小豆島恋叙情第16話
まさか?!
ぼんやり鬼灯が浮かんだように、女はそこに座っていたはずなんだが……。
一日の仕事を終えた太陽が、帰り支度を済ませ、
茜色の大輪になって水平線に引っ掛かっている。
入道雲に取り付いた毒々しいまでの朱の色が、
にじみ出す寂寥の重さに堪えられなくなって港に落ちていた。
石組みの防波堤とそこに築かれた灯台が赤く染まっている。
女は灯台とは反対の残念石を並べたもう一つの防波堤の突端にいた。
今度積み出されるとしたら、真っ先に運び込まれるはずの残念石の上に、
しなだれかかるようにして座っていた。
女は半袖の白いワンピースを着ていた。
裾からそれと同じくらい白い足が覗いている。
遠目にもどきっとするほど艶めかしい。
髪はまさに烏の濡れ羽色で黒くしなやか、
そしてこれまで一度もハサミを入れたことがないほど長かった。
女は波打つ髪を束ねておらず、腰の辺りまで流れるがままにしていた。
ときどき海風が誘惑するみたいに梳きあげていくが、
そのたびに髪にまぶされた朱の鱗粉が海面にこぼれ落ちた。
そして一瞬ではあるが、水面にパッと花火を咲かせた。
女は外海の方に向き、何かに取り憑かれたように、じっと一点を見つめていた。
が、視線はゆるやかにうねる波の背に浮いた残照と同じように頼りなく、完全に拡散していた。
外海から誰かが帰ってくるのを待っているのか、それとも迎えにくるのだろうか。
潮は満ちていた。
その上穏やかで、なめした皮のようにすべすべしていた。
女は子守歌を口ずさみ始めた。
細くて泣き出しそうな声が、次第に濃くなる夕闇に押し潰されそうだ。
昼間の暑さを残した空気が気だるそうに震え、
防波堤に囲まれた港の中を迷い子のように彷徨った。
明らかに女は待っていた。
そのときが来るのを。
「美紀、もう家に帰っておいで」
母親らしい女が家並みの間から叫んだ。
甍が低く、海の続きのように見えた。
海辺に近いというのに、どこかでヒグラシが鳴いていた。
ヒュッヒュッヒュッ。
女の声に似ている。
か細く、途切れそうな声。
いや、女の声だったのかもしれない。
女が子守歌を唄い終えた。
そしてうっすら笑った。
どんよりとしていた目に、閃光に似た光が浮いた。
「敏樹が帰ってきた。
私を迎えに。
ほら、あそこ。
わたし、明日花嫁になるの」
女が指さす方を見ると、空と海が混ざり合って底知れぬ深さを湛え、
どこまでが空でどこまでが海か判然としなかった。
弛緩した空気は、その下にあるものすべてに覆い被さり、
有無を言わさず飲み込もうとしていた。
海はもうどっぷりと暮れかかっていた。
背後から迫り来る濃紺の闇を感じる。
目を凝らすと、確かに舟影が見えた。
いや見えたような気がした。
「確かに一隻の舟が見えるね」
そう言いたくなって、女を見た。
しかし、女はいなかった。
もう一度薄闇を掻き分けるようにして防波堤の突端を凝視した。
やはり女はいなかった。
ただ、女が座っていた一番早く積み込まれるはずの残念石が、
鬼灯のようにほんのり明るく灯っていた。
確かに誰かが迎えに来たらしい。
丁場のあった山の方に、狐火が見えた。
*
1583年、石山本願寺跡に一つの城が築かれた。
「天下無双」と謳われた大坂城である。
城主は、豊臣秀吉。
この大坂城は1620年から十年かけて大改修が行われた。
その際、多くの石が陸路及び海路を経て大坂に運ばれた。
ここ小豆島は良質の花崗岩を産すること、
また、海路という運搬に適した立地条件にあったことで、
多くの丁場がつくられ、石が切り出された。
切り出された石は、美しい小豆島を離れ、
恐らくは大きな城の石垣になるという晴れがましいロマンを胸に、
大坂へと運ばれていったのに違いない。
多くの丁場のなかでも、小海の丁場は隆盛を極め、切り出された石の数は定かではない。
しかし、切り出されながらも積み出されず残された石は、
大坂に行けずに「残念」ということから「残念石」と呼ばれているが、
この残念石が小海浜に四百個ほど残されていたというから、相当数に登ったことは間違いない。
他の丁場から切り出された石も合わせると、その数たるや驚くべきものになる。
一つの残念石の大きさは、約九十センチ角、長さ二メートル、重さ約五トン。
現在のように高度な運搬技術と重機が発達していない時代のこと、
石切、運搬、舟への積み込み等、すべて人力に頼るしかなく、
苦役を強いられた人の数、そして不幸にも命を落とした石切職人の数、
それら諸々のことを思うと、残念石に込められた〈残念〉は、
漢字二文字に凝縮されるべきものではない。
事実、小豆島町岩ヶ谷には、天狗岩、豆腐岩などの丁場が残されており、
矢孔や刻印のある巨石があるが、なかでも八人石と呼ばれる残石は、
運搬中にぱっくり石が二つに割れ、八人の石切職人が下敷きとなって命を落としたとされている。
現在、〈八人石〉として残されているが、その惨事を思うにつけ心が痛む。
小海の港には、現在、四十個の残念石を明治15年国より払い下げてもらい、
記念石として防波堤の上に並べている。
残念石は、大坂に行く日を、今か、今か、と四百年もの間待ち続けてきた。
これからもまたそうであろう。
まるで離ればなれになった家族、又は恋人を待つように。
ちょうど女がそうしていたように。
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