エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第13話 憂悶の長城
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

総延長約二、七〇〇キロ。人類史上最大の建造物。
いったいこれは?
そう万里の長城。
起源は、春秋時代にさかのぼる。
現存する長城は、明代の後半期に建造されたものであるが、
ある本によれば、東は渤海湾の山海関から中国本土を西に走り、
北京の北を通過し、黄河を越え、陝西省の北端を南西に抜けて再び黄河を渡り、
シルクロードの北側を北西に走って、嘉峪関(かよくかん)に至る、とある。

 お隣の中国のことだが、これを読んでもピーンとこない。
とにもかくにも凄いんだろうな、としか言いようがない。
(実際に私も行ったが、やっぱり凄かった)
まだある。
前二二一年、秦の始皇帝は中国を統一、北方遊牧民族に対する防衛線として、
燕や趙の築いた北の長城を西へと延ばした。
さらに西の甘粛岷県付近を起点に、黄河の北を回って趙の長城に達し、その東を燕の長城につないだ。
それが始皇帝の長城であった。
二、七〇〇キロという想像を絶する長城も、
すべてがテレビで見たり観光ガイドで見るような凄いものばかりではない。
ただ日干し煉瓦を並べたものとか、土饅頭のような簡素なものまである。
時の流れという魔物の洗礼を受け、大半が荒れるにまかせているのが現状のようである。
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前置きが長くなったが、小豆島にも万里の長城ならぬ、小豆島の長城が存在する。
 ええ! 嘘?
 そう、嘘です。が、本当です。
 ややこしい。本当はどっち?
 考え方次第だと思う。
 確かに万里の長城のようにランドサットからは見えないかもしれないが、
 それを遠目で眺めると、やっぱり誰もが万里の長城と思う。
 「長崎のしし垣」
 それが答え。
 小豆島にあるのに、長崎? 三都半島の長崎というところにある。
 しし垣。
 聞き慣れぬ言葉だ。
 漢字で書けば、「獅子餓鬼」?
 違います。
 獅子の子供ではありません。
 じゃあ、「志士書き」?
 違います。赤穂浪士でもありません。
「しし」とはイノシシとかシカのことで、「獣」「猪」「鹿」という漢字をあてる。
だから「猪垣」とか「鹿垣」と書いてもいいと思う。
つまり、しし垣というのは、イノシシとシカから作物を守るための垣ということになる。
万里の長城が北方の遊牧民からの防衛だったのに対し、所変わって小豆島では馬ならぬイノシシとシカとなる。
実に牧歌的色彩が濃い。
でも、昔のお百姓さんにしてみれば、死活問題だった。
やせた山間の畑で大事に育てた作物を、赤の他人であるイノシシとかシカに横取りされてしまう。
そんなことがあってたまるか。
「しし」はお百姓さんにしてみれば匈奴に匹敵した。
江戸時代中期に築かれ、その距離たるや百二十キロに及んだ。
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先日、実家に帰ると、兄がぼやいていた。
「今からイノシシ防御のネット張りや。猿とイノシシにやられる」
う~ん、塩害ならぬ猿害と、猪害か。
押し寄せる環境問題の波は、なにも二酸化炭素の排出量だけではなさそうだ。
気が付いたら、猿とイノシシに巻かれ、身動き取れなくなっていたりして。
これって笑うに笑えない。

 ところで、昔少しの間、イギリスのケンブリッジとチェスターというところにいたことがある。
話というのは、チェスターにいたとき、イギリス人の友人に誘われて小旅行をしたときのことである。
どうせ小旅行と言ったって、昼間から生ぬるいイギリスのビールと
ちょっと癖のあるスコッチウィスキーを飲むパブ巡りの旅なんだろう。
そう言われそうだが、違います。
友人は私にあるものを見せたかった。
それで私をそこへ連れて行った。そういうこと。
 行った先は、ヘイドリアンズ・ウォール(Hadrian's Wall)。
でも行った先と言えるかどうか。
というのも相手は、いかんせん延々一一八キロもの壁だからである。

 ここで少し概説を。
スコットランドとの国境近く、ブリテン島を東西に横断する壁が、
ヘイドリアンズ・ウォールと呼ばれるイギリス版万里の長城。
西のカーライルから東のニューキャッスルまで延びている。
長さは、先ほど言った一一八キロ。
歴史的に見ると、一二二年から一二六年に、ローマのハドリアヌス帝が命じて、
やはりこれも北方からの侵略に備えて建造させたもの。
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 不思議ですね。敵は北方にあり、ですかね。
みんな北からの侵入を恐れていた。
そこで私も、はてな、と考え込む。
現在私が住む官舎の北は?
大変だ。隣の婆さんちだ。
これが結構口うるさい。
雑草が生えようものなら、フェンス越しにじっとそれを睨みつけている。
ただし私がいるときだけ。
つまり、「お前、この雑草の種がうちの庭に飛んでこないうちに、さっさと引っこ抜け」
そう暗に言っているのだ。
さっそく長城の建設に取りかからなくては……。

