随想 膝の上第14話 紅葉狩り
鮠沢 満 作
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まさしく全身すっぽりと紅葉に呑まれていた。
気が付けば、紅葉の絵の具の中を泳いでいるのだった。
最初は頭でその美しさを噛み砕いていた部分があったが、
こういう場合考えるという行為そのものが野暮で無意味、
途中から感覚的に理解するというものに変わった。
 ときどき自分が変身したくなるときがある。
そんなこと根本的にはできっこないのに、それをしたくなるのが人間。
特に私のように少年返りした大人はその傾向が強い。
叶わぬ願望とでも言うのだろうか。
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でも、少しくらいなら心の持ちようでそれもどうにかなる。
疲れてへとへと。
一歩たりとも動きたくない。
ご飯も食べたくない。
蒲団にもぐり込んで、四肢が退化するほど寝たい。
もう自己変革もへったくれもない。
こういう末期的状況でも、自分が少しでも打ち込めるものに、
まあ試しにやってみるか、と自己投入してみると、
意外に普段と違った自分を発見し結構変身できる。
当然のことながら、一時的なことではあるが……。
持続性のある変身を望むなら、それ相応の覚悟と努力、さらに代価が伴う。
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 私はよく自然の中に自分を放り出してみる。
すると、自然というものがこれほど繊細で優しいものかと気付く。
その逆もある。
言葉にはならないほどよそよそしくて冷たく、
ときには抗いがたい猛威を振るってくることもある。
たとえ後者の場合であっても、人間は心のどこかに自然を求め、
その懐の中で癒されようとしているのではないか。
かく言う私もその一人である。
多分、その理由の一つに自然が嘘をつかないというのがあるのだと思う。
嬉しいとき寛大に他者を慈しみ、腹が立ったら烈火の如く怒る。
人間のように、相手によってあの手この手と使い分け、
計算高く振る舞ったりはしない。
だから真意を推し量る手間も不要だし、余計な気を遣うこともない。
目に映る現象そのものが事実であり、それをもたらす秘められた力こそ真理である。
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 余計な気を遣わないでのんびりくつろげるところ? 
確かこれによく似たものが……そうだ、家族だ。
でも昨今のニュースを見ていると、
丸い心がギザギザになってしまうような事件が後を絶たない。
ギザギザどころか、干からびてひび割れさえしてくる。
肉親同士がいがみ合い、殺し合う。
もう家族が家族でない。
換言すれば、他人同士の集団生活、異物同士の同居。
このコンクリートのような無機質の空間に見え隠れするものは明らかだ。
言葉を忘れ、視線を合わさず、自分の世界にこもる。
いつしか煩わしいことから目をそむけるあまり、生き方そのものを喪失する。
自分が生きているのか、はたまた生かされているのか、それさえも定かでない。
温かい感情を滋養にすくすく育っていない人間は、
心に巣くった空虚を埋めるのに暴力に走る。
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囲炉裏を囲んで肩を寄せ合い暖を取る。
熱い鍋物をフーフーと息を吹きかけながら口に運ぶ。
孫がおじいちゃんの膝の上で、大きな目をぱっちり開けて、
揺れる火を眩しそうに眺めている。
こんな風景はもう日本では見られなくなってしまうのだろうか。
もしそうだとしたら、私たちは途轍もなく大切なものを失おうとしていることになる。
ちょっぴり貧しい。これが一番。
ちょっぴり幸せ。これで満足。
疲れた自分を少し休めてみませんか。
小さな止まり木でもいいじゃないですか。
そばに誰か寄り添ってくれる人がいればなおさらいい。
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今は紅葉の季節。
木々が、山々が、錦の衣にすっぽり包まれている。
あなたも一枚の葉っぱになってみてはどうですか。
あなたも一本の木になってみてはどうですか。
そしたら少しは装いを変えることができるかもしれません。
装いが変わると、気持ちも変わって内面も変わる。
ひび割れた心に潤いという潤滑油を流し込むことができる。
子供だましみたいですけどね。
 ちょっぴり貧しい。これが一番。
 ちょっぴり幸せ。これで満足。