A 箸蔵寺の山号は「宝珠山」だが、修験者たちの山岳修行の行場・道場だったので「仙岳」とも呼ばれた。その箸蔵寺に伝わる縁起や歴史を記したので『仙岳誌』である。B 幕末に活躍した住職の仙岳が記したことに由来する。
一、この鳥居から箸蔵寺までは十八丁。鳥居の高さは三間、橫は2間半、柱は五尺四寸。一、A長宗我部元親が土州より侵攻し、大西氏の白地城が落城するまでは、箸蔵寺は上の堂にあった。兵火で焼失して、夜ごとに山中で光るものが見える。これを長曾我部の手勢が見つけて訪ねてみると、樹下に靈像があった。これが当山の権現の本尊薬師如来とその眷属たちの像であった。火中に残り姿を見せていることに深く感じ入った土佐出身の男は、この霊像を祀った。しかし、約三十ヶ年間も、堂寺はなく庵があるだけであった。男は妻を娶り、二人の男の子を得た。そうする中で夢の中に金毘羅大権現が現れ、次のように告げた。「兄に家名を継がせ、弟を出家させて寺堂宮を造立すべし」と。そこで、奥社では遠いので朝暮の山坂で充分に祀ることができないので、寺を現在地に移した。
ここで注目したいのは、退転した箸蔵寺を復興したのが土佐出身者であることです。前々回に紹介した地福寺旧記には、次のように記されていました
①退転した箸蔵寺を再興したのは、地福寺の宥伝と、その末寺真光寺の宥寛の師弟コンビだった。②弟子の宥寛は、土佐浪人の倅であった。
次は長宗我部元親に代わってやってきた蜂須賀藩の対応が、どのように書かれているかを見ていくことにします。
箸蔵寺旧記聞伝覚書 現住 仙岳誌 箸蔵寺由来 NO2
一 阿波藩主の先代蓬庵公が巡国の際に、当庵に隠者がいることを聞いて、庵までやって来た。住持は、以前の領主様(大西氏? OR 長宗我部元親?)は、金毘羅大権現の本尊へ供田を寄進されるとともに、自分の祈祷所として保護されていましたと申上げた。これを聞いて蜂須賀家の藩主は、箸蔵寺に対して山内七十七町七反四畝の山林の證文と禁令の制札を下し、藩の祈願所に取立てて保護下に置いた。そして、本社・幣殿、拝殿本堂、鐘楼堂、大門、宝蔵方、庫裏等などが(藩主によって)再興された。ところが寛文七(1667)年四月に、火事が起り、寺、諸堂、 社宝物、 證文などが焼失した。この時に、御手板だけは燒残ったので、現在も箸蔵寺で保存されている。その後、長谷川越前様の仕置の際に、杉桧が生え重るようになっていたので(藩の)御林に組み入れられた。
昔は、ここに制札場があり、次のような藩主の禁令が掲げられていた。一 当山では他所の者が無断で材木を切ることを禁令で禁止する。もし伐採する者があれば成敗する。一 竹の子やひね竹一本でも切ることは許さない。これは堅く守るべきこと。桑や茶の木も、また伐るべからず文禄三年四月三日蜂須賀 御判
しかし、前々回に見たように近世の史料からは、箸蔵寺が諸役御免と無役の下人、畠1町八反三歩の御免を受けていたことは記されていますが、多くの神域を保障されていたことなどには触れられておらずよく分かりません。
私がここで気になるのは、「長宗我部元親=破壊者=悪玉説、蜂須賀家=復興者=善玉説」に色分けされて歴史が叙述されていることです。
長宗我部の侵入の際に、三好郡の神社、仏閣や武士、富裕な農民などの邸宅はすべて焼き払われ、あるいは略奪されたと言い伝えられている。馬場の東福寺、昏石の昏石寺、井ノ久保の大林寺、馬路の明長寺、佐野の最勝寺、野呂内の中蓮寺、大利の真光寺、川崎の安養寺、黒沢の長福寺、新山の法蔵寺、妙蓮寺、州津の奥霊寺等多数の寺々が焼かれたと伝えられている。また、白地城、中西城、漆川城などの城跡周辺には、元親軍との戦いで戦死した武士の墓と伝えられる塚が点々と残っている。
一 茶堂は三間×四間一 大門は三間×六間の規模であったが、35年前に焼失。それを文政九戌年に復興した。一 大門・諸堂社の再興時の材木は祖谷山の喜多源内殿からの寄進で、栗ヶ仁尾という高山に生えていた槻木を吉野川を流して運んできたものである。一 祓(はらい)川と云うのは、弘法大師の加持水で、この水を使って当山参拝者たちが身体の不浄をはらためである。弘法大師は、この川について次のように詠んだ。○身体に積もる不浄(コリトリ)を浄める祓川。○清浄の積る塵垢(こり)拂ひ川(大門の)右手が深沙大様で、怨敵退治の龍神。左手が不動明王で、悪魔降伏の明王である

祓川については、讃岐の金毘羅大権現では、髙松街道が土器川を越える辺りが祓川と呼ばれていました。髙松方面からやってきた参拝者たちは、象頭山を仰ぎ見ながら土器川(祓川)で身を清めました。山岳信仰の寺院は、不浄を浄める川や泉は不可欠でした。また大門の右に祀られている深沙大様は珍しい守護神です。