 そう言えば、日本には「鬼門」というのがある。
昔の人にとっては、北はまさにこの鬼門だったのかもしれない。
それよりイギリスに何でローマ人が?
「すべての道はローマに通ず」のとおり、大ローマ帝国の力はそれほど凄かったということです。
イギリスもご多分に漏れず、ローマの侵攻を受けた。
そのためイギリス各地にローマの遺跡が遺っている。
特に有名なのは、バースのローマ浴場跡。
今でもこんこんと湯が湧いている。

 このヘイドリアンズ・ウォール、
驚くなかれ、防壁上には一マイルごとに監視所(milecastle)が置かれ、その間には二カ所小監視所(turret)が設けられていた。
いかに北方からの侵略をローマ人が恐れていたかが分かる。
防壁は土と石でできており、高さ五メートル、幅二、五から三メートル。
八達嶺付近の万里の長城が、高さ九メートル、幅四、五メートル、底部九メートルだから、
イギリス版万里の長城もいっこうに見劣りしない。
広い丘陵地を緩やかにカーブして地平線へとなだらかに続く壁に、古代ローマ人の姿が見える。
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 飛び越えようとして、飛び越えられなかったしし垣。
低そうで高い。回り道するには長く、遠い。
諦めて、とぼとぼ帰っていくしかなかった。
イノシシとシカの後ろ姿が、暗く、重い。
 よく考えると、われわれ人間だって、いっぱい垣がある。
飛び越えようにも越えられないもの。
人間の場合は、目に見えるものばかりでなく、目に見えないものもある。
特に、目に見えないものの方がややこしい。
人間の愛憎。
ボタンを掛け違えると、泥沼に入っていく。

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ばあさんが戸を開けると、美しい娘が立っていた。
もう夜はすっかり更けて、若い娘が一人歩きする時刻ではなかった。
「こんな時間にどうしなはった。道にでも迷いなさったかね」
ばあさんは若い娘をいたわるように言った。
「ええ。蒲野(かまの)の方へ行こうと山越えをしておりましたが、どこぞで道を間違えたらしいのです」
「気の毒に。それは難儀したの。もう遅い。よかったら一晩、うちに泊っていきなはれ。
なあに心配せんでもよか。このあたしとじいさんしかおらんでよ」
女は礼を言って、中に入った。
その夜、じいさんとばあさんが寝ていると、コトリと障子が開いた。
じいさんとばあさんの首筋辺りを、ひんやりとした隙間風が流れた。
ばあさんが目を覚ました。そしてじいさんの骨張った肩を揺すった。
じいさんも目を覚ました。
二人は若い女が枕元に座っているのを、月明かりに見た。
ばあさんがじいさんの背中にしがみ付いた。じいさんも震えている。
女の顔は冴え冴えとした月の光に照らされて、ロウソクのように白かった。
「起こして済みません。一言お礼が言いたかったものですから」
「お礼?」
「そうです。助けていただいたお礼です。ご恩は忘れません。おやすみなさい」

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女は障子を閉めると、隣の部屋に伏した。
湖の底にいるような沈黙が訪れた。
風の音も聞こえてこない。
虫も鳴いていない。
この時刻に決まって啼くフクロウも、その夜だけは啼かなかった。
ただ満月の煌々とした光が、百姓家の狭い部屋になだれ込み、すべてを沈黙へと押し込めていた。
明け方、障子が開くかすかな音がした。
が、それは夢の継ぎ目に聞いた隙間風だったかもしれない。
「有り難うどざいました」
そう言うと、女は深々と頭を下げた。
女はしし垣をじっと見ていたが、やがて諦めたように、山道を下っていった。
女はしし垣を越えようとはしなかった。
 
数日後、村人の間で話に昇った。
明け方、一頭のシカが足を引きずりながら山道を降りていった。
不思議なことに、その痛めている足には赤い布切れが巻かれていた。
「じいさん、手ぬぐいどうした?」
野良の手を休めてばあさんが訊いた。
「手ぬぐい?」
「そう、あんたの気に入りの赤いやつ」
「さあな。どこぞに置き忘れたかもしれねえな。なんせこの年寄りだ」
じいさんが、はっはっは、と頭上の太陽を真っ二つに割るように笑った。
ばあさんが、なるほど、と頷いた。
台所の木戸裏に焼酎が置かれていた。
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 明け方に  鹿垣(シシガキ)越えて  恩返し