瀬戸の島から

金毘羅大権現や善通寺・満濃池など讃岐の歴史について、読んだ本や論文を読書メモ代わりにアップして「書庫」代わりにしています。その際に心がけているのは、できるだけ「史料」や「絵図」を提示することです。時間と興味のある方はお立ち寄りください。

まんのう町図書館の郷土史講座で、以下の通りお話しすることになりました。
テーマ 西嶋八兵衛と満濃池
日時 6月28日(日) 10:30~12:00
場所 まんのう町図書館
定員 20名(要予約)
詳しくは、こちらを御覧下さい。
https://tono202.livedoor.blog/archives/34613262.html#:~:text=%E6%9C%8804%E6%97%A5-,%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%86%E7%94%BA%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E9%83%B7%E5%9C%9F%E5%8F%B2%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E3%80%80%E8%A5%BF%E5%B6%8B%E5%85%AB%E5%85%B5%E8%A1%9B%E3%81%A8%E6%BA%80%E6%BF%83%E6%B1%A0,-%E4%BB%8A%E5%B9%B4%E3%82%82%E3%81%BEまんのう町図

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島の港町を歩いていると
井戸が大切に保存されているのを見かける。

港町の家は、海に近いので水はよく出る。
しかし、塩辛く飲み水には適さない。

そこで、水筋のいいところに共同井戸が掘られている。
昔は、井戸の周りには人が集まり、話の花を咲かせたという。

古いお寺には必ずと言っていいほど、
一枚石を使ったしっかりした共同井戸が残っている。

いい水は、沖ゆく船の寄港の条件でもあったようだ。

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島や港には、時代の流れの中で姿を消したものが
まだ現役で使われていたりします。

これもそのひとつ。

宇野港の岸壁にありました。
まだ現役のようです。
ナンバープレートがついていました。

「オート三輪」については、
下のkuniさんのTBをご覧ください。

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小豆島土庄港から宇野行きの
フェリー始発便に乗りました。

この船は、豊島(てしま)の2つの港に寄港しながら宇野をめざします。

一枚目 登ったばかりの朝日が、雲間から姿を見せ、海が輝きます。
    白い灯台は、十字架の柱のように見えました。

2枚目 30分で唐櫃(からと)港へ寄港。
    小豆島から豊島に、通勤する人たちが「上陸」
    わずか2分で再出港。

3枚目 沖には、海苔網の手入れに漁船が、早くから出ています。
    後ろの山なみは小豆島です。

4枚目 明けていく海で、同僚船とすれちがいます。
    豊島の高校生たちは、この船で土庄高校へ通います。

瀬戸の島の人たちの生活が見えてくる豊島航路です。

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小豆島を牛の形のたとえると、
しっぽの付け根にあたる灘山の海岸

ふたつならんだもの なーんだ?
直島のような現代アート作品が小豆島に登場?

残念ですが
こうして使われていました。

働く自動車と採石された石を運ぶ「海のダンプカー」です。

どこへ運ばれていくのかは、私には分かりません。
ご存じの方がいらっしゃたら、教えてください。

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寒霞渓裏八景の「石門」の
すぐそばにある札所なので「石門洞」

一枚目 渓谷の断崖にある洞窟に、本堂が開かれています。
    階段の右の岩壁には、不動さんが睨んでいます。

2枚目 近づいてい見ると、不動さんの肘から伸びた
    もみじの小枝は、今が紅葉の見頃です。

3枚目 空海さんは、もみじの下を急ぎ足で歩み去る気配
    このもみじ、上からはどう見えるのかな?
    階段で本堂に登ってみました。

4枚目 窓から下を見下ろすと、こんな光景でした。

寒霞渓の谷筋にあり、標高の低い石門洞。
12月初旬までは、楽しめそうです。

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小豆島寒霞渓の裏八景を歩いてきました。
寒霞渓の紅葉の売り物のひとつは、
「奇岩を背景にした錦秋です。」

一枚目、法螺貝岩です。
巻きがかかった法螺貝に見えるかな?

