はじめに

知人が島を舞台にくりなす人間模様を縦軸に、恋模様を横軸に小説を紡ぎました。
「瀬戸の島から」という名のついたブログから発信するのに、「ふさわしい」と思えます。
短編集なので随時、掲載していこうと思います。
お読みいただければ、「ますます小豆島が好きになっていただけるのでは」という期待もあります。
最後に、お断りをしておきます。m(_ _)m
決して私の作品ではありません。
だから、コメントをいただいても「返信」はできません。
作者に伝えることはできます。あしからず
それでは連載第4回をお届けします。

小豆島恋叙情 第4話 一枝のオリーブ

== 鮠沢 満 作 ==  
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嘉則がオリーブの枝を手にしたとき、ある情景が心に登ってきた。

赤茶けやせた土壌は乾き切っていた。
一本道がだらだら丘のてっぺんまで疲労したように続いていて、
真っ白な太陽に焼かれると途中で溶けてなくなりそうだった。
嘉則は背中に灼熱を感じながら、ただ黙って頂上を目指し歩いていた。
カトリーヌも黙って嘉則に従った。
 
 その日は昼過ぎまで惰眠を貪っていた。
嘉則はベッドから音を立てないようにすり抜けると、窓際のところに行った。
カトリーヌはまだ眠りの底にいた。
嘉則はカトリーヌを起こさないようほんの少しだけカーテンを開けた。
まばゆい光の束が部屋になだれ込んできて、紫色の絨毯の一部を炙り出した。
嘉則がカーテンの間に顔をすべり込ませて、眼下に広がる『葡萄色の海』を眺めようとしたとき、
ちょうどカトリーヌが目を覚ました。
「どうしたの」
「起こしてすまない。エーゲ海がつい見たくって」
カトリーヌは上半身を起こした。
遠目にも裸の胸が豊かだ。
昨日付いた水着の跡がくっきり残っており、豊かな胸の部分が普段以上に白く際立っていた。
昨晩、カトリーヌの胸に顔を埋めたとき、嘉則は瀬戸内の穏やかな海のうねりを感じ取ることができた。
カトリーヌはガウンを羽織ると、嘉則のそばにやってきた。
そしてカーテンの端を両手でつかむと、思い切り両脇に引き開けた。

なだれ込んできた陽光の洪水に、しばし目がくらんだ。
しばらくして瞼の裏から黒い斑点が消え、視力が回復したとき、目の前にエーゲ海が広がっていた。
紺碧の空と海。
境界線はなく、どこまでが空でどこまでが海か判別できなかった。
ただ目の前にあるのは、ブルー一色の世界だった。
そのブルーの平面を裁断するように、白いヨットが斜めに水面をすべっていった。
「あれ見て」
 カトリーヌが嘉則に身を任せながら指さした。
 それは丘の上の風車だった。
海から吹き上げる風に、風車はゆっくりと回転していた。
風車を支えるのは、白い漆喰を打たれた円筒形の土台だった。
丘の斜面にはオリーブの木が植えられていた。
「あそこに行きたい」
 カトリーヌが甘えるように言った。

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二人は昼食を済ませると、半島の先の風車を目指した。
 頂上近くまで来ると、風車の風を切る音が聞こえてきた。
 風車の下にいると、ゴーゴーと風を切って回転する風車の羽根が、遠くから見るのと違い、悪魔的な力と獰猛さで迫ってきた。
風車から両側に滑り落ちる斜面にはオリーブが植えられていて、痩せた果肉の実が昼下がりの乾いた空気にうめき声を上げていた。
 嘉則はカトリーヌの碧い目を覗き込みながら言った。
「僕のふる里はここと同じで、オリーブの木がいっぱい植わっている」
「オリーブが育つんだったら、結構暖かいところなの」
「そう。それにとても美しい。海もある」
「どうして海が見たかったの」
「昨夜、君に海を感じたからだ」
「帰りたくなったのね」
「ここでの生活も随分長くなったから」
「私との関係もそうなの」
「カトリーヌ、君のことは今でも愛している」
「でも帰りたい」
 カトリーヌの目の奥に、一瞬小さなさざ波が膨れ上がった。
「俺と一緒に来ないか」
嘉則はカトリーヌの両肩を少し揺するようにして言った。
それは色よい返事をカトリーヌから引き出すため、予め考えられた嘉則の所作の一つだった。
昨夜、カトリーヌが嘉則の腕の中で眠りに落ちた後、考えた。
カトリーヌの心臓の鼓動が、嘉則の細胞の一つひとつに上げ潮のように入り込んできた。
嘉則の思考は乱れた。
カトリーヌの寝顔を見ていると、異郷の地にとどまってもいいとさえ思えた。
しかしその感傷を打ち払わなければならなかった。
それにどっちみちカトリーヌは来ないだろう。
そう嘉則は踏んでいた。
「私があなたと一緒に行かないことを知っていてそう訊くんでしょう。それってフェアじゃないわ」
「俺は君が好きだ」
「好きだけじゃ一緒には暮らせないわ。男と女が一緒に暮らすには、それなりの環境というものが必要」
「それは分かる」
「私はギリシャ人。あなたは日本人」
「愛はエーゲ海を越える」
「小説ではね。でも駄目」
「年老いた両親のこと?」
「それもあるわ。でも、一番大きい理由は、あなたの目の輝き」
「目の輝き?」
「私に対してもギリシャに対しても、ヨシノリは目の輝きを失ってしまったわ」
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 オリーブの葉裏が魚の鱗のように鈍く光っていた。
ギリシャと同じような風車が丘の中腹にあり、内海から吹き付ける風に羽根を回転させている。
嘉則はオリーブの枝を一つ折り、鼻先に近づけてみた。
生臭いが、どこかギリシャの香りがした。
「カトリーヌ」
 嘉則は激しく背を震わせた。
 嘉則はカトリーヌの中に海を感じ、かつてその海に自分が安らかな気持ちで内包されていたことを思い出した。
 愛はエーゲ海を越えることはなかった。
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