津照寺 海神が仏教化した梶取地蔵

東寺と西寺の間に津照寺(津寺)があります。津照寺は『今昔物語集』に出てくる寺ですからかなり古い寺です。ところが、それを飛び越えて西寺と東寺が結んでいました。もちろん、そのころは二十四番、二十五番、二十六番などという番号はありません。津照寺は古いお寺ですが、二十五番として仲間入りをしてくるのはおそらく室町時代です。これは海上安全ということで、漁民の祈願寺であったに違いありません。

津照寺は補陀落渡海について問題があります。
舵取地蔵といっていますが、もともと船に乗ってやってきた地蔵があったのかもしれません。山内忠義公がこの沖で難破しかかったときに、とつぜん、揖取の若い男が現れて無事に船を着けてくれて、そのまま姿を消しにしまった。ところが、津昭寺のお地蔵様がびっしょりと濡れていたので、このお地蔵さへが舵を取ってくれたのだという話に変えられています。もともと揖取は海のかなたかり渡ってきたのだとおもいます。

津照寺の位置は行ってみたらすぐわかります。室戸の市中、港のすぐ上の小丘上にあります。非常に小さな、いわば行当岬の不動岩のようなところです。海岸にあるこういうものは港にとっては必須です。遠くに出ていて自分の港に帰るときに目印がなければなりません。それから漁をする場合に、漁場を決める目当山が必要です。二つの目当を置いて、両方の交点のところで自分の位置を決定できますが、三つあれば、なおさら確実です。目当の山の中でも、とくに自分の帰るべき港の山は曇っていても見えなければいけませんから、なるべく高いほうがいいのです。そういうところに海の神をまつります。恵比須社や王子社もこういう丘の上にまつられます。梶取地蔵は、そのような海神が仏教化した仏です。
室津港は17世紀後半に野中兼山によって改修されました。
その築港はたいへんな難工事で、延べ百七十万人を要したといわれています。
「自分が人柱に立つ」といって切腹した責任者が一木神社にまつられています。
ここは両方の入口が並んでいるので用心しないと津昭寺に入らないで一木神社のほうに入るおそれがあります。右の方が揖取地蔵と書いてある津昭寺、左のほうが一木神社です。入口は社とお寺が仲よく並んでいます。

丘が非常に狭いので、お堂は本堂一つだけで、あとは何もありません。
本堂まで百八段の石段を登りますから、よほど元気な人でないと登れません。
下の大師堂と納経所で済ませてしまいます。
本堂は新しくなったので、登ってみるほどの価値けないかもしれません。

霊験談として、『今昔物語集』の巻十七の第六話に、室戸津の津寺が火災になったときに、一人の若い男が現れて消して、津寺が火事であるということを告げて回った。地蔵が姿を変えて火を消し、人々に火災を知らせたのだという話が出ていて「地蔵菩薩、毘沙門ニ結縁シ不奉卜云事無シ」と書かれています。
地蔵の霊験を集めた巻十七の第六話として出ていることから、霊験あらたかだということが、都まで聞こえていたと考えられますから、非常に古い地蔵信仰です。地蔵信仰はむしろ鎌倉時代以後に盛んになります。平安時代に知られた地蔵だというのは、四国としてはよほど有名な地蔵であったろうとおもいます。

補陀落渡海のことは『観音利益集』と『地蔵菩薩霊験記』に出ています。両方とも同じ話ですが、『地蔵菩薩霊験記』は室戸岬を「足摺御綺卜は申也」と書いているので、少し問題が残ります。
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