2枚目何に見えますか?
私は、水木しげるの描く妖怪、一反もめんに見えます。
でも、昔の文人の付けた名前は「幟岳」(のぼりだけ)

3枚目は、天然の石橋のアーチです。
名付けて「石門」


寒霞渓の裏八景 紅葉は12月初旬まで楽しめるようです。

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今回は、どんな役割を持っているのか私にも分かる船を紹介します。

まずは「LPG」タンカーです。
プロパンを運ぶので「ぷろぱん丸」
分かりやすいです。船名はこうあって欲しいものです。

次は、コンテナ船です。
こぼれ落ちそうなくらいのコンテナを積み上げて
大阪港を出て行きます。
どこへ行くのでしょう? 私にはわかりません。

最後は神戸沖を行くセメント運搬船です。
船体にそう書いてあるから分かります。
この船のように、自分の役割を船体に書いてくれたいたら
私にも分かるのに・・・。

この程度が、私の船の理解です。
以上、報告終了

なお、説明に間違いがあれば、教えてください。
また、補足説明も歓迎です。
よろしくお願いしま。

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小豆島を牛にたとえると
しっぽの付け根あたりにある恵門の滝

ここも○○の滝と名前がついていますから
断崖と洞窟があり修験道の行場です。

そして、島で一番行場の雰囲気を残している所だと
私には思える札所です。

狭い道を登り詰めてたどり着くと山門。
さらに急な階段を登ると洞窟にふたをしたように
本堂がへばりついています。

中は、洞窟。
いちばん奥では、密教の護摩祈祷が行われます。
最初に、これを経験したときには「異文化体験」でした。

護摩が終わり、窓が開かれます。
外の紅葉が、また違って見えました。

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男木島灯台の沖に大きな客船が現れました。
西から東へ進んできます。

豊島の札田岬の電波灯台まできました。
西風が強いので、船の煙は進行方向に流されていました。

後から来た巡視船が追い抜いていきます。

姿が見えなくなるまで、フェリー甲板から眺めていました。
「海の貴婦人」と豪華客船を
呼ぶ意味が分かったような気がしました。

なんという客船かは分かりません。
また、お教え下さい。

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今日、久々ぶりに車を乗せてフェリーに乗船しました。

紅葉狩りの観光バスも乗り込んできます。

舫綱がとかれて、出港です。
銅鑼も鳴りませんし、テープも飛びません。

高松の陸地が遠ざかっていきます。

出船・入り船の言葉通り、直島からのフェリーが
赤灯台から入港してきます。
瀬戸の都、高松のいつもの光景です。

海の上の風は冷たくなりました。
もう甲板で過ごせるのも、あとわずかになりそうです。

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土曜日に寒霞渓からの帰りに、清滝さんへ寄りました。
島の札所では一番高いところにあります。

この札所も絶壁にへばりついたような所にあり、
洞窟を覆うように本堂が建てられています。
かつての修験道の行場であったところです。

ここは、すぐそばを寒霞渓への道が通っています。
でも、観光バスは、ここを通り過ぎていきます。

島外からのお客さんを、連れて行くと
喜んでいただける所でもあります。

ここの紅葉は、まだまだこれから。
12月初旬がピークになりそうです。

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ぼく、たかし!

ミニチュアDAXにしては、大き過ぎるので
ミニマムDAXだなんて陰口いう人がいるけど
自然の中で、元気いっぱい走り回って大きく育ちました。

今日も、おばあちゃんのしゃえんじゃり(家庭菜園)の出来具合を見に来ました。

まずは、定番のジャガイモ。土の中で、今大きくなっています。

次は、ミズナ。噛んでみると、甘くておいしい!
緑不足を補うには、最適です。

それでは最後。これなんだ?

讃岐の西讃では「百葉」(ひゃっか)
中讃では「千葉」(せんば)
東讃では「万葉」(まんば)
同じ野菜なのに、地域によって呼び名が違います。

まるで東にいくに連れて、大きくなる「出世魚」みたい。
お母さんは「けんちゃん」(とうふをいれた雪花)にします。
でも、ちょっと苦くて、ぼくは嫌いです。

お母さんは、まだ骨をしゃえんじゃりに植えてくれません。
いつ植えてくれるのかな?

