壺井栄  氷点下への追憶
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今年の冬、瀬戸の島にも何度か雪が積もりました。

そこで、(^_^;)壺井栄が島の冬を回想した文章を紹介しましょう。

戦時下の昭和17年2月発表されたもの、60年以上前の物です。

前から2段目 左の男先生から2人目が壺井栄だそうです。

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私の郷里は四国の海辺の村である。
四国の海辺と云う答えは大陸的な、多少壮士かな云い方で、
細かく云えば瀬戸内海の海に包まれた小豆島の中の一寒村なのである。
今では小豆島も国立公園などと呼ばれて、
半ば遊覧地的な言い方をされているようだが、
そういう他国人が入りこむのは主に春や秋のことである。
従って小豆島が多少とも旅行者に媚びることのない姿でいるのは、冬であろう。
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人々は、海から吹き上げてくる北風を頭巾でさけ、
袖口の小さい着物を着て外を歩いていたが、今でもそうだろうか。
 そのように、寒い冬であったが、雪はあまり積もらなかった。
積もると云ったところで、朝起きてきてみると銀世界なのが、
お昼すぎにはもう解けてしまうような降り方であった。
だから、三寸も積もることなどは殆どなく、私の記憶の中でも、
小学校の一年の時の紀元節に降った雪だけが、雪らしい雪だったと思う。
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 この時の雪を未だに忘れられないように、
郷里の子供は雪に一種のあこがれを持っている。
雪が降り出すと私たち子供は外に飛び出して行った。
雪花は風に舞いながら降りしきっても、散るに従って消えてしまう。
この中を、子供はまるで花びらを追うように、
大きな雪花を目がけて手をのばし、雪の中を追い回した。
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降りのひどい時は前掛で受けた。頭も顔も雪にまみれた。
それでも雪はなかなか前掛にたまらなかった。
一握りくらいたまると、私たちはそれを次から次と頬ばったり、
幼い妹たちに頬ばらせたりした。
食べてうまい筈はないのだけれど、食べずにはいられない気にもなり、
また良べるのがあたり前のように良べた。
うまいような気がした。
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鼻の頭や頬っぺたが、紫色になり、手が感覚を失っても、
雪の日は犬ころのように外で遊んだ。
からだの芯底まで冷えきって、家へ帰ってくると、
始めて辛くなって泣きだす始末だ。
そして、火燵に温まると、叉外へ出てゆくのであった。
{後略}
(昭和十七年二月)発表 

雪が降っても「犬ころのように」走り回る

子供の姿は見られなくなった瀬戸の島からでした。(-_-;)