文………鮠沢 満 写真……「瀬戸の島から」
ここ小豆島には、夕日スポットとか朝日スポットと呼ばれる箇所がいくつかある。
観光案内マップにも書いてある。
なかでも、伊喜末(いぎすえ)から眺める夕日は格別なものがあり、私のお気に入りの場所である。
前島と豊島(てしま)、その奥に男木島と女木島を黒のシルエットに沈む深紅の夕日は、まさに言葉を奪ってしまう。
もう二十年も前になるだろうか。
アメリカのイリノイ州にあるマトゥーンという田舎町の大学で、日本文化について教えたことがある。
通い初めてアメリカ人大学生の向学心の旺盛さに驚かされたが、それよりもっと私を驚かせたのは、大学がこともあろうにトウモロコシ畑のど真ん中にあるという事実だった。
右を見ても左を見てもトウモロコシ。
もうそれはそれは見渡す限りのトウモロコシなのである。
トウモロコシが三度のめしより好きな人間でも、先が霞んで見えなくなるほど遠くまで広がるトウモロコシ畑を見れば、自分が人間ではなく牛に思えてくるに違いなかった。
朝から晩までひたすら食べても、大海の一滴を掬うに等しい。
全部食べ尽くすとなると、替え歯がいくらあっても足りない。
トウモロコシの収穫は九月の半ばから十月の初旬まで。広大なトウモロコシ畑のこと、手作業というのは当然無理で、巨大なコンバインを使う。
収穫時期になると、あちこちでコンバインがカブトムシみたいに行き来しているのを目にする。
私が世話になっていたテイラー教授も元々は農家の生まれで、親から受け継いだ広大なトウモロコシ畑を持っていた。
ある日、キーを持ってくると、彼は私に「コンバインでトウモロコシを刈れ」と言った。
私は日本では見たこともない巨大なコンバイン(日本のコンバインは小さいのでコンマインという……私の造語)に圧倒されたが、首尾よく運転席に座ると、トウモロコシを一筋ずつ刈っていった。
刈り出すとこれがなかなか面白い。
なにせ中学生の頭にバリカンを走らせている感覚なのだ。
決められた私の仕事も終わりにさしかかろうとしていた。
その頃にはもう日も傾き、太陽はオレンジ色の光を吐き出し、最後の演出に取りかかっていた。
私はようやく最後の一筋を刈り終えた。
とそのとき、突然オレンジ色の光に包まれたトウモロコシが、金色に輝き始めたのである。
地平線の彼方まで続くトウモロコシ。
最初は刷毛でうっすらなぞったみたいに弱々しい輝きだったものが、数分後には強烈な輝きに変わった。
まさに広大な大地が金色(こんじき)に燃えていた。
それは収穫を祝うことと、母なる大地への賞賛と感謝の表れに他ならないと思えた。
私は固唾を呑んでそれを見守っていた。
地平線の上には、でっかい夕日がさも得意そうにぶら下がっていた。
*
朋美は波の背に乗った夕日の落ち葉を一枚ずつ拾い上げてみたかった。
そしてまだ熱の残るそのかけらを、ブローチ代わりに胸に付けておきたかった。
きっと二人が交わした約束が、胸に刻印されるに違いなかった。
豊島が夕日に溶けるように炙り出されていた。やがてそれも漆黒の闇に閉ざされ、沈黙の海に眠ることになる。産業廃棄物も暗い海の底へと沈み、鎮守の祠も、棚田も、島民も、みなおしなべて海の森に還っていくのだ。
朋美はそれでも、そこに一つの輝きを見ていた。
海の底に横たわる裕樹の皺一つない若い躯と魂。
それはかつて朋美に情熱を与え、希望を抱かせたものだ。
それは歳月の浸食を撥ねつける聖なる存在であって、いかなる罪に対しても免罪符を許されていた。
今、裕樹が目覚めようとしていた。
「裕樹、きれいな夕日よ。さあ、紅蓮の光に染まりなさい」
今、朋美の目の前にある海は嘘のように静まり返っていた。
だが、海難事故が起きたあの日は違った。
裕樹が漁に出て小一時間くらいすると、低気圧の通過に伴い海は突然時化だし、瞬く間に大荒れになった。
「朋美、子供ができたら夕日を見に来よう」
事故の数日前、裕樹はそう言った。
朋美は、うん、と頷いていた。
*
娘が東京から帰郷したとき、「やっぱり田舎の夕日は違うよね」と言った。
「どこが違う?」
「まず色。次に熱。それと大きさ、かな。
ビルの谷間に沈む夕日は、人工的で、作為の回し者みたいで気持ちがついていかない。
色も煤けた赤で、どう見たって不完全燃焼。
さしずめ病んだ夕日ね。
いくら大きく膨らんでみても、ビルの隙間に沈んでいくんだもの、肩を縮めて小さくならざるを得ない。
ときどきネオンの看板に引っ掛かっているときがあるのよ。
やっぱり夕日は、雄大な地平線とか水平線を従えて落ちるのがいいわよ。今日一日が終わったという感じ。それに、明日また頑張るぞ、という気持ちになれるじゃない」
私がアメリカのトウモロコシ畑に沈む夕日を見て、大自然の神秘に畏敬の念を覚えたとき、長女は四歳、次女は一歳半だった。
あれから二十年以上が経って、果たして夕日の色も熱も大きさも変わったのだろうか。
子供の頃、夕日を追いかけていって、もうそれ以上入らないくらい、胸いっぱい夕日を詰め込んだものだった。
温暖化が進んで地球の環境がどんどん悪化して、子供たちの夢と希望の象徴であり、大人の憧憬の拠り所である夕日も、やがては不治の病を発症し、汚らしいだけの斑点に成り果ててしまうのだろうか。
そんな腐った夕日なんか誰も見たくないはずだ。
私の目の奥に焼き付けられた夕日は、未だ色褪せることがないのだけれど……。
瀬戸に沈む夕日に見入るとき、私はアメリカで見たでっかい夕日と、それとは対照的に海の底に静かに横たわる海の森を想う。
砂漠化の手が届かない深い海に広がる海の森。
そこに多くの魚たちが棲み、多くの魂が安らぐ。
もう少しすれば、今年も盆がやって来る。
朋美は裕樹に会えるはずだ。
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