金毘羅犬2

金毘羅大権現には、江戸時代には「金毘羅狗」という代参スタイルがあったようです。これは飼い主が自分に代わって、犬に金毘羅参りをさせる「代参」です。今回は金毘羅狗(犬)について見ていこうと思います。テキストは「  豊島和子 犬の金毘羅参りをめぐって  ことひら48 H5年」です。
『金刀比羅宮崇敬史』には「金毘羅狗」のことが次のように記されています。
飼い主は「金毘羅参り」と書いた札に、自分の住所・氏名を書いて、この札と道中費用の入った財布を犬の首に結び付けて、往来に放します。東海道を上る旅人たちがこの犬を見つけると、自分の目的地まで連れて行き、その地で再び犬を放ちます。するとまた別の民衆がその犬を連れて、目的地まで連れ歩きます。

金毘羅犬5

こうして数人から十数人の手を経て、瀬戸内海を渡る金毘羅船にも乗って、犬は目的地の琴平に到着します。その間、旅人達は犬の財布から実費分のみを取り、餌を与えています。また「代参犬」を受け取る金毘羅大権現では、社僧がその財布から「初穂料」を取り、厳重に包装した「御守札」を犬の首に掛けます。帰りは行きと同じように、各地域の人たちに順送りに連れられ、犬は無事飼い主の元に戻ってくるというシステムです。
 この風俗は、特に関東地方で行われていたようで、自分では金毘羅参詣ができない民衆の篤い信仰心と、遠隔地巡礼への願望が結びついた苦肉の策とも云えます。
金毘羅信仰は近世後期には全国的な広がりを見せ、19世紀前半の文化文政の頃になると、「一升に一度の伊勢参りと金毘羅参り」と云われるようになります。関東地方の民衆は、伊勢詣と共に一生に一度の金毘羅詣を念願していたようです。

金毘羅犬6

文化十二年(一八一五)頃の奥羽の『陸奥国信夫郡・伊達郡風俗間状答』には次のように記されています。
「伊勢参宮、江戸・京・大坂・大和、近年は金比良迄、一代に一度参る。三度参る者は稀なり」

とあり、奥羽からも参詣者が少なからず金毘羅大権現を訪れていたことがうかがえます。このような金毘羅信仰の高まりを背景にして、人々は金毘羅参りの犬を見ると、仏教的にいえば功徳を積むために喜んで世話をしたのかもしれません。
 これは金毘羅参りだけでなく四国遍路の「接待」や伊勢参宮の施行などの「おもてなし」も同じかも知れません。遍路を向かえる四国の人々には、死者供養や、他の人々へ施行を行うことが自他の滅罪と説かれていました。

金毘羅犬3

『金刀比羅宮崇敬史』には、明治末期の「讃岐琴平の犬」の図が収められています。
金毘羅犬4

門前町に琴平土産の一つとして、「金毘羅狗」を記念して縫いぐるみの犬が売られていたと云います。しかし、私の記憶にはありません。

犬の代参は、金毘羅参りだけではありませんでした。伊勢参りでも行われていたようです。
お伊勢さん代参犬】江戸時代、旅が出来ない人の代わりに、犬にお金を持たせて「お伊勢参り」を頼み、  参拝をさせてお札(ふだ)をもらうことが流行りました。「おかげ犬」です : まとめ安倍速報 | 犬, 浮世絵, 旅
伊勢参り犬

