屋島寺の縁起では、鑑真和尚が開いたとことになっています。

世代のどこかに律憎がいたから、そういうことになったのでしょう。しかし、鑑真がこの寺の下の瀬戸内海を通って奈良に入っていったことは間違いありません。

『四国辺路日記』によりますと、
 先ツ当寺ノ開基鑑真相尚也。和尚来朝ノ時、此沖ヲ通り玉フカ、此南二異気在ト テ、 此嶋二船ヲ着ケ見玉テ、何様寺院ヲ可建立霊地トテ、当嶋ノ北ノ峯二寺ヲ立テ、則南面山ト号玉フ。是本朝律寺ノ最初也。

 律僧の場合は和尚を「ワジョウ」と読みます。したがって、鑑真和上と書いた文章がたくさんあります。沖を通ると屋島は南です。屋島寺の山号は南西山となっています。
 そして屋島の北嶺に寺を建てたとあります。この寺は北嶺に北面し、つまり海に向かっていたことがわかります。遍路の寺は海を向いているのが原則なので、北を向いているのはあたりまえです。
 まだ唐招提寺を造っていないときですから、戒律を学ぶ寺としては最初の寺だといっています。

この寺にも飛鉢の伝承が伝わっていたようです

其後、南都二赴キ給イテ、参内也。担当寺ニ、鑑真和尚所持ノ衣鉢ヲ留玉フ。 此鉢空二昇テ、沖ヲ漕行船具二飛下テ、斎料ヲ請。
 鑑真は南都奈良に入ります。しかし、鑑真和尚の衣や鉄鉢が残されていたようです。鉢が空に昇ることを飛鉢といって、飛鉢の伝承がほうぼうのお寺にあります。
越後には米山の沖を通る船に米を請うて、船頭に断わられると鉄鉢と一緒に船のお米が全部山に飛んできた、それで米山という地名になったという話があります。
 また修行をしていたときに、鉄鉢を飛ぱして船から米を全部奪ってしまったと伝えられています。沖行く船が航海安全のために、奉納品を寺や神社に納めていたことが分かります。納めなければ災いが襲うのです。後の村上水軍の論理と似ているところがあります。
 鉢を飛ばして奉納品を集めるという術も神仙術です。
山岳宗教は、もとをただせば仙人の行から始まったもので、仙人の修行をしていると、不老不死の術を得る、からだが軽くなって飛べると考えられていました。そのあたりの時代を「原始修験道」と呼ばれています。役行者以前は、そういうことが修験者の理想だったのです。

 弘法大師が再興し、北峯から現在地に移しました

其後、大師当山ヲ再興シ玉フ時、北ノ峯ハ余り人里遠シテ、還テ化益難成トテ、 南ノ峯二引玉テ、嵯峨ノ天皇ノ勅願寺トシ玉フ、 山号ハ如元南面山尾嶋寺千光院ト号、千手観音ヲ造、本堂二安置シ玉フ、大門ノ額ヲハ、遍照金昭三密行所当都率天内院管門ト書玉フ。

その後、この寺が衰えたのを弘法大師が再興したと書いています。
そのため真言の山になりす。屋島の先端では、人里が違くて人々を教化できないというので、南に来て山号は、元の如く南面山となりました。遍照金剛は大曰如来の別名です。

 弘法大師は中国で胎蔵界・金剛界の潅頂を受けて阿開架という密教の先生の資格を授かります。そのとき目隠しをして投げた花が二度とも大曰如来の像に落ちたそうです。「投華得仏(とうけとくぶつ)」といって、その人に縁のある仏の上に花が落ちると考えられていたので、潅頂の導師の恵果和尚が「遍照金剛と名乗れ。大曰如来という名前を名乗れ」といったと伝わります。

 弘法大師は門の額に、遍照金剛は三密を行ずるところに当たり、しかも都率天(とそつてん)の内院の入口であると書きました。大曰如来の浄土は都率天よりもはるかに格の高いところです。しかし、ここには弥勒菩薩の信仰があったとみえて、都卒天の内院に入る関門だと書いています。
然ニ此額ヲ毎夜、龍神上テ窺故ニ、此額ヲ掛置タラハ、
末代ニ寺ノ為ニ悪カルベシトテ、当山智ノ池ノ中島ニ埋セ玉フトナリ。 金来無退転、仏法相続シテ在。

しかし、この学が毎夜、龍神が窺うために、この額を掛けておくと、末代までこの寺のためにはならないと考え、池の中島に埋めさせた。それからは災いもなく仏法が続いた。と、額のないいきさつが書かれています。

 ここから遍路道を海へ下りていくと八栗との間に、壇ノ浦が広がります。ここには洲崎堂の跡があって、江戸時代までたいへん繁昌したようです。ここは辺路の修行場だと考えられます。東に行くと屏風を立てたような坂があって、その下に平家の城郭がありました。

平家の繁栄は、瀬戸内海の海上支配と日宋貿易と表裏一体の関係にありました。
鞆や尾道・宮島の神社仏閣を保護したように、この寺も平家の保護を受けていた時代があるのでしょう。瀬戸内海を行く交易船からは、ライン川の古城のように通行税を徴収するモニュメントに写ったのかもしれません。

 現在は陸地になっていますが、屋島は昔はその名の通り島でした。昔は水が引いたときだけ徒歩で渡れたようです。二つに分かれているけれども、潮がさしてくるときは一緒にさしてくる、潮が引くときも一緒に引くから相引と呼ばれたのです。