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23日にお客さんを案内するので
下見に寒霞渓へ行ってきました。

いつものとおり、「四望頂」バス停のイロハもみじをチェック
先週の日曜日は、枝先3部ほどの紅葉でした。
今日は、全体に回っていますが下の方は、まだまだ緑。

おさるさんも紅葉狩りに来ていました。

四方指まで足を伸ばしました。
曇って、風も冷たいけど、空気は澄んでいます。
鳴門大橋も、四国の剣もはっきり見えました。

紅葉のピークは、予想どうり今週末くらいのようです。

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昨日に引き続いて屋島・四国村からです。

ここで、もうひとつ見ておきたかったもの。
小豆島の小部地区から移築された農村歌舞伎舞台です。

幕末に建てられ、人々を楽しませてきたこの舞台は、
映画やTVの普及とともに島では、使われなくなりました。

今は、屋島・四国村で野外劇場として、コンサートなどに使われています
第2の人生を、こういう形で送れるのは、幸せ者だとおもいます。

ついでに、今でも小豆島で現役で農村歌舞伎舞台と使用されているものを2つ紹介。
2枚目は、中山のもので10月に公演
3枚目は、肥土山のもので5月に公演があります。

あとひとつ、大阪に移築されたものがあるそうです。
これも、いつか会いに行きたいと思っています。

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いつものよう小豆島と高松を結ぶ船の甲板から
見かけた私にとっての謎の船です。

一・2枚目は タッグボートに牽かれて、
ゆっくりと西から東へ進んでいました。
扇風機みたいなのは、何に使うのかな?

3枚目は、一瞬、潜水艦に見えました。
変種の艀なのかな?

謎の船に出会うと、心がウキウキして来ます。
好奇心が刺激されるからでしょうか。
適度な「刺激」は、必要ですね。

分かる方、また教えてください。

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BSで映画「喜びも悲しみも幾年月」を見て、
備讃瀬戸の灯台めぐりを始めました。

まずは、与島の鍋島灯台です。
御雇外国人ブラントンの設計で明治5年に完成した、
備讃瀬戸では、一番古い灯台だそうです。

瀬戸大橋の下で、行き交う船を見守っていました。
でも、灯台は残ってますが、
灯台守が暮らした「退息所」はありません。

高松の屋島・四国村に移築されていると聞いたので、追いかけてみました。
行ってみてびっくり。

切り出した石を積み上げた「石の建物」です。
煙突の下には、暖炉があります。
正面にはギリシャ風の円柱までついています。
内部は全て洋室です。

西洋から持ってきたような建物です。

でも乗っているのは瓦屋根。
「和洋折衷」というやつです。

「おもっしゃ!」と呟いてしまいました。
なんか、はまってしまいそうな予感・・・です。

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名水がわき出す湯船山に登りました。

境内の大杉の葉が茶色に「紅葉」。
枯れかかっているようで、元気がありません。

見上げると、緑の葉の枝もあります。
死んではいません。

幹に触っていると、ほこら発見。
中には、お地蔵さんが座っています。

杉中矢久與家地蔵(すぎなかやくよけじぞう)と
命名されているようです。

そして、玉垣から下を見ると千枚田です。

先日降った雨の後、田んぼは使いこまれて
黒土がのぞいています。

春の田植えに向けた準備が、もう始まっています。

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小豆島の北西部、島を牛にたとえると肩にあたる小江(おえ)の集落
海峡で隔てられた向こうに沖の島。

「渡船」の看板を見つけて、桟橋に出る。
町営渡船「うずしお供廚、舫である。

100辰曚匹粒ざを、この船が結ぶ

おそるおそる「渡りたいですけど・・」と、声をかける。
「よっしゃ」と、おじさんがもやい綱を解いて出港。

運航予定表らしきものが船内に張ってあったので、
帰りの便の確認のために「次の便は何時ですか」と聞くと、

「渡し場に立って、手を振ったら迎えに行ってやるわ」と、
ぶっきらぼうな返事。
いっぺんでこの渡船が好きになりました。

かつては、この船に乗って嫁いでいく花嫁姿の写真を作詞家が見て、
「瀬戸の花嫁」が生まれたと聞いています。

こんどこの船に花嫁が乗るのは、いつのことでしょうか。
その日には、お祝いの心とカメラを持って、
この小さな桟橋に立ちたいと思いました。

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牛の形をした小豆島、その肩にあたる伊喜末(いぎすえ)
冷たくなった風の中、原付を走らせる。

