第5話 岬の分教場 |
文………鮠沢 満 写真……「瀬戸の島から」
土曜日と日曜日には、家に帰ることが多い。 田んぼ仕事と犬の散歩が待っているからだ。 高松からは汽車を使う。 十五分もすれば田園風景の中を走っている。 八月だと緑の稲穂が、青空に向かって元気よく伸び、深緑の山の稜線の上には、 真っ白な入道雲がほっぺにあめ玉をねぶったようにぷっくら笑っている。 それに蝉時雨。 これだけで気持ちが和らぐ?でも何か変だぞ。 周囲の乗客を観察してみて、ようやくそれが何か分かった。 なるほどこれが原因か。 乗客のほぼ全員が同じことをしているのだ。 にらめっこ。 にらめっこ? 何を馬鹿な。おっさん暑さで血迷ったか。 もう一言足せば、携帯電話。 もうお分かり戴けるでしょう。 老若男女、みな携帯の画面とにらめっこ。 夢中」という言葉がぴったり。 一言も言葉を発しない。 私の真ん前の女子高校生は、目にもとまらぬ早さでメールを打ち込んでいる。 ピポピポキンキンキュー。 ブラインドタッチ。 鮮やかなもんだ。 よく指がもつれないなあ。 感心する私の右隣では、口を半開きにしたサラリーマン風の男がゲームに夢中。 おいどうなっちまったんだよ。 まるで携帯電話の奴隷じゃないか。 俺たちは携帯をもった猿か? 猿は銚子渓にいっぱいいるけど……。 おい、俺たち本当に大丈夫か。このままでいいんだろうか。
醤油づくりで知られる「醤の郷」を少し行ったところを右に曲がって、 エメラルドグリーンの海に目を奪われながら車を十五分くらい走らせると、それはある。 木造づくりの古い校舎。 黒い板塀がいかにも歴史の重さを感じさせる。 苗羽小学校田浦分校と言っても島外の人にはピーンとこないと思う。 『岬の分教場』と言えばどうでしょうか。 壺井栄原作、木下恵介監督、高峰秀子主演により映画化された『二十四の瞳』の舞台となったのが ここ岬の分教場である。 昭和四十六年まで約七十年間使用されていた。
入り口でスリッパにはきかえて、板張りの廊下を進むと教室。 中に入ると、少しかび臭いような煤けたような空気に、鼻孔をくすぐられる。 とうの昔に忘れた木の匂い。 床に目を落とすと、木目がはっきりと浮いている。 小さな椅子と机。 教卓。 その背後にある黒板。 隅っこに置かれたオルガン。 天井からぶら下がった裸電球。 かつてそこは子供たちの天国だった。 泣いて笑って、飛んで跳ねて、踊って唄った。 手をつないで、みんなででっかい輪を作った。 みんな友達だった。 みんな家族だった。 左の窓から柔らかい陽光が射し込んでいた。 光の渦がタンポポの綿毛のように跳ねている。 アンドゥトワ アンドゥトワ。 その渦が子供たちの影のように見えた。

貧しい? と思いますか。
「貧しいのは、心が細った人のことを言うのです」
先生がそう言ったよ。
きっとそうだと思う。
きらきら輝く私たちの目を見て。
海のきらめきみたいでしょう。
だって未来が住んでいるんだもの。
お腹を空かせていても、友達が大事。
疲れていても、父さん、母さんの肩叩き忘れないよ。
きれいな櫛はないけど、野の花を摘んで髪にさすの。
そしたら髪に風が流れるの。
友達と手をつないで踊っているときが、一番楽しい。
みんなで声を合わせて歌っているときが、一番幸せ。
勉強がしたい。
字が読めるようになりたい。
字が書けるようになりたい。
そしたらあなたの優しさがこもった手紙が読めるもの。
そしたらあなたに愛がつまった手紙が書けるもの。
私たちのきらきら光る瞳を見て。
海のきらめきが見えるでしょう。
それでも、貧しいと思いますか。
本当の幸せっていうのはね、心を太陽にすること。
他人の幸せを自分の幸せと感じる心を持つこと。
他人を自分の家族と思うこと。
ありふれたことに、きらりと輝くものを感じること。
いっぱいあるじゃない。
違いますか?
瞳はそう日記に書いて、目を閉じた。
二十年前のことだった。
あの頃の自分に戻りたい。
「貧しいのは、心が細った人のことを言うのです」
先生がそう言ったよ。
きっとそうだと思う。
きらきら輝く私たちの目を見て。
海のきらめきみたいでしょう。
だって未来が住んでいるんだもの。
お腹を空かせていても、友達が大事。
疲れていても、父さん、母さんの肩叩き忘れないよ。
きれいな櫛はないけど、野の花を摘んで髪にさすの。
そしたら髪に風が流れるの。
友達と手をつないで踊っているときが、一番楽しい。
みんなで声を合わせて歌っているときが、一番幸せ。
勉強がしたい。
字が読めるようになりたい。
字が書けるようになりたい。
そしたらあなたの優しさがこもった手紙が読めるもの。
そしたらあなたに愛がつまった手紙が書けるもの。
私たちのきらきら光る瞳を見て。
海のきらめきが見えるでしょう。
それでも、貧しいと思いますか。
本当の幸せっていうのはね、心を太陽にすること。
他人の幸せを自分の幸せと感じる心を持つこと。
他人を自分の家族と思うこと。
ありふれたことに、きらりと輝くものを感じること。
いっぱいあるじゃない。
違いますか?
瞳はそう日記に書いて、目を閉じた。
二十年前のことだった。
あの頃の自分に戻りたい。

ものが溢れている。 地球の表面から滑り落ちそうなくらいね。 それでももっと欲しいですか? ものを多く持つことが、いつの間にか幸せを測る物差しになってしまった。 よく言うように、腹八分目でいいのだ。 満たされると、考えなくなる。 有り難くなくなる。 想像力が枯渇して、創造性に乏しくなる。 ミツバチを花がいっぱいあるところに連れて行くと、どうなるか知っていますか。 さぞかしたくさん蜜を集めるだろうなあ、と思うでしょう。 実は、その逆なんです。 一年中花が咲いているもんだから、ミツバチはいつでも蜜が集められると安心して、 怠け者になっちゃうのだそうです。 今の私たちにどことなく似てないですか。ピポピポキンキンキュー。 私はこの金属音より、アンドゥトワ アンドゥトワの方が好きだな。 だって子供たちが目を輝かせながら踊る姿が見えるから。
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