『随想 膝の上』第13話 大先輩
鮠沢 満 作
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朝四時になるとカッと目が覚める。
これはこともあろうに、主人である私が飼ってる愛犬マル様に飼い慣らされたからである。
夏の朝、太陽が東の山の稜線をじんわりと染め始めると、
マルはマルケースとよばれるハーフドーム状の寝床から出てきて、
ウリャーとかけ声もろとも準備体操を始める。
いち、にー、さん。
ます前足のストレッチ、続いて後ろ足。
そして背中をピーンと反り上げ、そしてワン。
このワンは、「ご主人様、早く降りて来なさい。
散歩の時間ですよ」と催促するワンである。
はいはい分かりましたよ。
そそくさと着替えをすませ下に降りていく。
 ワンワン。
 二つ吠えると、これは「遅いぞ。待ちくたびれて痺れがきれたぞ」である。
 というわけで、朝四時になると必ず目が覚めるのである。
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覚めるのはいいが、今は単身赴任の身、そのマル様もそばにいない。
だったら朝寝を決め込めばいいではないか。
通常はそうなる。
でも根っからの百姓根性。
親父もお袋も百姓である。
だからその血を引いているのか、じっとしていられないのである。
そこで体操服に着替え、コップに一杯ウーロン茶をひっかると、四時半頃走りに出かける。
自分から個人情報を漏えいするが、長い間格闘技をやってきた。
自分ではまだ現役だと思っている。
だから身体を鍛えておく。
ランニングに出るのはそのトレーニングの一環である。
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 朝の四時半にトレーニングですか?
 そう思うでしょう。
ちょっと変わってますね、そう顔に書いてありますよ。
いいんです、私さえよけりゃ。
人様には迷惑かけてないですからね。
四時半と言えば、漁師、新聞配達、牛乳配達、こそ泥等々を除けば、
まあ普通はみなさん眠りの底にいますよね。
でも朝の空気って気持ちいいんですよ。
知らないでしょう。
自動車の排気ガスやら人間様の垂れ流す工業廃液なんかの悪臭といった、
いわゆる諸々の汚染物質にやられた昼間の空気とは違って、
それはそれは頼もしいくらい凜としてピーンとして、そしてパリッとしているのです。
まるで揚げたてのポテトチップ。
喉が切れるような直角な空気を肺に送り込むと、
肺の細胞が甘い朝の空気に軽く痺れさえする。
自分が朝に染められていく。
そんな感じなんです。
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 朝の四時だとこれを独り占めできるのだ。
贅沢でしょう。
本当の贅沢というのは、こういうのを言うんでしょうね。
きらびやかな衣装を身に纏うのでもなく、高級な車を乗り回すのでもなく、
高級レストランで高脂肪高コレステロールがいっぱい詰まったおいしいものを食べるのでもない。
そんな人工的な味付けと風味たっぷりの薄っぺらな代物ではなくて、
もっと基本的でささやかなもの。
基本的でささやかだが、酷があって新鮮そのもの。
その一つが朝の四時にある。
それを独り占め。
と思いきや、残念ながらそうは簡単に問屋が卸してくれない。
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 ご想像のとおりです。
私より早く起きて同じことをやっている人がいるのです。
それも複数。
彼らはいったい何者なんでしょう。
かく言う私も、彼らにそう思われているのかもしれない。
「あの変態野郎、また走っていやがる。夏も冬もウィンドブレーカー着て。
バカの一つ覚えか。
いったい何者なんだ」
その常連さんの中に一人、私が尊敬してやまぬ男がいる。
年の頃は、六〇、六五、それとも七〇? 
要するに年齢不詳である。
頭は結構砂漠化が進んでいて、かつてふさふさとして緑の草原だった部分は半ば失われている。
黒縁のメガネがスーパーマンのクラーク・ケントに似ているが、
その奥に座った目は細く鋭く獰猛だ。
鼻は過去にどういう歴史があるのか、途中で約五度くらいの角度で左に振っており、
少し潰れ気味だ。
息がしにくいだろう。
何? 大きなお世話だ、と? 
ごもっともです。
唇は薄く、やや酷薄的な印象を与える。
タラコの唇が人情味に厚く、少し悪口を言っても許せるのに対し、
この薄い唇はめったに余計な口はきかず、もしそれが口を開くとしたら、
飛び出してくる言葉は辛辣無比で、聞いた者の鼓膜を一生打ち鳴らすに違いない。

