行当岬 クチコミ・アクセス・営業時間|室戸岬周辺【フォートラベル】

行当(道)岬(室戸市)

室戸の金剛頂寺の下の海岸には、海の行場が残されています。実際に不動岩のある村と港は、行道とはっきりと書いてあったことが資料からも確かめられます。この岩をめぐるのは、非常に危険なことです。こういう岩をぐるぐると何回も、めぐることを行道といいました。
金剛頂寺 行道不動看板
行道不動(室戸市)

 山や岩があれば行道をするというのは、すでに700年ほど前の記録に出てきます。

例えば、歌人で有名な西行は修験者としての修行も行っています。彼の歌に、非常に苦労し善通寺の我拝師山に登って行道したという詞書があります。我拝師山に行ってみると『山家集』の詞書にあるとおりの山であり、行道所があります。それが善通寺五岳の捨身岳です。
金剛頂寺 行道岬
行道岬と行道岩(現 行道不動)

行道には小行道・中行道・大行道があります。

一つのお堂をめぐったり、岩をめぐるのが「小行道」です。小さな山があると、山をめぐって行道の修行をします。室戸岬の東寺と西寺の行道岩とは約12㎞あります。この間をめぐって歩くような行道を「中行道」と名づけています。
 四国をめぐるような場合は「大行道」です。したがって、大行道に当たるものが遍路ということになるわけです。もちろん、小さい場所でも辺路修行ができました。足摺岬の場合も当然そういうことが考えられます。海岸には胎蔵窟があり、山には金剛福寺があるので、金剛界と胎蔵界をめぐるのが中行道です。そして、何年かかるかわかりませんが、八十八か所を回るのは大行道です。
 西国三十三所も同じように大行道です。

金剛頂寺 行道岬2jpg
行道岬の行場
 
 海を神様にする信仰が行われた場所が、このあたりなのです。これが辺路というものです。海と陸との境を修行する辺路修行がのちに遍路になりました。弘法大師より先にすでに海洋宗教がありました。奈良時代には明らかにあったので、弘法大師は青年時代に海洋宗教の辺路修行というものに入っていきました。とくに新しい法として求聞持をしながら辺路修行をしています。弘法大師が来たといわれるところには、行道の跡と聖火の跡があります。適当な場所や岩があると、これをぐるぐると回る修行をしました。歩くということは、結局は何かをめぐっているわけです。
四国という島がありますと、ところどころにめぐる岩なり山があって、これをめぐりながら次のところに行き、またそれをめぐりながらそれを越えていきました。

 行当岬にも、行道岩があります。

『四国偏礼霊場記』には「行道岩」と書かれています。
現在は不動さんをまつっているので不動岩と呼ばれています。これはちゃんと回るところもある小行道です。元禄十何年かの碑が立っているので、元禄年間(1688-1704)のころには、回っていたことは確実です。 行当岬も行道岬です。
空海の見た風景「高知室戸・行当岬」の不動堂の景色がスゴい! | 高知県 | トラベルjp 旅行ガイド
行道窟から見える景色
西寺ではそういう行道が行われました。東寺では窟を修行の場所にして、洞窟をめぐったと考えられます。洞穴を胎蔵界、突き出たような岩とか岬とか山のようなところを金剛界とします。男と女というように分けて、両方をめぐることによって、金剛界・胎蔵界が一つになるのが金胎両部の修行です。
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行道窟(室戸市)

 足摺岬に行くと、もっとはっきりしますが、室戸岬にも金剛界と胎蔵界をめぐる行道があったに違いないとおもいます。東寺と西寺の間は、12㎞ほどありますので、全部で24㎞ぐらい
は毎日歩かなければなりません。それを「中行道」と呼びます。四国全体を回るのが「大行道」です。

東寺と西寺は洞穴と岩になっているので、中行道としてめぐったと推定できます。
真言を唱えるのが三時間ぐらいだとすると、お香を焚いたり、花を供えたりする準備まで入れる5時間ぐらいです。実際にこれをやった人の話では、何もなしに唱えていたら退屈だといっていました。退屈なものですから、現在は求聞持法は50日で完成します。 
聖火を焚くことがないと求聞持法にならない、というのが求聞持法です。お経を唱えるだけをやっていたとしたら、命がけの行だといわれる理由がわかりません。

 行道と聖火があるから命がけになるのです。
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ここで弘法大師が行った求聞持法は、ただお堂あるいは洞窟の中に入って、一日に一万遍の真言を唱えてじっとしていたということではありません。真言宗の坊さんたちが求聞持法を完了したというのは修行中の坊さんとしての最高の名誉です。しかし、弘法大師のころはいまやっているような甘いものではありません。室戸岬から行当岬まで一日に一往復ずつしていました。それもなかなかたいへんだったとかもいます。
「五来重 四国遍路の寺」より