サツマイモの収穫が終わった畑に、イモズルが捨て置かれている。
来春の肥料になるため、地に還っていくのだ。
輪廻やな。と呟いていると・・

何かしら見慣れないものが、畑の向こうに2本見えてきた。
好奇心が騒ぎ出す。
原付を止めて近づいてみる。

芋づるを集めて、塔にしてある。
かつては、藁を集めて塔にした「藁ぐろ」は晩秋の風物詩だった。
では、これは「芋ぐろ?」

なんのためのものか、私の辞書には載っていない。
知っている人が、あればお教え下さい。

追伸
分かりました。http://app.blog.livedoor.jp/oh_live/tb.cgi/50043729をごらんください。

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島外からのお客様を案内して、日曜日に札所の笠が滝に行ってきました。
ここは、修験道の行場になっている札所です。

岩壁にお堂が張り付いているように見えます。
石段もなく、いきなり岩場を登ります。

ハイヒールを履いた女性は、登れません。
でも、これを登り、くらい洞窟を抜けるとそこは・・・

さらに、その上には13重の塔が立ち、
地蔵様が下界を、見守っていました。

「島遍路の聖地」と、私は呼んでいます。
ご案内した方々も、無事に下りてこれました。

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島外からのお客様を案内して、日曜日に寒霞渓に行ってきました。
登りはロープウエイ、下りは「表12景」を歩いて降りました。

先日の寒波で、朝の気温がぐっと下がったため
広葉樹は急速に色づき始めていました。

でも、稜線や登山道沿いのモミジは、まだまだこれから。
やはり、11月25日前後が「全山紅葉」のピークあたりになりそうです。

寒霞渓の紅葉のセールスポイントは、以下の3点だそうです。
[鮖砲涼罎如△發澆犬鮨⇔咾靴討たため「赤い紅葉」。
◆岼貶睇慣福廚隼躾佑詠んだように、奇岩の中の錦秋の変化。
青い海をバックにした紅葉をロープウエーで上から見れる。

案内した人たちからも、満足した声を聞かせていただき
島に住む者として、嬉しい日曜日となりました。

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島遍路・笠が滝への道で、
白いすだれのようなものが目に入ってきました。

近づいて見ると、素麺の天日干しです。
小豆島では、江戸時代から素麺が特産品として有名です。
「島の光」という名前で、親しまれています。

作業中の主人に声をかけて、いろいろなことを教わります。

昨日から練って伸ばした麺を
今日は晴れたので天日で乾燥させているそうです。
長い箸で麺の付着した部分を、ほぐしていきます。

乾燥が終わった素麺は、決まった長さに切り、
結束し箱に入れ3~6ケ月間熟成してから、
来年の春先くらいから出荷されるそうです。

秋の青空の下で、白い素麺がきらきらと
輝いているように見えました。                                                           

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島を牛の形にたとえると、前足の最先端にある地蔵崎

ここが地蔵崎と呼ばれるようになったいきさつを、
土地の人たちはこう言い伝えている。

昔、この岬を行き交う船が、悪霊によって幾度も沈められた。
そこで、船乗りたちは地蔵様を安置し、悪霊の悪さを封印しようとした。

以後、地蔵様の力で悪霊は現れなくなったので、
いつしか地蔵崎と呼ばれるようになったと・・。

その地蔵堂が岬の海岸に今でも建っていると聞いて、昨日訪ねてみた。
地蔵崎灯台の下の海岸に下りて探す。

それらしきお堂があった。
なかには、穏やかなお顔の地蔵様が海を見つめて
座られていました。

いまは、地蔵さんの化身の灯台が船を守っています。
その沖の備讃瀬戸を、今日も船が行き交います。

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備讃瀬戸を行き交う船は一日2000隻
その多くは、200伝宛紊痢崙盥卅ァ廚任后

この船のスカートの下(水面下は)、どうなっているのでしょうか?
点検のために、どぶち海峡の小さな「ドック」に入っています。

氷山と同じで、船は海の上に見えるより海面下の方が大きいのがよく分かります。

この船は山口県、上関に船籍がある内航船のようです。
船には洗濯物が干してます。

何ヶ月も瀬戸内海を行ったり来たりしながら、
今度、上関に帰るのは正月だそうです。

長い船旅で、痛んだ船底のさびや亀裂を修理していました。

陸で暮らしている私たちには、目に入ることが少ないのですが
大切な役割を果たしている瀬戸内海の内航船です。

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島を牛の形にたとえると、心臓のあたりにある肥土山。

この地区の小学校の前を歩いて、
何気なく見た校碑に、目が引かれました。

碑文の周りに並べれているのは・・・
そして、門柱を見ると、それは・・・
二度、びっくり。

島では、江戸時代からそうめんの製造がさかんです。
電気モーターの使用以前は、これで小麦を粉にしていました。

お役後免になった石臼や摺臼たちは、
こうして第2の人生を、門柱として
子供たちの登校する姿を見つめながら送ってきました。

過去形なのは、この小学校も児童数減で
今春に廃校になったからです。

こどもの声がしなくなった学校にも
秋の優しい日射しがさし込んでいました。

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島巡礼43番札所浄土寺は、
千枚田のある中山の奥にひっそりとあります。

