エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第10話 銚子渓
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

 
パリには鳩、ロンドンにはカモメ、東京にはカラスが似合う。
これはある外国紙に載った記事である。
うん、目と耳が痛い。
最近は動物に限らず昆虫まで住みにくい世の中らしい。
野山に引っ込んでいたのでは食べていけない。
それではとばかりに、街へと向かう。
なぜなら残飯があって、食べるものに苦労しないから。
ビルの谷間を真っ黒いハシブトガラスが舞ったり、
ジュースの空き缶に蜂が群がるのはそういう訳である。

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 小豆島に銚子渓というところがある。
ここも寒霞渓同様、モミジが美しい。
だが、銚子渓といえば猿。
猿が放し飼いにされ、多くの観光客が訪れる。
ふれ込みは、『お猿の国』。
だがそう銘打っているものの、実際は猿の暮らしも楽ではないに違いない。
猿にも人間同様、階級社会が存在している。
しかし、なかには群れに属さない猿もいる。
彼らは「離猿」と呼ばれて、まさにローンウルフならぬローンモンキーとなって暮らす。
観光客から餌をもらう連中を、輪の外から冷ややかに見ている。
 俺は、飼い慣らされないぞ、とばかりに。

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「飛び猿、群れに戻らないか」
 猿丸がようやく切り出した。
 山の頂上には彼ら以外誰もいない。遠慮なく話ができる。
 屋形崎と小海の集落が、作り物みたいに海岸線に沿って並んでいる。
 海は真っ青だ。その先に岡山が見える。
「団十郎の考えじゃないだろう」
 飛び猿は猿丸の考えを見抜いていた。
「銀治郎が台頭してきやがった。
 若い連中がなびいている」
「時代の趨勢だろう。
 歳とりゃ、力で押さえはきかなくなる。
 あいつは力の支配に頼りすぎた」
 飛び猿は遠くに視線を泳がせている。
「あんたの言うとおり、もう少し知を働かすべきだった。
 でも頑固で耳を貸そうとしなかった。
 あんたが離猿になったのも、そもそもそれが原因だった」
「昔のことはよせ。済んだことだ。感傷は禁物だ」
「このままだと団十郎は、殺られる」
 
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 猿丸は懇願するような目で飛び猿を見ていた。
 しかし飛び猿の表情は変わらなかった。
 遠くを懐かしむように見ている。
「あいつを守るのは側近のお前の仕事だろう。団十郎に言ってくれ」
「何て」
「俺は離猿。でも哲学はある」
「哲学?」
「閑雲野鶴。俺はこの生き方が性に合ってる。誰に与することもない。
 あいつも群れの頭。引き際はきれいにしろ。それだけだ」
 猿丸は、分かった、と言ってその場を離れた。
 遠くで海が緩やかにうねっていた。
 汚点の一つもない天気だった。
「兄貴、済まない」
 飛び猿の目が濡れていた。

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  離猿。
ときに私もそうしてみたい、と思うことがある。
そうできればどんなにか楽だろう。
楽しくはないが、しがらみがない分精神的には楽だろう、と。
漂泊の俳人、尾崎放哉。
まさに彼がそうだった。
彷徨の果て、彼は小豆島を終の棲家として死んだ。
私は彼の心の襖を開けたことがないので、その奥に何が蠢いていたのか分からない。
彼は非凡、私は凡夫。
それでも少し憧れるところがある。

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 銚子渓に行くと、私は必ず頂上の展望台へ行く。
ときどき離猿が角張った岩にぽつんと座って、遠くの海を懐かしむように眺めているときがある。
飛び猿?
そう錯覚してしまう。
目の前に広がるパノラマは、私が選んだ小豆島三絶景の一つだ。