1900年 壺井栄生誕
1908年 小豆島にオリーブ植栽
1954年 映画「二十四の瞳」封切り
1958年 植栽50周年式典に壺井栄出席
2008年 オリーブ植栽100周年
「二十四の瞳」が映画化された1954(昭和29)年。
一躍、売れっ子作家となった壺井栄は
4年後の「オリーブ植栽50周年祭典」に参加し、
会場となったオリーブ園の様子を次のように書き残している。
オリーブは六月の花です。
梅雨のころ、オリーブの小さな花のひれは、やわらかなオリーヴ色の葉かげににおい、
雨期の息くるしい空気をなごめます。
だから平和のシンボルといわれるのでしょうか。
そんな花の咲くオリーブの木をごぞんじでしょうか。
日本ではただ1ケ所、瀬戸内海の小豆島にだけあったオリーヴ。
その木がはじめて日本に渡ってきたのは、明治十一年のことだそうです。
今から五十年前のことです。
それで、この三月十五日には、それを記念するためのオリーヴの祭典が、
小豆島で催されました。オリーブにゆかりのある人だちとともに、
私も招待をうけてそのお祝いの席につらなりました。
式典はオリーブの丘と呼ばれている、50年前からの旧オリーブ園で催されました。
園内に式典のための広場がとれたのも、はげしい戦争時代を挟んで、
荒れるにまかせたオリーブが枯れ果てたためかもしれません。
そんなオリーブ園の姿を、おじいさんはどんな気もちで眺められたでしようか。
オリーブの樹齢は私はわかりませんが、
おそらく、おじいさんの植えたオリーブなどは、もう影も形もなくなっているかもしれません。
なぜなら、かつて私が若いころの記憶にあるオリーブ園は、
オリーブの茂みにおおわれたオリーブ色の丘であったからです。
園内に入ると、腰をかがめてくぐりぬけねばならないほど、
オリーブは、頭上すれすれにまで枝をひろげていました。
それが、今では何千の人が一つ所に集まれるほどの隙間ができているのです。
しかし、オリーヴの若い苗木はすくすくとのびていました。
正直なところ、私の胸を去来する思いは、
オリーブの50年が、いつも平和と遠かったということでした。
そして、オリーヴ園にかぼちゃがが這っていたこともある戦時中のある時期など
を思い出し、このオリーヴ園の下の道を、
日の丸におくられる若者たちの姿があとをたたなかったその時代に、
オリーヴは枯れていたことなど、新しく思い浮べながら、
式典の進行を、多少、辛い思いで眺めていました。
そして、50年がたち今年はオリーブ100周年
50年前に植えられたオリーブの木々は島にしっかり根付きました。
「オリーブ特区」を活用した未来への取り組みが始まっています。
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