第8話 意石の館 |
文………鮠沢 満 写真……「瀬戸の島から」
小豆島に西寒霞渓といって、もう一つ寒霞渓があるのを知らなかった。 私としては随分勉強不足だった、と今さらながら反省している。 西寒霞渓は、小豆島町丸山から六キロほど上がった段山の頂上にある。 急なカーブを何度も曲がって、ようやくそこに至る。 バブルの時代、ご多分に漏れず小豆島にも土地ブームが席巻したと見える。 西寒霞渓には別荘の分譲地が、未だ売れずに放置されている。 所々に当時は洒落た別荘だったのに、と思わせるロッジがあるが、それも一時代の終焉を見て、荒れるに任せている。どう説明していいのか分からないので、その分譲地の東、それとも西? の奥まったところに、 『石の館』と呼ばれるレストラン?(?マークばかりで、申し訳ありません)がある(のを偶然発見した)。 翌日、私は「瀬戸の島から」氏に世紀の大発見をしたと言わんばかりにそのことをまくし立てると、 石の館ならみんな知ってますよ、といとも簡単に言われてしまった。 じゃあ、知らなかったのはこの私だけ? そうですよ。 悔しい! こうなったら負け惜しみついでに言っちゃいますよ。 みなさん、この『石の館』はなかなかのもんですよ、ホント。 ストーンアートとしてよりむしろ立地条件が凄い。 『自然愛好家倶楽部』会長の私が気に入ったのは、テラスから眺める風景。 これは小豆島の三絶景の一つと言って過言でない。 信じてください。誇張表現でも何でもないんですから。 ここはやっぱり「瀬戸の島から」氏の写真の出番か。 ちょっぴりアールヌーボー風の手すり。 それに薄いブルーのタイルを敷き詰めた半円形のテラス。 真下に内海湾、三都半島、岬の分教場を擁する田浦が広がっている。 フェリーの出入りまではっきりと見える。 私が行った日は快晴で、遠くに鳴門大橋まで見えていた。
う~ん、ロマンチック。 彼女若しくは彼(いや、何も彼、彼女に限ったことではありませぞ。隣のおばさまでもおじさまでも、飼い犬の銀治郎でも、二軒隣の乳牛のギュー君でも構わない)とデートするなら、ここ。 でも、夜は少し怖いか。 ところで、一般的に言って欧米は石の文化、アジアは木の文化となる。 私はよく海外に出る。元々モンゴル系の血を引いているのか、生まれつき放浪癖がある。 そのため年に何度かどうしても異国を彷徨いたくなる。 そういう衝動に駆られたら、迷わず行く。 それが私流の生き方。
フランスのパリから汽車で四十分ほど郊外に行くと、シャルトルという小さな町がある。 〈シャルトルの青〉として全世界に知られるものがここにある。 大聖堂を飾るステンドグラス。 その青の美しさは〈シャルトルのブルー〉と呼ばれ、世界遺産にもなっている。 一歩大聖堂の中に足を踏み入れると、そこは異次元。 静謐が支配し、あらゆるものが聖なるもの。 そう感じさせずにはおかない圧倒的な力(=神の力?)が存在している。 思わず天を仰いでしまう。 石を寸分の狂いもなく積み上げ、百メートルを超す大聖堂を造るに至った。 クーポラがもう一つの小宇宙を築いている。 視線を側面に移すと、ステンドグラスが太陽の光を分光して、 その光の束が大理石の敷石に色の影を落としている。 よく見ると、光の束は万華鏡の中のような彩りの光の粒子からなり、 そっと差し出せば手のひらですくい取れそうだ。 その聖なる光の中に身を置き、神に祈りを捧げた数多の人々。 人間の叡智の凄さと、人間を究極の域まで駆り立てる宗教の持つ凄さに感服したに違いない。

「手を出して」
と言って、冬子は私に近づいてきた。
「どうしたの?」
私が訊くと、
「これよ」
と、目を輝かせた。
冬子は光の束に両手を差し出し、ちょうど小さなカップを作っていた。
「ほら見て。光の粒子が手の中に溢れているでしょう」
冬子の両手はステンドグラスの色に染まっていた。
「注いであげる」
冬子はそう言った。
私は黙って両手を差し出した。
冬子はゆっくりと光の粒子を私の手の中に注ぎ込んだ。
「温かいでしょう」
私は、黙って頷いた。
この聖なる光の中で、冬子を折れるほど抱きしめてみたかった。
と言って、冬子は私に近づいてきた。
「どうしたの?」
私が訊くと、
「これよ」
と、目を輝かせた。
冬子は光の束に両手を差し出し、ちょうど小さなカップを作っていた。
「ほら見て。光の粒子が手の中に溢れているでしょう」
冬子の両手はステンドグラスの色に染まっていた。
「注いであげる」
冬子はそう言った。
私は黙って両手を差し出した。
冬子はゆっくりと光の粒子を私の手の中に注ぎ込んだ。
「温かいでしょう」
私は、黙って頷いた。
この聖なる光の中で、冬子を折れるほど抱きしめてみたかった。

小豆島には、島四国と呼ばれる小豆島霊場八十八カ所がある。 見事な木造建築のものから簡易な庵に至るまで種々様々であるが、つい最近、枯れた雰囲気の庵の良さが少しなりとも分かってきた。 重々しくて圧倒的な力で迫ってくる石の建造物も凄いが、肌と同じ温もりを持つ木のそれも捨てがたい。 気持ちが落ち着くのだ。心が癒されるのだ。 見たことはないが、仏様を身近に感じる。 海が見える小豆島霊場八十八カ所。 素敵なところなんです。 毎日コピー機で焼いたような生活を送っている人がいたら、是非のんびり小豆島を回って欲しい。 きっと日本の良さが分かりますよ。 小豆島に住む人々の心根の優しさが身にしみますよ。 まあ、一度おいでま~せ。 (話が逸れて申し訳ない。西寒霞渓。もう一度言いますが、すばらしいですよ、ホント)
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