 走る姿といえば、これがまた少し特徴がある。
身体を右方向に約十五度くらいねじり、左手は通常の腰の位置だが、
右手はどういうわけか力が抜けたみたいに、だらりとさげたままでいるのだ。
そしてパタパタと靴音を立てながら走ってくる。
これは私の想像であるが、この男かつて脳梗塞か何かを患って、
そのリハビリを兼ねて走っているのではなかろうか。
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もう一つ私がこの男に興味を覚えたのは、着るものである。
私は夏でもウィンドブレーカーを着て走る。
それを見れば、私もよそ目には少しは変わっているかもしれないが、
それでも季節を問わなければ歴とした運動着には違いない。
なのにこの男、何と普通のシャツとズボンをはいて走っているのだ。
想像していただけますか。
そのままフェリーに乗り込んで、高松の三越でお歳暮を買っていても、
誰も振り向いて好奇の眼差しを向けることもない出で立ちなのである。
ちょっと買い物に出てくると言って、玄関を出た。
ところが何かの衝動に駆られて突然走り出した。
まさにその恰好なのである。
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 この男に早起きという点でときどき勝つこともあるが、凄い、と私を唸らせるのは、
毎日同じ時間に同じコースを同じ速度で同じ服を着て同じ姿勢で走ること。
それと年齢。
さっきも言ったが年齢不詳だが、間違いなく私より一回り以上は上と思われる。
それなのに私よりはるかに元気なのである。
私の勝手な思い込みかもしれないが、彼は一種の求道者である。
雨の日も風の日もカンカン照りの日も雪の日も走り続ける。
私が二日酔いでときどきちょんぼするのに、男は絶対休むことをしない。
走るという行為を毎日寸分違わず実行する。
三度の食事と同じように、歯磨きするのと同じように、
便器に座って排泄するのと同じように、一年三百六十五日。
これがうならずにおれようか。
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 単純。繰り返し。
 改めて考えてみるに、これほど陳腐で使い古された言葉はない。
まるでコピー機で何万回となく焼いたような言葉。
だがこの裏に真理が隠されていることに、我々の多くは気付かない。
パラドックスだが、単純なことほど難しい。
そして深遠である。
単純は単調。
単調は面白くない。
面白くなかったら飽きる。
それでは繰り返しはどうか。
毎日同じことを繰り返す。
繰り返すと単調になり新鮮味がなくなる。
すると退屈になり、飽きる。
だから単純と繰り返しが結合すると、鬼に金棒でこの上なく至難の業となる。
辛抱のない人間はすぐ途中で放り出してしまい、
こんなこと何食わぬ顔でやってのけるのは求道者
もしくはオタクくらいのものと相場が決まっている。
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 パタパタパタ。
踵の薄い靴音が闇のしじまを破って聞こえてくる。
今日も来たね。
さすがだ。
すれ違うとき大先輩に対する敬意で、おはようございます、と一声掛ける。
だが、黒縁メガネの男は何の返事も寄こさない。
ただ我が道を行くのみ。
真っ直ぐな一本道を。
その先に何を見ているのか誰も知らない。
それでも身体を右に十五度ねじって、右手をだらりと下げ、
そして普段着でひたすら走り続ける。
男が幻のごとく遠ざかり、闇に消えていく。
哀愁を帯びた後ろ姿に、ちょっぴりくたびれた男らしさが貼り付いている。

 ローンランナー。
黒縁メガネの男。
いったい何が彼にそうまでさせるのだ。
その答えは、闇の先にある。
男が独り占めしている闇の先に。 

写真は、小豆島の大部・小部で人の住まなくなった家の周辺で見かけた物です。(^_^)/~