群馬県北群馬郡吉岡村に残されていた『人馬継立帖』に、嘉永二年(1849)、上州勢多郡富田村の伊勢参り犬が銭350文持たされて小倉村からやって来たことが記されているようです。
文化期の戯作者、十返舎一九も『翁丸物語』(文化丁卯春刊)の発端に「代参犬」をとりあげて、伊勢国一志郡藤潟村において、
「首におびたゞしく鳥目を繋ぎ打かけたる」大神宮への参詣犬が、往来稼ぎの人足らしい四、五人の男たちにその銭を奪い取られようとしている様子を描いています。その結末は、「仁恵」深い志井源太兵衛なる郷代官の助けによって無事窮地を逃れていますが、「されやむかしも今も、犬の参宮すること其例少からず、往来の人是をたすけて、銘々散銭を貫ざしに繋ぎて、かれが首に打かけ興へ行く故に、後には数百の銭を負て通行すること粗証あり」と記しています。ここからも、文化年間以前から伊勢参り犬はいたことが分かります。
お伊勢まいりの代参犬 : あるちゅはいま日記

 津軽地方にも伊勢参り犬の記録が戸川幸夫氏の著書『イヌ・ネコ・ネズミ』に、次のように記されています。
「犬の参宮というのは、慶安三年ごろから明治の初めまで続いたお蔭参りや抜け参りに付随して起こった奇習であると聞いていたが…」あります。
文政13年(1830)の「文政度御蔭群参之図」には、「剣先祓」という伊勢神宮の大麻(お祓い札)を頭にさした伊勢参り犬の姿が描かれています。。同じ文政十三年の「お蔭参り」の情景を描いた浮世絵、「宮川渡しの図」にも伊勢参り犬が見えます。
金毘羅犬と伊勢参り犬

犬の「代参」については、次のような疑問が出てきます。
①なぜ犬が特に「代参」に選ばれたのか。
②なぜ関東以北の地方にのみ犬の「代参」が見られるのか
①②の疑問点について、『金昆羅庶民信仰資料集 年表編」には、次のように記されています。
昭和11年頃の「横浜市大倉精神文化研究所の原政男より金毘羅犬について照会あり、原氏宅には祖父母代に羽黒三山に参詣した犬がおり、この犬がのち金毘羅へも参詣したことを祖母から聞かされている、貴宮に奥州より参詣した犬の絵がある由、植木直一郎より聞かされたが、その犬がもしや生家の犬ではないかと思われる」

  一世代を30年とすればこの金毘羅犬が参拝したのは60年前のことになります。およそ幕末から明治初期の伝承のようです。驚くのはこの「代参犬」が奥州の修験道霊山である羽黒山にも代参していたことです。ここから研究者は「代参犬」は関東地方の民俗信仰と何か関わりがあるのではないだろうかと推論します。
日本の山岳信仰に動物は、重要な位置を占めています。
例えば、狐、鹿、熊、兎、狼などは神の使い(替族)とされたり、あるいは神自身がこれらの動物の姿で現れると考えられてきたことは以前にお話ししました。そのうち狼は「態野の山言葉では山の神」といわれ、また中部地方の南部では山の主とされるなど、広く各地で信仰されてきました。狼は「オオイヌ」または「オオイン」と呼ばれ、犬と同一視されることが多いようです。
三峰神社オオカミ

埼玉県秩父郡に位置する三峰山は18世紀以降、山岳宗教、修験道の道場として展開し、秩父三霊山の一つとされるようになります。

この三峰山頂にある三峰神社は、大山祗神(おおやまづみのかみ)を守護神とし、眷属を大(狼)としています。調査報告書には「神社では、山犬、狼をオイヌサマ、ゴケンゾクと呼び、山の神、神社の使い、神そのものとして扱っている」と記されます。

