塩飽諸島 高見島一周ウオーキング
快晴の青い空を見て山陽汽船の新しい舟に乗ることを思い立ち原付バイクを多度津港に走らせる。


そして買ったのは近い方の高見島行きのチケット往復960円。
優柔不断さがますます進む今日この頃・・・自覚症状有り・・

今治市の大三島の藤原造船で生まれた舟だ。総トン数は88屯。
小豆島や岡山港を結んでいる舟の1/10で小さくてかわいい。

定刻9:05分出航。久しぶりの「船旅」に心はウキウキ。

建造中の今治造船の巨大船に見送られながら沖合の高見島を目指す。
途中、備讃瀬戸南航路を横切るために西行する舟の進路妨害をしないように、航路を微妙に調節しながら進む。

浦集落が見えてきた。小中学校跡やお寺の屋根などが識別できる。

高見島港での乗客を降ろした後、舟はきびすを返し、
素早く軽やかに岸壁を離れ、
次の寄港地佐柳に向かうために港を出て行った。

下船した数人の乗客は、私が舟を見送っている間に誰もいなくなった。観光客は私一人。孤独な岸壁と待合室である。
昨年の「瀬戸芸」の賑わいは何処に・・・?

まずは地図を見ながら今日の戦略を考える。
どっちの島へ行くかも決めていなかったのだから計画性などは何もない。
私の頭の中にある予備知識を並べてみると
①塩飽人名の島で廻船で財を為した富裕層がたくさんいた島
②咸臨丸に乗り込み勝海舟とサンフランシスコに渡った水夫がいた
③その水夫の中には、幕末に榎本等とオランダに留学し、倒幕後は榎本と行動を共 にした者がいた。
④映画「男はつらいよ 46」の琴島の舞台となり、引退船長の娘役に松坂慶子が出演。この島の石垣と階段の風景が印象的であった。
⑤両墓制が残り、埋め墓と祀り墓が分離している。
⑥独特の食べ物として、伊予新宮など四国の奥地の集落で栽培された茶(発酵茶?) を用いた茶がゆが残っている。
以上である。
我ながら予備知識はいいかげんにあるなとうぬぼれていると・・・
「なお、島には売店も自動販売機もありませんので飲み物は各自用意してください」とある。自動販売機くらいはあるだろうと、持てる水量はペットボトル半分のお茶のみ。さてどうなることやら。

そしてやってきたのは浜集落の両墓制の墓地。
人は自分の予備知識を確認したいものなのだ。
地蔵の背後が埋め墓だろうと推察。ここに埋葬し、白骨化した後に骨挙げして本墓に移す。沖縄にも同じ風習があった。骨揚げの際の「洗骨」をするのは女の役目とか・。火葬しないので薪が必要ない、木を切らなくていい、環境には優しい風俗やわなあ・・・と考えながら、本墓へ向かう。

ひときわ目立つ墓に出会う。これが咸臨丸の水夫で、蝦夷共和国建国のために戦った男ではないかと思ったが・・・・
右側面にはまったく異なることが刻まれていた。
砲塔らしきものを見て気付くべきであったと反省。
うきうきするような成果は何もなく、島の西方探索を終えて、浦の集落に引き返すことにする。

浦集落の島で唯一の民宿手前の道を登っていくことにする。
チャレンジ坂、アート・石垣・絶景のビューという言葉が少し軽く響いてくる。

すぐ上が旧高見小・中学校。今は廃校になっている。

野外研修センターになっているようで、野外炊飯所やシャワールームなどが整備されている。

校庭のネットの向こうはすぐに海。
福山辺りの製鉄所に鉄鉱石を下ろしたのか喫水線が大きく海上部に出たバラ済み舟がゆっくりと備讃瀬戸航路を西に向かっている。

それを眼下に見下ろしながら二宮金次郎は読書にいそしむ。
男子タルモノこうありたいものだと常々思ってはいるのだが・・・

おむすび山の讃岐富士を後にして進む舟に何かしら惹かれ、長い間見送ってしまう。

島の最高峰竜王山への分岐点にやって来た。
行くべきか行かざるべきか、悩む。
ペットボトルにはほとんどお茶はない。水分をもたないまま高低差250㍍50分の行動は、今の私にはきつい。
結論はすぐに出せた。「頂上は目指さない」である。
しかし、この石垣の緻密な作りはどうだ。インカ帝国クスコの町の石組みにも似ている。(行ったことはないが・・・)
どんなお宅か拝見させて貰う。

むむ・・・ いったいこれは・・・何?
以下は次回へ(発行予定未定)
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