第3話 寒霞渓 |
文………鮠沢 満 写真……「瀬戸の島から」
寒霞渓。小豆島恋叙情の中でも、この寒霞渓は題材に選ばなかった。 というのも、寒霞渓は小豆島の代名詞になっているからである。 小豆島=寒霞渓。 そんな方程式が成り立つ景勝地を書くには、まだ私の文章力では無理だと思ったのである。しかし、先日ひょっとしたことから、随筆でなら書いてみようか、と思い始めたのである。 きっかけは新潟の友人。 彼はかねがね私が勤務する小豆島を一度訪ねたいと言っていた。 それがこの夏、香川を訪れる機会に恵まれたので、 是非とも小豆島に寄りたいと言ってきたのである。 要するに、酒を飲もうじゃないか、ということなのである。 さっそく彼はインターネットで小豆島のことを調べたらしく、 小豆島には寒霞渓というとてもすごい名勝があるんだね、と開口一番そう言った。 やっぱり、寒霞渓か。 ところで、寒霞渓は日本三大渓谷美の一つに数えられている。 凝灰集塊岩が長年にわたって浸食された結果、深い渓谷と奇岩絶壁を生み出すに至った。 奇岩絶壁といっても、単なる奇岩絶壁ならどこにでもあるが、寒霞渓のそれは特異である。 自然という天才が創造した芸術作品。 そう称してもいいからだ。 奇抜な形の岩々と、そこに生える松、モミジ、楓等の木々との調和が特に見事で、 四季を通してその様相を変える。 なかでも秋のモミジは絶品で、まさに息を呑む。 私の言葉ではこんな陳腐な表現しかできないのが残念だ。 やはりここは「瀬戸の島から」氏の写真を見ていただくに限る。 (だから寒霞渓は題材に取り上げたくなかったのである。オンオンと泣く)
寒霞渓は表十二景、裏八景からなる。 頂上へは紅雲亭からロープウェイ、またはブルーラインで車でも行けるが、 それは私に言わせると邪道である。 寒霞渓の渓谷美を駆け足で、また空中からのパノラマとして楽しむにはいいかもしれないが、 自然美を堪能したいのなら、はやり表十二景と裏八景を徒歩で登るべきである。 『讃岐めん探検隊』と『自然愛好家倶楽部』の会長である私なんぞは(あくまで自称であって、このような組織及び団体は存在しない)、その美しさに何度言葉を失ったことか。 大袈裟な言い方だが、妻とも一週間ほど口がきけなかったほどだ。 (今振り返ると、あのときの夫婦喧嘩はフォークとナイフが乱れ飛ぶほど派手だった) 登山途中に突如として現れる奇岩。 これがまた絶妙なタイミングで現れる。 少し足が疲れたかな、そう思ったところにぬっと出現する。 ついついそれらに見入って、疲れを忘れてしまうのだ。 心憎いまでの演出と言わざるを得ない。

頭上の岩を | めぐるや |
秋の雲 |
子規 |
それに奇岩に付された名前も面白い。 いくつか抽出してみよう。 さて、あなたはいくつ読めるでしょうか。 何を隠そう、かく言う私も漢和辞典を調べないと分からないものばかり。 (すべての漢字が読めると、漢字能力検定2級くらいかなあ) ご託はそれくらいにして、さあ漢検開始。制限時間は三十秒。 まず表十二景から。 通天窓、 紅雲亭、 錦屏風、 老杉洞、 蟾蜍巖、 玉筍峰、 画帖岩、 層雲壇、 荷葉岳、 烏帽子岩、 女蘿壁、 四望頂、 鷹取展望台。 どうでしたか? 三十秒も必要なかった? 続いて裏八景。 法螺貝岩、 二見岩、 大亀岩、 幟嶽、 大師洞、 石門、 松茸岩、 鹿岩。 ああ、安心した。そんな顔がコンピューターの向こうに見えますね。 こっちは結構読みやすいでしょう。まあ、漢検四級くらいでしょうか。 いろいろと凝った名前を付けていますが、実際に見ていただくと、 どうしてその漢字が当てられたかお分かり戴けると思います。 まあ一度だまされたと思って、秋にでも小豆島を訪ねてみてください。 私と同じように茫然失語(こんな表現あった?)に陥ること請け合いですから。

