梅雨入りには少し早い6月初旬に、高見島を訪れた。思いつきで目的地をころころと変えながら島を「徘徊」する。そして、たどり着いた一軒の豪邸(?)。その家の「ひろな」をのぞき込むと、こんな光景が広がっていた。

反対側から見ると

こんな感じ・・・・????
庭先の白い箱のような中にはいってみると、

海を前面に全面の鏡張り。こんな光景が目に飛び込んできます。
そして、そこに広がる光景は・・

西に向けて開け、与島や本島、そして瀬戸大橋が迎えてくれます。

いったいこの仕掛けは??
私の「予備知識」をフル動員して浮かんできたのは「瀬戸芸の作品」=置き土産かなという推察。
それにしても、朽ちていく集落の中を「侘びさび」「滅びの美学」を味わいながら歩いてきて、その雰囲気の中にどっぷりと浸かっていた身にとっては、どんでん返しのオブジェでした。これをアートの力というものかしらと自分を納得させます。
この「テラス」に座って大休止。陽光の中、ウトウトと昼寝までしていました。
太陽光の熱さで目が覚めます。
もう一度、周囲を見回して見つけたのがこれ。

高見島の民家の飾り瓦 しっぽが禿げた夫婦の鼠?

こちらは馬?

こちらはウサギでしょうか?

広島方面を守るのは普段は仲の悪い犬と猿

そして正面には吠える虎

さらに母屋の屋根には、滝を登り龍をめざす鯉がはねています。

最後は天女に見送られて、この「テラス」を去りました。
いろいろな発見があり、楽しい時を過ごさせていただきました。感謝
さて次は、どこへいこうかしらん。
歩きながら気付いたのは、人の気配がないということ。
浦の集落自体が「ゴーストタウン化」しているうな気配。
歩いても誰にも出会わない。

高見島の集落跡
更地になった空間が至る所に点在する。

屋根から下ろされた瓦がオブジェのように積み上げられている光景が到るところで目に付く。

そういえばこの島が「琴島」として登場した「男はつらいよ」で、松坂慶子の父親でかつては外国航路の元船長がダンスを踊った家は、今はどうなっているのか・・・とふと思う。そして、先ほどの家が重なり合う。
1993年の封切りだったからもう四半世紀の時が流れている。

大聖寺への分岐点までやって来た。

ここが光男を連れ戻しにきた寅さんが、最初に松坂慶子に出会った場所だ。この階段を登っていくと

大聖寺の山門
大聖寺の山門が見えてくる。

ここは期待したとおりの光景を用意して待っていてくれた。

季節は琵琶の熟する頃
おむすび山の讃岐富士と沖を行くコンテナ船
時間を気にせずボケーと眺めていた。

大聖寺
お参りを済ませて、さてどうするかを思案する。
帰りの便は15:50。今は12:10分。約3時間半の時間がある。
蝶が花から花へ渡り歩くように、普段は目的地から目的地へ目的地へ渡り歩く習性がある私である。しかし、島ではそれはできない。舟が来るまでは、時間の「有効活用」を図ることを求められる。何事にもゆっくり、ゆっくりなのである。
いろいろ考えた末に、島の北の端の燈台まで行くことにする。男木島の北端の燈台の雰囲気の良さに味をしめていたのである。

高見島 浦の港
目標が決まれば行動あるのみ。
長い休息の結果、躰は軽くなった。島の北端の燈台目指して出発!
この時は、それが思った以上の「苦行」になるとは思ってもいなかった。
その様子は、また次回に・・・・・
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