お城のような石垣を階段で抜けると
播磨からの巡礼団が、お参りを済ませて帰って行くところでした。

ごらんの通り、本堂は藁葺きです。
黒い鬼瓦と年を経た屋根、そして青い空。

何か足らないような・・・

「古い屋根には、ツメレンゲがよく似合う」という
昨日、私が作った言葉からすると・・

そうです。
ここにも藁の屋根に「ツメレンゲ」が根付いていました。

強い風が吹き抜けた翌日の備讃瀬戸
瀬戸の海は、いつもの穏やかさを取り戻している。

フェリーの甲板から傾く太陽を見ていると、
左手方向から貨物船が近づいてくる。

シャッターを押す。
1枚目 東から西へフェリーの舳先をすり抜けて行く船
2枚目 後に回り込んで、夕陽の中の船
3枚目 すれいちがいの後、西に離れていく船

こちらも動いているので、見える風景が変わっていく。
シークエンス(動的風景)というそうだ。

明治に、ここを蒸気船で通過した西欧人が
瀬戸内海を賛美したのが、この楽しさだったらしい。

そんなことを、思いながら遠ざかる船を眺めていた。
風を寒く感じ始めた備讃瀬戸東航路から。

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島の丸瓦をのせたような古い民家の屋根。
この時期に白いネコのしっぽのようなものがにょきにょきと出てきます。

昨日のブログで「これ何ですか」と、
聞いたところ「ツメレンゲ」だと教えていただきました。

私の「発見」を報告します。

,發箸發箸六海隆笋覆匹棒犬┐襦
△泙譴法△佞土をおいた古い民家の屋根にも根付く。
この時期に、「しっぽ」を伸ばし、白い小さな花をつける。
つ祖灰ロツバメシジミは、この葉しか食べない。
セ殻鄙陲箸靴討眇裕いあり、絶滅危惧種に指定されている。

最後にある新聞に載っていた老瓦職人の言葉を紹介します。
「名も知らん、ふき土を弱らせる厄介者やけど、
 長い年月を経た屋根にしか見ん。
 眺めていると、その家や町の歴史を雄弁に物語っているようで、
 敬意すら感じたねえ」

いろいろなことを、考えさせてくれた「発見」でした。
どうもありがとうございました。
今日、写真を撮り直してきましたので、再度アップします。

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土庄小学校の隣のしょうゆ屋さんです。

「古いええ建物やな」と思っていたら、
いつの間にか「登録有形文化財37ー0197~0198」に登録されていました。

島の醤油屋さんは、古い建物を大事に上手に残して、使っています。
近代化という波が一巡した今、これが貴重な物になっています。

でも今日のお題は、3枚目。
古い丸瓦の屋根に、この季節目立つこの草。

白い穂のようなものを出して、瓦の漆喰に根を下ろしているように見えます。
島以外の瀬戸の古い港町でも、よく見かけます。

図鑑を調べても私の力では、分かりません。
何という花か、知っている方、教えてください。

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土庄港にオリーブの木々につつまれるように建つ群像。
小豆島を全国区の観光地に、押し上げた記念碑なのかもしれません。

1954年 高峯秀子版
1987年 田中裕子版
2005年 黒木瞳版(TVドラマ)
の三回、映画化されています。

この像は、映画の大ヒットを受けて2年後の56年に建立されたようです。
ちょうど今年で50年目になります。
大石先生の顔は、高峰秀子さんにそっくりだったそうです。

地元では「二十四の瞳」を読んだことも、見たこともなく
高峯秀子も知らない世代が増えていました。

昭和も遙かになりにけりでしょうか。
でも、昨年の黒木瞳版で少々「認知度」が高まったようです。

平和と幸せを求める願いが込められた「平和の群像」
その思いを、大切にしていきたいと思います。

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ぼく、たかし。
今日は、家の「しゃえんじゃり」のパトロール