垂直に切り立った奇岩が、まっすぐ空を突き破っている。
その上岩肌はごつごつとしていて、優しさが微塵もない。
まるで荒くれた野武士が仁王立ちになって、下から登ってくるものは虫一匹とて蹴落としてやる、
そう言っているようだった。
雪絵は後じさった。
それでも思い切って前に身を乗り出したい衝動もあった。
この矛盾した気持ちの原因は、奇岩の割れ目から突き出たモミジにあった。
見事な赤。
周囲の空気さえ赤く染まっている。
モミジ明かり。
真昼というのにふとそんな言葉が浮かんだ。
雪絵は一歩前に進み出た。
隣で瓦投げを楽しむ家族が、大きな声を上げて笑っていた。
その間隙をついて、もう一歩前に出た。
視界がぐっと広がった。
ロープウェイのゴンドラが登ってくるのが見えた。
膝が少し震えていた。
一歩間違えば、急峻な渓谷をまっしぐらに落ちていく。
それでも雪絵は、岩松とともに固い岩肌を飾るモミジの一葉を手にしてみたかった。
この頃とみに臆病になった雪絵にとって、モミジの一葉は、
どうしても手にすることができなかったものを手にすることに似ていた。

どうしても手にできなかったから、余計に愛おしいのだ。
両手でひしと抱きしめたいのだ。
簡単に手に入るものなど犬にくれてやる。
困難なものを手にすることで、ようやく自分が立ち直れる。
そんな予感がしていた。
目の前に林立する岩。
そこに鉤をかけ、一歩一歩上に這い登っていく雪絵自身の姿があった。
眼下に内海湾が鹿の角のように広がっていた。
青空の天幕をはがし、そのまま重ねたような青さだ。太陽の光が跳ね返っている。
やっとのことで岩を登り切った雪絵は、思い切ってモミジに手を伸ばした。
そして……。
「お母さん、こっち」
瓦投げをしていた子供の声がした。
それは雪絵に向けられた声だった。
その上岩肌はごつごつとしていて、優しさが微塵もない。
まるで荒くれた野武士が仁王立ちになって、下から登ってくるものは虫一匹とて蹴落としてやる、
そう言っているようだった。
雪絵は後じさった。
それでも思い切って前に身を乗り出したい衝動もあった。
この矛盾した気持ちの原因は、奇岩の割れ目から突き出たモミジにあった。
見事な赤。
周囲の空気さえ赤く染まっている。
モミジ明かり。
真昼というのにふとそんな言葉が浮かんだ。
雪絵は一歩前に進み出た。
隣で瓦投げを楽しむ家族が、大きな声を上げて笑っていた。
その間隙をついて、もう一歩前に出た。
視界がぐっと広がった。
ロープウェイのゴンドラが登ってくるのが見えた。
膝が少し震えていた。
一歩間違えば、急峻な渓谷をまっしぐらに落ちていく。
それでも雪絵は、岩松とともに固い岩肌を飾るモミジの一葉を手にしてみたかった。
この頃とみに臆病になった雪絵にとって、モミジの一葉は、
どうしても手にすることができなかったものを手にすることに似ていた。

どうしても手にできなかったから、余計に愛おしいのだ。
両手でひしと抱きしめたいのだ。
簡単に手に入るものなど犬にくれてやる。
困難なものを手にすることで、ようやく自分が立ち直れる。
そんな予感がしていた。
目の前に林立する岩。
そこに鉤をかけ、一歩一歩上に這い登っていく雪絵自身の姿があった。
眼下に内海湾が鹿の角のように広がっていた。
青空の天幕をはがし、そのまま重ねたような青さだ。太陽の光が跳ね返っている。
やっとのことで岩を登り切った雪絵は、思い切ってモミジに手を伸ばした。
そして……。
「お母さん、こっち」
瓦投げをしていた子供の声がした。
それは雪絵に向けられた声だった。

人間やってると、いろんなことがありますよね。 いいこと悪いこと。 笑ったり泣いたり。 山あり谷あり。 まさに人生はジェットコースター。 それにマニュアルもない。 これって寒霞渓に鉤を掛けて登るに等しくないですか。 最後に寒霞渓の名前の由来。 どうもいくつかあるらしいが、 その一つに応神天皇が岩とか木々に鉤をかけて登ったというのがある。 「かぎかけ」から「かんかけい」。 なるほどね。 漢字も「浣花渓」、「神翔山」、「鍵懸山」といろいろ当てられたらしいが、 結局は高松藩の儒学者藤沢南岳の「寒霞渓」が現在使われている。
*
付録=[漢字検定問題解答]通天窓(つうてんそう)、紅雲亭(こううんてい)、錦屏風(きんびょうぶ)、老杉洞(ろうさんどう)、
蟾蜍巖(せんじょがん)、玉筍峰(ぎょくじゅんぽう)、画帖岩(がちょうせき)、層雲壇(そううんだん)、
荷葉岳(かようがく)、烏帽子岩(えぼしいわ)、女蘿壁(じょらへき)、四望頂(しぼうちょう)、
鷹取展望台(たかとり)、法螺貝岩(ほらがいいわ)、二見岩(ふたみがいわ)、大亀岩(だいきがん)、
幟嶽(のぼりだけ)、大師洞(たいしどう)、石門(せきもん)、松茸岩(まつたけいわ)、鹿岩(しかいわ)
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