はじめに

島を舞台にくりなす人間模様を縦軸に、恋模様を横軸に紡がれた小説「小豆島恋叙情」も9話を
迎えました。
 みなさんからのいろいろな感想や意見は、作者の励みになっています。
いろいろな人の反応がダイレクトに返ってくるのは、今までにはなかった経験のようです。
それなら、もう少し書いてみようかと「やる気」を作者は見せています。
15話で完結の予定でしたがもう一話、構想中のようです。
連載も半ばを過ぎたことになります。
それでは第9話をお届けします。

小豆島恋叙情第9話 漁り火の海 前編

鮠沢 満 作   
 久し振りの同窓会で、勇作は懐かしい顔ぶれを見て一安心のはずだが、もう一つ気分が浮いてこない。
先ほどから入口の戸が開くたびに、無意識に目がそっちにいってしまう。
そんな勇作の落ち着かない様子を、昌樹は目の隅からちらちら見ていた。
会が始まってもう三十分になろうとしている。
富江は来ないのだろうか。
しかし富江のことを同級生に訊くわけにもいかない。
狭い地域のこと、同級生のたいていは勇作と富江の過去の一件を知っている。
だから勇作の前では彼らはそのことを口にしない。

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 結局、富江は来なかった。最初から欠席連絡が来ていたのかもしれない。
それとも音信不通になっていて、連絡さえ取れないのであろうか。
不安が勇作の胸をよぎる。
玄関で靴を履いていると、昌樹が勇作のところにやってきた。
「ちょっと俺に付き合えよ。
  今度いつ帰ってくるか分からないんだろう」
昌樹は何やら言いたいことがあるらしい。
口調からそのことが分かる。
むかしからそうだ。
昌樹とは家が近所で、兄弟のようにして育った。
言いたいことをはっきり言わないのが昌樹の癖だった。
言葉を換えて言えば、優しいということになるのだが……。

「ああ。今度みたいに葬式ができれば別だがな」 
勇作は伯父の葬儀のために帰郷した。
ちょうどそのとき高校の同窓会が開かれることになっていたため、勇作にも昌樹から連絡が入ったのである。
「そうたびたび家族の誰かが死ぬものか。
  それよりこっちに帰ってくると、まだ痛むんだろう」
「えっ?」
「ここが」
 昌樹は胸を親指でつついた。
勇作はそれには答えず、少し口元を緩め曖昧な笑いを浮かべただけだった。
「喫茶店にでも行こう。こう暑くっちゃ話しもできやしない」

 昌樹は先に歩き出した。
どうも昌樹の話は富江のことらしい。
「夏の葬儀は大変だっただろう」
 窓側の席に腰を降ろすと昌樹が言った。
「難儀したよ。会館でやればすべて業者がやってくれるのに、なにせ網元という肩書きが許さない。
 もう家の中はてんやわんや。
 それに夏だから仏の損傷もひどくなるし、いろいろなところで気を遣った」
「でもお前にとっては育ての親だからな。
  きちんとやっとかないと、世間の口はうるさい」
「分かってる」
「ここは昔と何も変わっちゃいない」

 昌樹は勇作と富江のことがまだ世間の噂にのぼるとでも言いたげだ。
勇作はコーヒーを口に運んだ。
ざらついた苦みが口の中に広がった。
「で、話というのは」
 勇作はわざととぼけて切り出した。
「富江のことだ」
 昌樹と富江は遠い姻戚関係にあった。
やはりな、と思った。
昌樹が話があると言ったときから、富江のことだろうと薄々分かっていた。

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「富江は今日同窓会に来なかったが、どうかしたのか」
「どうかしなくても、これやしないだろう。
  みんな例のことを知っているんだから」
「そうだな」
 富江が来ると思っていた勇作の方がおかしいのだ。
 勇作が富江と最後に会って十年ほどになる。
「俺たちも今年で三十になる。
  人生の地図に書き込むものとそうでないものを分けていかなくちゃならなくなった」
「もう十年になる」
「その間、自分を責めてきたんだろう」
「目をつぶって過ごせるやつがいたら顔が見たい」
 勇作はやや自嘲気味に答えた。
「富江はこっちに帰ってきた。去年のことだ」
「富江が?」
富江は岡山に嫁いだのは知っていた。
薄情だがそれ以後の詳細は知らなかった。
「いろいろあってな」
「元気でいるのか」

 昌樹はコーヒーに手を延ばし、できるだけ時間をかけてゆっくり飲んだ。
時間稼ぎをしていることが勇作にも明らかだ。
切り出す言葉を探しているのだろう。
昌樹はコーヒーが終わると、今度は水の入ったグラスをつかんだ。
しかし水は飲まず、ただグラスをくるくる指先で回していた。
しかしようやく口を開く気になったらしい。
 テーブル越しに身を乗り出してくると、
「勇作、会いたいか」
 と訊いてきた。

 唐突な質問に勇作はどう返事していいのか分からない。
本音を言えば会いたい。
しかしあのときのことを思うと、富江の前に姿を見せることさえ憚られた。
やっぱり富江に対する想いよりも、富江に対して悪かったという罪悪感の方が先に立ってしまう。
その後の富江の生活は想像に難くない。
決して安逸な生活におさまっていたわけではないだろう。
「会いたい。でも……」
「まだしばらくこっちにいるんだろう」
「あと四、五日な。いろいろと片づけることもあるし」
「気が変わったら電話してこいや」
 昌樹はレシートをつかむと立ち上がった。
昌樹がレジのところで金を払っているのが見えたが、勇作は黙って見送った。

 勇作は懐かしくなって松原に出てみた。
どの根上がり松も大きく、枝ぶりも立派だった。
その一つに腰を降ろした。
目の前には真っ青な海がある。
空もその色を撫で付けたように青い。
ときどき沖を貨物船が行きすぎる以外動くものはない。
穏やかだ。

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当時、勇作も富江も人目を気にしながら会っていた。
それが厭だったので、たいていは暗くなってから会うことにしていた。
待ち合わせの場所は勇作の伯父の倉庫の裏だった。
古くなった漁船が二隻修理のために引き上げられていた。
破れた網もその回りに掛けてあり、うまい具合に死角になっていた。
勇作と富江はそこで待ち合わせると、決まって浜に出て歩いた。
二人とも波の音を耳元で聞きながら、ゆっくり歩くのが好きだった。
波のうねりに合わせたように流れる時間。
そのたおやかな時間のうねりの中で、二人の次第に熟していく心を重ね合わせることが
この上なく心地よかった。

 勇作はエネルギッシュで逞しかった。
そして利発だった。
一方、富江も健康そのもので、よく気が付きよく働いた。
その上、美人で頭も良かった。
二人は当然のことのように恋に落ちた。
勇作は富江に将来を見ていた。
大学を卒業したら富江と結婚しようと、一人心に決めていた。
富江は高校を卒業するとすぐ、家が貧しかったのでかまぼこ製造関係の会社に就職した。

 勇作が大阪の大学に進んでも二人の想いは変わらなかった。
勇作は帰省すると、真っ先に富江に会いに行った。
社会人になった富江はさらに垢抜けして美しくなっていた。
大学四年の夏帰省した折に、勇作はそれまで胸に秘めていたことを富江に打ち明けた。

「大学を卒業して、俺が就職したら結婚しよう」
 勇作はこの言葉にてっきり富江も喜ぶだろうと思っていた。
ところが富江はそれを聞いて暗い表情になり、俯いてしまった。
「どうしたんだ。そんなに暗い顔して」
 しかし富江は答えなかった。