瀬戸の島から

金毘羅大権現や善通寺・満濃池など讃岐の歴史について、読んだ本や論文を読書メモ代わりにアップして「書庫」代わりにしています。その際に心がけているのは、できるだけ「史料」や「絵図」を提示することです。時間と興味のある方はお立ち寄りください。

第十四回 史談会へのお誘い
明治の讃岐近代シリーズ  第十一師団の創設物語
 なぜ、善通寺に、出征、讃岐はどうなった
四国の精兵と謳われて、敵前上陸の専門史談だった。乃木希典を初代として、白川義則、沖縄戦の牛島満などの将星を師団長に迎えている。どこに出征し、どのような転戦をして、終戦時にはどうなっていたのか。師団が創設されて善通寺はどうなり、讃岐が受けた経済社会への影響は如何なるものか?また四国各県への波及にも関心が向かう。近代国家に不可欠な陸海軍の近代化における意義を探究したい。
 日時  1月18日(土)夕刻5時~7時
 会 場 四条公民館(まんのう町)
 講 師 大河内義雅 善通寺市文化財保護協会会長
 資料代  ¥200―  申込は無用
 問合先  shiyabaketa@mc.pikara.ne.jp
興味と時間のある方の参加を歓迎します。

  図23 讃岐国の封戸・荘園
和名抄には、讃岐の郡は11ありました。ところが平安時代の後半になると13に増えています。分割された郡が出てきたようです。分割された要因は、何なのでしょうか?
 奈良時代は、まだまだ人間の数が少なかったので、「個別人身支配体制」のもとに、人を掴まえておけば税収入が得られるので、人を通じて支配を行います。だんだん人が増えて戸籍で把握するのが難しくなってくると、人の代わりに動かないもの、つまり土地を通じて支配するシステムに支配方式が変わります。誰が土地を私有していても構わない。とにかく土地を耕している人から税を取る。土地は逃げませんので、この方が現実的になったようです。
 奈良時代には、人が集落を作ってあちらこちらに住んでいました。そこで戸毎の戸籍を作って、50戸になると郷を成立させて、郷長に管理させるという地方支配のスタイルでした。これに対して、郡全体の土地ということになると分散して、かなり広い範囲になります。広いエリアを管理監督するのは大変なので、分割します。つまり、行政単位である郡をコンパクトにします。そのために大きな郡を二つに割るということが行われます。
当時は、藤原道長やその子の頼通の頃で、摂関政治とよばれる時代でした
 彼らの政治スタイルは、地方の行政は地方に任せる。中央政府は、地方政府の長(国司)だけを任命する。そして、国司に権限を持たせて、各国の経営にあたらせるるというものでした。そうすると、国司が讃岐国にやってくると、彼らもまた考えます。自分でやることはない、郡には郡司という役人がいるんだから、彼らに任せればいいと。郡司は郡司でまた考えます。その下に郷司というのがいるんだから、彼らに任せればいいと。どんどん、下へ下りていきます。「上がやることを、下が見習う」ということなんでしょう。
 中央がこれから先、手間暇掛けませんよとなると、国元でも自分たちだって手間暇掛けませんよという風潮になっていきます。今までは中央政府が、日本国中の面倒をみてきました。しかし、これから先は中央政府はそういうことはしない。讃岐国のことは国司が責任を持って面倒をみればいい。国司に任せるという具合になったわけです。そこで、国司はそれぞれの徴税官を決めます。その時に、あまり広いエリアを担当させますと大変です。大きな郡については、東と西に分けましょうとか、北と南に分けましょうという具合に、担当区域が分割されることになります。

讃岐国郡名
讃岐の郡名と郷名
讃岐国で大きかった郡は、香川郡と阿野郡です。
どうして香川郡と阿野郡が大きいのか? それは古代からの先進地で人口が多かったからのようです。その理由は、阿野郡に讃岐国の国府が置かれたためです。そのため、いろいろな社会資本がこのエリアに投下され、国府のある周辺に人が集まったと研究者は考えています。それが阿野郡の東西にも波及します。東側が香川郡、西側の鵜足郡でも、人口は増加傾向になったようです。そこで、この両郡を二つにそれぞれ分けます。

讃岐の古代郷名 阿野・香川郡jpg
香川郡と阿野郡の郷名と位置

 香川郡についていは、東と西に分けました。
境界は条里制度の条です。もともと土地に条里制区画の線引きがしてありましたから、香川郡は東半分と西半分というぐあいに条を基準に分ける。阿野郡については、北半分と南半分に分ける。北条と南条に分けました。
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香西条と香東条の境となった香東川
それではここでクエスチョン 
香東川は今のように香東川と呼ばれる以前は、なんと呼ばれていたのでしょうか。
  香東、香西というのは、当然ですが香川郡が二つに分かれるまではありませんでした。 それ以前は、香川郡でしたから「香川」と呼ばれていたと研究者は考えます。もともとの川の名前は「香川」、その川の名前が郡の名前になって「香川郡」が生まれます。ところが、香川郡が香東、香西に分かれたので川の名前が香東川と変わった。そして、この川が「香東・香西」の境であった。 香川県という県名の源は、ここを流れる河にあったと研究者は考えているようです。
  
