回答を考える。

これも遍路道の楽しさのように私は、思っています。

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この墓標に出会ったときにはどっきり。
じっと見つめていると、気分がよくなってきました。

なかなかこう言えない状況の中に生きた人たちが、
この言葉を墓標に選んだ思いが、伝わってくるように思えました。

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自分にないものをもとめ、彷徨った後に
我が心をしっかりと見つめよということかな?

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こんな言葉を墓石に残せるのは素敵なことに、私には思えます。

どんな生き方をした人なのか

どんな人たちに見送られたのか

うーんとうなりながら
ついつい立ち止まって考えてしまいます。

遍路道はそんな道でもあります。

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なげかないから美しく感じる人はいます。

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この言葉も、私たち巡礼グループの合い言葉になりました。

人付き合いの難しさの愚痴を聞いては、
最後にこの言葉を一言

そして、大笑い。
笑いは世界を救います。

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西光寺は、土庄の街の中にあり、後の岡に五重塔を持つお寺。
この塔は、土庄の人々の心のランドマークタワーでもあると私は思っています。

自由俳人の尾崎放裁に、「死に場所」を提供したのもこのお寺。
境内には大銀杏と、その下に放裁の歌碑があります。

般若心経を終えて、入っていった本堂の柱にあったのがこの言葉でした。

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くるしさをくるしんではいけないということ?

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