しゃえんじゃりというのは、農家の「家庭菜園」のことらしい。
いろいろな野菜を、おばあちゃんが植えてある。

おばあちゃんとお母さんが、サツマイモを掘り出している
近づいてみると、大きな芋が土の中からでてきました。

僕も掘りたいワン。
お母さんは、今度焚き火をしたときに焼き芋にするそうです。

ぼくは、イモは嫌いです。
畑に「骨」を、植えてくれたらと思います。

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小豆島を牛の形になぞらえると、喉の部分にある札所「西の滝」に登ってきました。
青い空に突きだした岩山に、へばりつくように伽藍が建っています。

島遍路で「○○の滝」と名前のつく札所は、修験道の場所だったようで
断がいと洞窟をあわせ持ち、展望も素晴らしい所が多いのです。

ここも山門から振り返ると、備讃瀬戸が眼下に見えます。
晴れてはいるのですが、靄がかかって視界はもうひとつ。
沖ゆく船はかすんで見えます。

浪もなく穏やかですが、ちょうど潮目時期なのでしょうか。
だれかが、海に文様を描いたように見えました。

紅葉には、少し早い島の秋です。

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高松と島を結ぶフェリーから船を見ていると、
この季節、一番目にするのがこのタイプの漁船です。

小型底引き網船というそうです。
網を海底まで下ろして、底ものを狙っています。
おこぼれにあずかろうと、ウミネコが集まってきます。

何が揚がっているのか知りたくて、
島で一番元気な漁港・四海を訪ねました。

波止場に、何か干してあります。
ゆであげると赤く染まるからアカエビだそうです。
天日で2、3日干すといい匂いがして、つまみには最高!

でも、値段は安く漁師さんにとっては「油代もならん獲物」だそうです。

そのそばに干してあったのがこれ。
「これ干して、どうするんな? 食べるんな?」
「釣れたけど、海に還すのが腹が立つけん、日干しの刑にしよんじゃが・・」

釣り人の言葉に「ぎゃふん」でした

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牛の形をした島のお腹あたりが西村の集落。
この丘に開かれているのがオリーブ公園。

オリーブの木の中から、青い空を突き刺すように伸びている十字架。
エーゲ海ムードを出すための演出かと思ったら・・・とんでもない。

420年ほど前のこと、この島の領主となったのがキリシタン大名・小西行長。
彼はイエズス会の神父を保護し、この地に教会を建立しキリシタンの楽園を計画。

しかし、その後の禁教で迫害と殉教を受け、島からキリスト教徒の姿は消えた。

400年後の1986年に、ローマのバチカンから「平和と友愛」の
シンボルとして贈られたのがこの十字架

オリーブの木の中に、すくっと建っています。
まわりのオリーブの実も、収穫の時期を迎え黒く熟していました。

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日本名水のわき出す湯船山の札所から
ヒコバエが出始めた千枚田のあぜ道を下りていく。

見慣れない建物が田んぼの中に建っている。
遠くから見ると輝く水面が見え、お風呂のようにも思える。
う~む、こんな所に露天風呂かと一瞬、思う

近づいてみる。正体は?
湯船山の名水を引き込んだ共同洗い場だ。洗濯機も置いてある。
澄んだ水が、惜しげもなく流され続けている。

その上の田んぼでは、
もみがらを昔ながらの方法で、焼いている。
「芋を焼いたら、おいしいやろな」と、つい思う。

大師と同行二人というより
煩悩と二人三脚で歩いていた秋の半日でした。

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小豆島の北西部の札所を歩いていると
いやでも目に入って来るのがこの観音様。

大きいです。
岡山の牛窓からも親指のように、飛び出しているのが見えます。
私は最初、ウルトラマンかと思いました。

このお寺は、島の札所ではありません。
地元では、もうひとつ人気がないようです。

私も最初は、視野の中に入れないようにしていたのですが・・
それもやはり、不自然で。

頭まで、エレベーターで上れるそうです。
今度一度、上って来ようかとも思っている今日この頃です。

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高松と小豆島を結ぶフェリーの甲板から
船を見ています。

備讃瀬戸は一日に2000隻の船が通るそうです。
いろいろな船が行き交います。

その中で、私にはどんな役割を持った船なのか分からない船がたくさんあります。
そんな謎の船を、紹介します。

分かる方がいらっしゃたら教えてください。

1番上は、鉱石運搬船かな。かなり大きい船です。

2番目は、よく見かけます。瀬戸内海を頻繁に行き交ってます。車運搬船かなとも思ったりするのですが・・。

3番目は、備讃瀬戸のど真ん中で、停船していました。双胴船です。何かを調査しているようにも見えました。

4番目は、今にも沈みそうに見えます。海の砂利採取船かな?