一 この鳥居の内側は、弘法大師の開山時より、邪(じゃ)結界の霊地で、地名を蔵谷と云う。当山の魔所とされてきた。一年に三度、八丁四方の注連縄を回して、諸人の立ち入りを禁じているエリアである。ここは巌窟から(金毘羅)現権が現れ、弘法大師と出会った場所である。弘法大師は金毘羅大権現から「参詣する諸人に除災興楽を興へよ」という誓願を受けて七堂伽藍を建立した。そして、一年に一度は諸人に不思議を見せ、信仰を生じさせんとして、讃州金比羅から十月十一日の夜に眷属(天狗)に、祭礼に使った頭人祝ひの箸や土器を、この霊窟に運び収めさせたと申し伝えられている。こうして、大祭後の十月十一日の夜の間に箸や土器は金毘羅には壱本も残らずなくなるようになった。
一 これについては天保巳年讃州金光院より御役場へ、箸蔵寺が金毘羅大権現の奥の院と称する由縁についてお訊ねがあった。そこで、箸を蔵谷へ運び収めるとの契約あるによって箸蔵寺と号し、権現出現の時の威光を輝く姿をもって真光院と号すことを伝えた。
ここには、江戸時代に半ばに高野山の高僧が書いた箸伝説縁起が下敷きになったものがそのまま引用されています。そして、琴平の金光院からの詰問に対して弘法大師と金毘羅大権現との間に結ばれた「箸を蔵谷へ運び収める契約」があることを証としたと記されています。

しかし、これは箸蔵寺の一方的な言い分で、本家の琴平の金光院には、箸蔵寺関係の修験者によるの贋開帳記録が次のように残っています。
①天保6年10月 箸蔵寺が、金毘羅の隣りの天領苗田村長法寺で、平家の赤旗など持ち込み、剣山大権現や金毘羅大権現といって開帳。
②11月 箸蔵寺で金毘羅蔵谷出現の奥の院といって開帳。
③天保7年6月 金光院が箸蔵に派遣した調査報告では、神体は岩屋で神像はなかった。④天保15年 箸蔵寺で贋神号事件が再度発生、
⑤弘化2年4月 贋縁起札守版木など、郡代役所から引渡され、一応落着。
⑥嘉永二年 箸蔵の大秀という修験者が、多度津で銅鳥居の勧進を行い、多度津藩に召捕えられる
⑥嘉永4年、 箸蔵寺、再度贋開帳。
一 当山は東西に伸びた山の形が宝珠に似ているので寶珠山と弘法大師が名付けた。一 以来、この山は不入の山とされてきた。文政年間の初めからは修験者宗休が蔵谷の八丁下りに堂を作り、十二ヶ年余りに渡って長期間の修行を行ってきた。その後、当山に身を隠した。この行者の験のお陰か、三月、六月、十月十一日十二日の一年に三度、金毘羅大権現が現れた。人々は、山に拝礼し、信心の者は精進潔済して当山に参詣した。年を経て、この行堂も痛みがひどくなったので、七年巳前に三間四方の行堂を再興した。この地は、谷底なので百三十間の岩石が一面に続く瀧がある。一 ここは今は畠地になったが、昔はここに三重塔があって、字名も三重塔床(跡)と伝えられている。
最後に、善女龍王の勧進について見ておきましょう。
善女龍王は、弘法大師伝説のひとつのジャンルです。善女龍王が讃岐で最初に勧進されるのは、17世紀後半の善通寺です。善通寺を中心に善女龍王伝説は広がっていったようです。その流布ラインが箸蔵寺にまでおよんでいたことがここからはうかがえます。一 当山、霊山とされるのは、本社より25丁上の山の峯に、弘法大師が善女龍王を観請し、往来の諸人の渇の乾きを癒やすために、加持して湧き出した一杵(いっしょ)の由来にもとづく。旱魃之際にも、この泉が水量が一定で枯れたりすることないので、諸人は「壱升水」と呼ぶ。今年のような旱魃の時には、諸国からこの霊水を持ち帰り、雨乞祈祷を行う。その効験あることは世間の知る所である。ある時には善女龍王は小蛇に化身して社頭に姿を見せることもある。まことに不思議の霊場である。
さて、最初の疑問に戻ります。この文書は何のために書かれたかということです。末尾には「このように藩からのお訊ねがあるときには、住職は以上のように答えてきた。」とあります。これからは藩などの公的機関からの問い合わせに対する想定問答集であったことが分かります。江戸時代後半になると大きな寺院では藩の問い合わせに対して、このような想定問答集が常備されていきます。それを書き写し残したのが幕末から明治にかけて活躍した仙岳だったと私は考えています。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献
「宝珠山真光院箸蔵寺調査報告書 2004年 池田町教育委員会」
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