もう一つ分割された郡が阿野(綾)郡です。
綾郡の方は、南北に分けられました。最初は綾郡南条、綾郡北条と呼ばれていたようです。それが近世には阿野南郡と阿野北郡に改称されます。
阿野北郡 近世
阿野北郡の近世地図 現在の坂出市域
綾郡北条が最初に登場する史料を見ておきましょう。
『新修香川県史』所収 惣蔵寺所蔵鰐口銘
 敬白 讃岐国北条郡林田郷内梶取名 惣蔵天王御社 鰐口 
 明徳元(1390)年 庚午十一月
 『新修香川県史』というのは昭和28年に刊行された香川県史です。ここには坂出市の林田町にあった惣蔵寺というお寺が所蔵していた鰐口の銘が載せられています。
鰐口
鰐口
鰐口というのは、神社やお寺の軒下に吊るす、扁平で中が空洞になった円形の法具で、参詣者等がその前に垂らした綱を前後に振って鳴らしたりしているものです。その鰐口の銘で、誰が寄付したことなどが書いてあります。
 年号は明徳元(1390)年で、南北朝時代の終わりになります。林田郷は、当時は綾川の河口で、梶取(かんどり:船頭)たちが住んでいたところで、中世の津として機能していたことは、以前にお話ししました。このあたりには、瀬戸内海を行き来する廻船の拠点であったようです。いつしか「梶取」の「取」の文字が飛んで「東梶(ひがしかん)」や西梶になってしまったようです。この時に作られた鰐口の銘に「北条郡」が記されています。南北時代末期には、北条郡が成立していたと云えます。これが綾北条郡のことになります。
 綾郡北条と呼ばれていたのはいつまででしょうか。
『新編丸亀市史4史料編』に収められた正覚院(丸亀市塩飽本島)の大般若経奥書に、次のように記されています。
『新編丸亀市史4史料編』所収正覚院所蔵大般若経奥書
 時に延文弐(1357)年丁酉十二月十三日讃州綾南条羽床郷(西)迎寺坊中において、日本第一(悪筆脱)たりと雖も仏法結縁のため、形のごとく書写せしめおわんぬ。後代末代転読僧衆御誹膀有るべからざるものなり。
 同郷大野村住 金剛仏子宥伎生年三七歳
意訳変換しておくと
 この般若心経の巻は、延文弐(1357)年12月13日に、讃州綾南条羽床郷の(西)迎寺坊中で、書写したものである。日本第一の悪筆かもしれぬが仏法結縁のために書写したものであるので、後世末代に転読する僧衆が私の悪筆を誹膀することのないように。
 羽床郷大野村の住人 金剛仏子宥伎 生年三七歳
 正覚院(丸亀市塩飽本島)の大般若経の経歴については、道隆寺か金蔵寺を中心にして書写活動が行われ、金倉川河口の神社に納められていたものが、いつの時代かに塩飽本島の正覚寺に渡り伝来されていることを、以前にお話ししました。奥書には「讃州綾南条羽床郷」の迎寺坊中で書写したと記されます。綾川の滝宮上流域の羽床富士のあたりで、中世武士集団の綾氏一族の羽床氏の拠点になります。この史料にからは、南北朝時代までは「綾南条」がまだ残っていて、南条郡にはなっていなかったようです。阿野郡は、香川郡と同じように、南北朝時代から室町時代にかけて綾郡南条、同北条から綾郡がとれて、南条郡とか北条郡とか呼ばれるようになったようです。
 以上のように、讃岐国では郡の分割というのは、香川郡と阿野郡の二つだけです。大きな人口増加や変動が他の地域では起こらなかったことを表していると研究者は考えているようです。
 そして、讃岐では奈良時代・平安時代から比べると、中世に増えた郡は2つだけということになります。
  以上をまとめておくと
①讃岐の古代の郡数は、最初は11郡であった。
②中世になって土地が徴税対象となるにつれて、大きな郡を分割する動きがでてきた。
③その結果、国府があり先進エリアでもあった阿野郡と香川郡は分割されることになった。
④香川郡は、東西に分割され香東郡と香西郡となり、河川名も香川から香東川と呼ばれるようになった
⑤阿野郡は南北に分割され阿野郡条郡と阿野郡何条と呼ばれた
⑥そのため室町時代には讃岐の郡数は13になっていた。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献
 参考文献  「田中健二 中世の讃岐-郡の変遷-    香川県文書館紀要創刊号 1997年」

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