海の上も不思議がいっぱいです。

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東山魁夷の博物館に行ったついでに、沙弥島へ行きました。
島と言っても、今は埋め立てで陸続きとなっています。

島の長崎の鼻の入り江に、柿本人麻呂の碑が建っています。
彼は、ここのくぼみに骸となった死者を見て、
ともらいの長歌を詠んでいます。

ちょうど太陽が西に傾き、高見島に隠れようとしています。
漁を終えて、港に帰る漁船が通り過ぎていきます。

雲が一瞬強くかがやき
そして、サンセットです。

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ぼくは、今日は見張り番
おばあちゃんが畑で取れた小豆をほしています。

乾してたたいて、皮から出して・・。
終わるまで、野良犬も野良猫も通しません。

明日は、これを蒸してアズキご飯だそうです。
でも、ぼくはアズキご飯は嫌いです。

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銚子渓にあるお猿の国の展望台に登ってきました。
秋の快晴で空も海も真っ青。
毛繕いをしている猿まで青く染まりそう。

空気も澄んで岡山牛窓方面が、思いの外に近くに感じられます。
真下には残石公園のある小海(おみ)の漁港。

その沖には海苔網が規則正しく広がります。
ちょうど昼時、作業を終えた漁船が2隻、
白い航跡を残して港に帰ります。

石の上に座り込んで、
猿と一緒に、眺めていました。

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島で一番元気な漁師集落・四海(しかい)
等空庵でお参りを済ませ、次の松林寺への道を歩み始める

黒い焼き杉の壁に白い漆喰の土蔵、
いいふんいきだ。

うん! なに・・

近づいてしっかり見つめる。
ニヤリ

時を経ると、打ち付けられた標識もとけ込んでいるよう。
私は癒されました。

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牛の形をした島の背中中央にある小海(おみ)集落。
北に開けた海の向こうには、岡山の牛窓が見える。

この海岸に一列に並べられた石たち。
ただの石ではない。
おおそれおおくも・・
この石には、肥後細川家の印章が刻まれている。

大阪夏・冬の陣で、破壊された大阪城再建の石垣は、
船で運ぶに便利な瀬戸の島々から切り出された。

大阪城工事完了の「お達し」が島に届けば、お役ご免。
細川家の役人・人足は島を去り、石だけが残った。
人呼んで「残念石」、あるいは「残石」

どうやって運ばれたかは、写真で推察あれ。
いまは、りっぱな公園ができています。

これも瀬戸の海を行き交った「船」として、
私は「登録」しています。

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島遍路は、四国遍路のように立派なお寺さんばかりではありません。
集落の人たちが守り続けているお堂も、札所になっています。

住職さんはいないけれども、地元の人がお接待をしたりしています。

ここは小豆島遍路 第七十三番救世堂です。
いつものように般若心経をおつとめして、堂のなかにはいると

あら・・
「自由にどうぞ」の言葉が・・・
これも接待の一つのかたち。

ありがたくいただき、合掌。

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島を牛の形になぞらえると、後足の付け根の場所にある苗羽(のうま)の町並み。
島遍路で、このあたりの札所をまわっていると、懐かしい匂いがしてくる。

もろみのにおいだ。
このあたりは、醤油造りの蔵元さんが倉庫を並べている。

よく見ると「登録文化財」の認定書が、あっちにもこっちにかかっている。
これだけの狭い場所に、「登録文化財」が密集しているのは、四国ではここだけだろう。

中をのぞいてみると、大きな木の樽が置かれ、今も現役で使われている。
そういえば、二十四の瞳の壺井栄の父も醤油樽作りの職人だったと聞いている。

汗にまみれた若い頃の苦労の連続が、薄暗い蔵の中でもろみを醸し出すように、
彼女の胸の中で暖められ、40歳を過ぎてから作品として結晶していったのかもしれない。

そんなことを考えながら醤醢の町並みを、
次の11番札所の観音堂めざして歩いた。

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 = 島遍路の途上で出会った石仏たちを紹介します。=

目に入ってくる石仏たちが、
大切にされていることがよくわかります。

かわいくなって、なでなでして、
そして合掌です。

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島遍路をしていると、札所の墓所で必ず見るの。
それがこのピラミッド。

