第21話 奇蹟
鮠沢 満 作
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 私の家族は四人。
父、母、兄、そして私。
父はすでに鬼籍に転じている。
母はもうすぐ八十に手が届く。
その母に奇蹟が起こった。
話はこうだ。
母は野菜畑にいた。
生来の貧乏性か、じっとしていられない。
毎日のように野菜畑に行っては、身体を動かしている。
毎日行くのだから、さして仕事があるわけでない。
とにかく身体を動かしていれば安心するのだろう。
そういえば長女が歩き始めた頃、毎朝五時くらいなるとムクッと立ち上がり、
何十分もベビーベッドの手すりにつかまって立っていたことを思い出す。
妻によると、子供というのはよちよち歩きしだすと、
そうやって自分が歩けるかどうか確かめているのだそうだ。
母もこれと同じで、畑に出て自分が動けるかどうか確かめているのだろうか。
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 その母がキャベツ畑の草取りか何かをやっていたときである。
母の頭蓋骨の内側をナイフで抉るような鋭い痛みが走った。
母は普段から頭痛持ちで、よく頭が痛いとこぼしていた。
だが、その日の痛みは普段の比ではない。
右目の奥がキリキリ切り刻まれていく。
母は我慢できずにその場にしゃがみ込み、兄の名を呼んだ。
幸いその日は土曜日で、兄は休み。
彼は折角の休みとばかりに、釣りに出掛けようとしていた。
 そのときどこからともなく自分の名前を呼ぶような声が……。
 はてな……。
 空耳?
 まあいいか。魚が早くおいで、と呼んだに違いない。
 兄は軽トラに釣り道具を積み込んで、さあ出発だ、
 とばかりに運転席に乗り込もうとした。
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 そのとき野菜畑では母の意識はほとんど切れかかっていた。
しぼんでゆく意識。白い部分がどんどん黒く塗りつぶされていく。
もう目の前が真っ黒で思考停止寸前。
それでも本能か、小さくなった思考の断片の、それまた隅っこから息子の名を呼んだ。
 今度ははっきりと聞こえた。
 兄は訝しく思いながらも声のした方へ行った。
 するとどうだろう。
母が地面に寝そべって身体をくねらせキャベツと戯れているではないか。
いくら陽気だとはいっても、モンシロチョウになるにはちと歳を取りすぎてはいまいか。
「おかはん、何やってんだ」
半ば呆れ気味に訊いた。
だが母は頭を両手で抱え、のたうちながらただウーウーと狼少年よろしく唸るだけ。
モンシロチョウからオオカミ少年への変異か。
兄が駆け寄ると、その表情は苦悶に歪んでいた。
そこではじめてただごとではないと悟り、すぐさま軽トラを走らせ病院へ連れて行った。
まあ奇蹟というのは、一連の伏線があって起きるもの、と私は解釈している。
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つまりその日、たまたま兄が仕事が休みだったこと。
その日たまたま市民病院に脳外科専門の当直医がいたこと。
偶然ICUにベッドが一つ空いていたこと。
頭蓋骨を一部取り外し出血部位を治療するという通常の処置に踏み切らなかったこと。
さらに言えば、待合室で冷たいようだが兄と私が父に対して、母の回復は絶望に近いから、
まさかのときのために覚悟を決めておいた方が落胆も少なくていいよ、
となんとも親不孝な忠告を発したことも、
もしかするとそのことで神様が父のことを哀れんで、
禍を福に転じた要因だったと考えられなくもない。
要するに、こういった諸々のことがいわばジグソウパズルのそれぞれのピースであって、
それらがうまく組み合わさって奇蹟は起こる。
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 クモ膜下出血。
これが母がモンシロチョウになり損ねた原因だった。
誇張に聞こえる節もあろうが、
手当に要するエネルギーたるや巨大なダムを建設するの匹敵した。
規模こそ違えやることはまさに大がかりな工事そのものだった。
母の年齢を考え、通常の外科的処置をせず、
大腿部の血管から細いカニュラを挿入して脳までゆき、
管の先に取り付けた特殊カメラを頼りに出血部をクリッピングして止血するという、
まさに劇画かSFの世界でしかお目にかかれそうにない処置に打って出ることになった。
結果、手術に要した時間は、なんと八時間。
八時間の手術。