三峰神社の狛犬でなくオオカミ

三峰神社の鳥居と大神(おおかみ)
 三峰神社の鳥居をくぐると、狛犬のかわりに狼の石像が左右に安置されています。狼を扱った社蔵の文化財も多く、左甚五郎作と言われる「御神犬像」などが伝えられています。秩父地方に狼をお犬さまとして眷属として祀る神社は十社をくだらないようです。その中心は三峰神社です。
三峰山のお犬信仰の由来については「御替俗拝借の心得」(社務所発行)に、次のように記されています。
「当社に奉祀せる大山祗命は、伊非諾、伊非舟二尊の生み給いし山神におはしますによりて、山狼の猛気を神使とし給ふ。されば当山に於ては、往古よりこれを大口真神と崇め、御眷属と称している。火災盗難或いは鳥獣妖魅の禍等を除く為、擁護を祈る輩には神霊を御版符(とくふ)に封じ、御主神三柱の御前に祈願を軍めて、これを一ヶ年間願人に拝借せしめるのであって、日本武尊甲州より当山に越え給いし時、狼其の道案内申上げたと言ふ神話にもある程に古より伝はり、霊験の顕著なることは、普く世に知られた処である」
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 三峰山と狼とのつながりを、神社側では古代神話の時代にまでさかのぼらせています。これに対して研究者は「果たしてそうなのかどうか、大いに疑間である。むしろ三峰山の山の神の化身、あるいは眷属神としての狼の性格を神格化している」と指摘します。

狼-7 お札になったオオカミ

三峰神社の狼の神札の由来については、次のように伝えられています。
享保十二年(1727)9月13日三峰山主日光法師が山上の庵室に静座中、どこからともなく狼の大群が現れたため、深く心に感づるところあり、狼の神札を信者に分けたとあります。ここからはお犬信仰が近世中期頃から始まったことが分かります。
三峯神社 【日本武尊・御眷属様(オオカミ)】 ~ 秩父遊歩

 信者はお犬の神札を三峰山から拝借し、これを竹にはさんで田畑に立て、害虫駆除としたり、家の戸口や土蔵の入口に貼って盗難・火難除けとしたようです。この布教方法を展開したのは修験山伏たちです。彼らの手によってお犬信仰は、関東を中心に中部から東北地方まで拡められ、各地に三峰講が結成され、代参か盛んに行われるようになったようです。
奥秩父で目撃情報 ニホンオオカミは生きている 幻のニホンオオカミを追って…その1  ゴールデンウィークの1日,開通したばかりの国道140号線「雁坂トンネル」を通って,奥秩父にある三峰神社に出かけた。秩父から雲取山へと続く三峰山の山頂に鎮座し  ...

昭和41年調査の秩父宮記念三峰山博物館資料には、県別講社数は埼玉、茨城、千葉などの関東を中心に、東北、北海道から畿内の滋賀まで分布しています。三峰信仰の拡大がうかがえると同時に、そのエリアが江戸よりも北に偏っていることを押さえておきます。関東以北に見られた犬の「代参」は、三峰信仰の勢力圏と重なり合います。両者には、何らかのつながりがあったようです。
 三峰信仰が広がったエリアでは、犬の参詣というスタイル自体に、何ら不思議な感覚はなかったでしょう。むしろ「神の遊幸」と自然に受けいれられたのではないでしょうか。そこに「お蔭参り」や「ええじやないか」などの風潮が高まると、三峰のお犬さまが代参として金毘羅や伊勢などのはるか遠くの巡礼・参詣霊場へ向かうことになったのではないかと研究者は考えているようです。

   以上をまとめておくと
①江戸時代後期には、犬による代参が伊勢参りや金比羅参りで行われるようになった
②金毘羅犬の出身地をみると江戸以北に限定されている
③これはオオカミをお犬として信仰する埼玉県秩父の三峰神社の布教活動と関係がある。
④三峰神社のお犬信仰は修験山伏により関東から東北にまでひろがった。
⑤三峰神社のお犬信仰圏の信者にとって、お犬様が聖地に巡礼するということは自然に受けいれられ、「お蔭参り」や「ええじやないか」などの抜け参りの風潮を追い風にして広まった。
このため近世後期には、金比羅参りにやってくる金比羅犬の姿が浮世絵などにも描かれることになったようです。この「金毘羅狗」も、鉄道が整備される頃には廃れていったようです。犬は汽車には乗れません。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献
豊島 和子  犬の金毘羅参りをめぐって   ことひら48 H5年