エッセイ「想遠」(小豆島発 夢工房通信)


第15話 美林
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

川端康成の『古都』は生き別れした双子の姉妹の物語である。
小説の舞台は京都であるが、京都の主立った行事であるとかよく知られた場所が盛り込まれている。
その一つに北山杉がある。
川端康成の卓抜した筆力でもって見事に描かれており、目の前に北山杉の情景が浮かんでくる。
杉のつーんと鼻をつくような独特の匂いさえ漂ってきそうなのだ。
やはり名文は違う。
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 この北山杉に負けないほど立派な杉林が小豆島にもある。
美しの原高原とか星ヶ城周辺には美林が多い。
まっすぐ背筋を伸ばし、ひたすら天を突き上げている、その誠実さがすがすがしい。
いつもこうありたい、と自己反省を促される。
横線が一本もない世界。
それは少し奇異だが新鮮な感覚に襲われることは間違いない。
木々にすーと自分を吸い上げられる感覚とでも言ったらいいのだろうか。
その際、横ぶれがまったくないため、自分の中に一本の太い直線が駆け抜けたような錯覚に陥るのだ。

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 ジベルニーというところがフランスにある。
パリ郊外の田舎である。ジベルニーと聞いてピーンとくる人は、相当な絵画愛好家か。
クロード・モネ。
フランス印象派の旗手的存在である。
かつてフランスで浮世絵など日本の文化がもてはやされた時期があった。
パリ万国博覧会が開催された時期に相当する。
「ジャポニズム」といわれる。
モネもジャポニズムに傾倒した一人だった。
彼はジベルニーに太鼓橋を含む日本庭園を建設し、
そこで光の効果をテーマに、何枚も何枚も習作に取り組んだ。

 パリ市内にオランジェリー美術館がある。
かの有名なルーヴル美術館の隣、セーヌ川を挟んでオルセー美術館の反対側になる。
そこにモネの睡蓮の大広間がある。
広間は二つあって、奥の広間に柳と睡蓮の池を描いたものがある。
かつて私はそこに何時間も座っていたことがある。
何十本という柳の枝が、横長の巨大なキャンバスを垂直に分割している。
その奥に静かに佇む睡蓮の池。
池に浮かぶ睡蓮の葉。
水面を這うそよ風に、わずかではあるが揺らいでいるように見える。
柳の枝、池、睡蓮。
一つ一つを取ると「静」なのに、組み合わせで見ると、
柳の垂直に切り下ろす圧倒的「律動感」が見る者の胸に迫ってくる。
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 小豆島の杉林にも同じものを感じる。
樹間に立つ。
周囲から立ちこめる冷気。
静寂で不動。
だが決して怖くはない。
むしろ心がほどけ、溶けてゆく。
が、一本、さっき言った真っ直ぐな誠実感に自身を貫かれる。
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 素麺の箸分け。
素麺を天日干しするとき箸分けをする。
その箸分けが終わった素麺には、息の詰まるような快感がある。
まさに匠の技。
滝のようになだれ落ちる疾走感。
それと途中でぽっきり折れて崩れ落ちそうな危機感。
この二つが合わさって「律動感」を生み出す。
「杉の美林」と「素麺の美林」。
私は密かにそう呼んでいる。
川端康成の北山杉に負けない美林が、ここ小豆島にもある。
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