古い墓石を集めて、積み上げている。
処分するのではなく、集めて積み上げ新たなモニュメントになっている。
島らしい気遣いだと思う。

更地になった墓地には、新しい墓石が並んでいる。

どうも同じ時期に、島全体で一斉にこの「ピラミッド」作りにとりくんだ気配。
古老にきいても、町史を調べても、分からない。

私にとっては島の七不思議のひとつ。

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三都半島の付け根にあたる段山(551叩砲ら内海湾を見下ろしています。

一枚目、正面の山が島遍路の第一番札所のある洞雲山
    この下の町並みが醤油倉の並び、落ちついた雰囲気の苗羽(のうま)
    湾を外海から隔てる半島は、わずかばかりの砂州でつながっています。

天然の良港として、この内海湾は古くから利用されていたのが納得できる光景です。
いまでも台風が西日本を通過する際には、
瀬戸内海を航海する内航船100隻近くの船が、この湾に入って避難します。

2枚目は、その西で内海湾の入口にあたります。
    手前の山裾に開けるのが西村、オリーブ公園があります。
    湾を隔ててむこうがわが田浦。「岬の分教場」が、細いくびれた場所にあります。
 
二十四の瞳では、足をくじいた女先生は、
この海を伝馬船でこちら側の西村に帰っていきました。

その向こうの小さな島が福部島。
そのかなたに、四国志度の半島がかすかに見えます。
霞のかかった瀬戸の一日です。   

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島遍路の第一番洞雲山からきつい坂道を降りてくる。
坂手の集落を見下ろせる小高い丘の上に、その文学碑はあった。
碑文の前には、醤油の島らしく大きな石臼や藍瓶が置かれている。

二十四の瞳の原作者・壺井栄のものだ。
近づいてみると
 桃栗三年
 柿八年
 柚子の大馬鹿
 十八年
と読める。

「なんのこちゃ わからん」と呟き、また遍路道を歩く。
でも、語調がいいので、つい口の中で般若心経の一節のように唱えてしまう。
そして、私の記憶に残る。

後日、訪れた「岬の分校」にある壺井栄記念館に、夫である壺井繁治がこうコメントしている文章に出会った。
 大馬鹿と軽蔑される柚子でも、18年もすれば実がなる。
 下積みの民衆に対する共感と、40歳を過ぎ 、
 作家としての出発が遅かった栄自身を比喩したものでは・・」

そうか 「大馬鹿」には、「慈愛」が込められていたのか。
それでやさしい響きがあるのかと、自分で納得。

そして、わたしの好きな言葉となった。

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小豆島遍路道 石門への道で見つけた言葉です。
看板が壊れ、地面に落ちていました。
地に還っていく途上です。

遍路道を歩いていると、いろいろなメッセージが投げかけられてきます。
言葉であったり、風景であったり、仏像であったり、
そのメッセージへの自分なりの回答を考える。

これも遍路道の楽しさのように私は、思っています。

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秋のよく晴れた朝の内海湾。
晴れてはいるんですが朝靄が出ています。
鏡のような海をサン・オブ・シーが航跡を残して高松へ出港していきます。

船の向こうの半島の低くなった所に、
映画「二十四の瞳」で使われた「岬の分教場」があります。

こちら側の西村地区から向こう側の田浦までは、直線距離では2丗らず。
船で行けば数分の距離です。
でも、陸路だと、ぐるっと内海湾を回らなければならず13劼砲覆蠅泙后
それを、小説の中で大石先生は自転車で通いました。

岬の分校のセットは、海のすぐそばにあり潮風を受け、
年月を絵重ねるにつれ存在感を増したように見えます。

教室の中は、昭和の初めの雰囲気が残されています。
机に置かれた訪問者ノートには、教師の卵の決意が書き込まれたりしています。

ロケーションがいいからでしょうか、
観光地ですが、私にとっては落ち着く場所です。

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