小豆島 生田春月の詩碑
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壺井栄の故郷「坂手村」の丘の上に立つ詩碑。

昭和14年に栄が発表した文章には、こんなふうに書かれてあります。

詩人生田春月が、洋上から見ると陸地が空白に見えると云う詩を残して
播磨灘へ投身し、自殺して流れついたのが私の村である。
空白に見えた陸地は小豆島であろうか。
今、春月は私共の先祖の墓地のある丘の上にその詩碑が建てられ、
永遠の眠りを小豆島にとっている。
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ついこの間帰島した私は、両親の墓参の時そこを通ると、
トランクを持った旅の学生が柵にもたれて物思かしげな恰好で沖を眺めていた。
妹の云うことに「姉さん、春月の墓に似合うとるのう」とにやにやする。
墓ではなく詩碑なのだろうけれど、私たちは墓なみに、持っていた椿や金盞花を供えた。
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絶筆「海図」の詩が原稿のまま銅板で自然石の詩碑にはめこまれ、
後ろに廻ると石川三四郎氏の筆で故人の来歴が刻まれてあった。
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小豆島は石の産地でもあり、北浦村あたりには大阪築城の残石が残っている位だから、
この詩碑も島の自然石なのだろうが、
周囲の地盤がコンクリートで固められてあるのは、心ないわざのように思える。
地盤をめぐらした鉄の鎖の外側は雑草が乱れていて、紫の露草の花が咲いていた。
夏が来れば虫も泣くであろうに、コンクリートは雑草もよせつけない固さで
しろじろとしているのは、春月氏のためにも辛い感じである。
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村中を見良せるこの丘は山を背負い、静かな海を目の下に眺められる特等席である。
空白の陸地に立って今春月の霊は、どんな気持で海を眺めているであろうか。
昭和十四年(1939年発表) 今から約70年前のことになります。(^_^;)

今は詩碑の周りは、芝生。

昨日は彼岸、詩碑の後ろの桃の花が、咲き始めていました。

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