少し想像ができない。
というのも私の一日の労働時間に匹敵するからだ。
それに私のように手抜き足抜きで、適当にやっているのではない。
相手は患者。
一瞬たりとも気を抜くことができない。
まさに生死の天秤棒を担いでいると言える。
そう考えると、八時間の手術というのは、患者にしても医者にしても一大事業である。
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 だが待てよ、と邪推の多い私は考えてしまう。
医者の中にもいろんなのがいる。
誠実一途の医者。
そうかと思えば、鉄筋を減らして手抜き工事をするどこかの
マンション建設の請負業者みたいな医者。
後者のお世話になったらそれこそ悲劇だ。
例えば母を例に取ると、患者は七十を越えた老女。
随分長く生きてきたんだし、今さら息を吹き返しても余命幾ばくもない。
だったら一応は手術の真似事だけはしておいて、
途中で「ああ面倒臭い。や~めた」と手抜きしたって素人には分からないだろう。
まあこういうことが起こってもおかしくはない。
しかし母は運が良かった。
彼女の主治医は医者としての使命を全うした。
こういう医者に母が委ねられたのも奇蹟を起こす連鎖反応に違いない。
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 ようやく手術が終わり、医者からできる限りのことはやらせて頂きました、
と丁寧に術後の報告を受けたときには、すごい医者もいるもんだと、
今更ながら医者という職業を見直した次第である。
それに引き替え私の出臍をいじくった医者はどうだ。
手術に失敗したにも拘わらず、慰謝料(医者料と書くべきか)を払うどころか、
ごまんと治療費をせしめたのである。
お陰で私の臍は醜く黒ずみ、カラス貝が夏の太陽に干されたみたいに、
パックリ大口を開けているのだ。夏なんか恥ずかしくて海水浴にもいけやしない。
中学のとき、きっちり臍が隠れるどでかい海水パンツをはいて行ったところ、
友達に「なんでお前の海水パンツそんなにでかいんだ? 
臍が見えるやつが今のはやりなんだ」と冷やかされた。
おのれ藪医者め! 
今からでも遅くないから、カニュラでも内視鏡でも何でも使って俺の腐った臍を治してみろ!
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 話のはぐれついでに、母が手術を受けた翌日、
近所のおばさんが同じクモ膜下出血で入院してきた。
(クモ膜下出血って、伝染するのかなあ)。
だが、その日はあいにくと脳外科の先生はおらず、
医科大学に応援を求めることになった。
しかし、搬送するのに時間がかかったことも原因の一つか、
残念ながら手術の効なく三日後に亡くなった。
 それに対し母はといえば……。
この……が何を意味するか。
実は、母は奇蹟的とも思える復活劇を演じたのである。
最初、医者から手術が成功しても言語障害とか手足の麻痺が残りますよ、
だから家族の人は気長にリハビリなんかに付き合うように、
と前置きされていたのである。
ほぼ諦めていた私たちにしてみれば、どんな形であれ生きててくれさえすればそれで十分だった。
 ところが、とここでフォントを変えて太字にする。
 奇蹟。
そうまさに奇蹟が起きたのである。
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母は言語障害もなければ手足の麻痺もなかった。
それどころか手術前よりもはるかに言語・頭脳ともに明瞭、
且つ手足は車検後の車みたいに快調に動き出したのである。
完全なるオーバホール。
「やったね! これだったらときどきICUに入るのも悪くないね」
「拾った命。これからは二度目の人生を謳歌できるというもんだ」
「人生を二度楽しめる人間なんてそうざらにはいない」
「じゃあ今晩は祝杯といくか」
 私たち兄弟はそう減らず口をたたいて、
手術当日父に向かって、
「まさかのときのために覚悟を決めておいた方が落胆も少なくていいよ」、
と言った言葉を茶化す形となってしまった。
だが結果がすべて。まさに私たち家族には最高のエンディングとなったのである。
 それから二年足らずで元気印の父が他界した。
 う~ん、人生は予測不能。
 そして波瀾万丈。
 今日もどこかで奇蹟が起こっている。そう思いませんか。
 納得? 
 でしょう。
 ではこの話はひとまずここで。
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