文………鮠沢 満 写真……「瀬戸の島から」
『天使の道』と呼ばれるロマンティックな道が土庄町にはあるが、
これは潮が引くと陸と余島と呼ばれる二つの島が砂州でつながるもので、
地理の専門用語では陸繋島と呼ばれている。
その砂州の上を恋人たちが愛(?)を語らいながら歩く姿が、結構絵になる。
互いの心が砂州でつながったような気分になるのだろう。
やはり恋を語るにも場所選びが肝要ということか。
この天使の道、エンジェルロードと呼ばれているが、名前のとおり、
天空から天使が舞い降りてきてもおかしくない構図であることは、『小豆島恋叙情』で書いた。
モーセ。
そう前十三世紀の古代イスラエル民族のカリスマ的指導者である。
エジプトにおける迫害、エジプト脱出、シナイ滞在、カナン侵入と、彼にまつわる逸話は多い。
なかでも、紅海渡渉の下りは有名である。
モーセはエジプトで苦しむ同胞を解放しその地を逃れようとした。
しかし、イスラエル人解放を考え直したエジプト王パロの送った軍隊に追撃され、
葦の海(紅海)を前に前進できなくなった。
まさに進退窮まったとき、モーセは杖を紅海の上に差し出し祈った。
すると海は真っ二つに割れ、海の道ができた。
イスラエル人はそこを歩いて渡った。
後を追ってきたパロの軍隊は、イスラエル人が渡り終えたとき、
流れ戻った海水に飲まれて海の藻屑と消えた。
モーセの『出エジプト記』として旧約聖書にある。
先に書いた天使の道もモーセではないが、
人間の邂逅とか訣別を敷衍して考えると、そこそこ奇蹟的な要素が含まれている。
そこは想像力に任せるしかないが、人は出会いと別れを繰り返す。
この世は無常。
何一つ定かなものはない。
一本の道に様々なドラマがある。
ところが、もう一つ面白い話を小耳に挟んだ。
草壁から橘を経て福田に向かう途中に南風台というところがある。
そこはむかし扇形の洒落たレストランがあって、
目の前に浮かんだ島を眺めながらリラックスできる隠れ家的場所であった。
その島の名前は城ヶ島。
神奈川県の三浦半島先(三浦三崎)にあるかの有名な島と名前も綴りも同じ。
小耳に挟んだ話というのは、実は南風台から城ヶ島まで海の道があるというのである。
距離にして約二百メートルくらいか。
エンジェルロードのように砂州が現れるといったものではないが、
やはり引き潮のときには、遠浅になって島まで行けるというのである。
この道に願い事をすると叶えられるとか。
恐らく多くの人が、願掛けしたことだろう。
島は緑の木々に覆われ、海と美しい調和をなしている。この道は『希望の道』と呼ばれている。
佐恵は目を閉じて祈った。
すると目の前の海が割れ、真っ白な海の道が現れた。
その先に希望の光が見えた。
佐恵は閉じた瞼の裏に光男の姿を描いていた。
光男は追いかけてくる佐恵をはぐらかすように躯をひねっては、佐恵の手から逃れた。
佐恵が怒ったような顔をして立ち止まっていると、光男が心配そうな顔で近づいてきた。
光男がすぐ真ん前まで来たとき、佐恵はワッと声を上げて光男を捕まえようとした。
が、光男はそんなことはすでにお見通しと言わんばかりに、
またしてもしなやかな躯をねじらせると、佐恵の追撃をかわした。
「鬼ごっこなんてもうやめた。光男ったら意地悪なんだから」
「諦めた?」
「嫌いよ」
佐恵はぷっと頬を膨らませ、そっぽをむいた。
「アーア、お嬢様を怒らせてしまった」
「この償いは高いわよ。覚悟してらっしゃい」
「何が欲しい?」
「そうね」
佐恵は勿体ぶった面持ちで少し考えた。
「でもまあいいか。アイスクリームで勘弁してあげる」
「確かに高価な償いだね」
佐恵の閉じていた桜貝のような目から涙がにじんだ。
それはゆっくり朝露のように膨らみを大きくすると、真珠色に輝き、睫毛に留まっていた。
「会いたい。でも大丈夫。元気でやっているから心配しないでね。航海の無事を祈っているわ」
佐恵の薬指にはアイスクリームの代わりに買ってくれた指輪が光っていた。
佐恵はその手をそっと丸みを帯び始めた下腹部へとずらせた。
「さあ、お父さんに何か言いなさい」
見える道、見えない道。
私たちは好むと好まざるにかかわらず、両方の道を歩まなければならない。
見える道で迷って、見えない道でさらに迷う。
この繰り返しかもしれない。
天使の道、希望の道。
それでもこの二つの道は、いずれも明日への期待を約束してくれそうな気がする。
雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨が降る
雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気
雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ
ー北原白秋ー
小豆島には城ヶ島を始め、美しい名前を付された島が他にもある。
これだけでも空想にひたれる。
風ノ子島、
こぼれ美島(大島)、
千振島、
花寿波。
う~ん、実にいい。
コメント