郷照寺は八十八か所の中で唯一の時宗のお寺です。

一遍上人は四国の人ですから、しばしばこういうところを歩いたにちがいありません。また最後の遊行を前にして、自分の郷里伊予に帰ったこともはっきりしています。亡くなる一年前に帰って、郷里のあちらこちらにお参りしています。
武具が非常に多いので有名な大三島の大山祗神社にお参りしたりして、それから十六年に及ぶ最後の遊行に出発します。善通寺から郷照寺を通りすぎて、淡路島から明石に渡って、神戸まで行って正応二年二二八九)八月末に亡くなっております。

郷照寺は、もとは道場寺と呼ばれていました。
寺は海に臨んだ高台ですが、昔はすぐ下まで海であったといわれています。
正面に庫裡、客殿、庭園があります。納経所は寺他の石段の上にあります。
本堂は東向きに建っていて、その前に庚申堂があります。
本堂の後ろの高いところに大師堂があり、その裏に淡島堂(粟島明神堂)と稲荷社があります。淡島堂は以空上人が建てたということがはっきりしています。
以空上人は、五剣山ハ栗寺に弁財天をまつった人です。

縁起は、霊亀年間(七一五-一七)に行基菩薩が開削して、もとは仏光山道場寺と名づけたと書いています。
弘法大師が再興し、尊心憎都、通苑阿闘茶などが住んだといいますが、現在は時宗で一遍上人の止住を伝えています。一遍は四国の松山の人で、善通寺に参詣して阿波から淡路へ越えたことがあるので、ここを遍ったことは確かです。
天正年間(一五七三-九二)の長宗我部氏の兵火で焼けたあと、江戸時代に再興して藩主の保護を受けました。書院にはすばらしい庭園があって、名石や名木があります。

郷照寺は宇多津の港に臨む高台にあって、仏光山の名のごとく灯台の役を果たしました。あるいは庚申堂の常夜灯であったかもしれません。庚申信仰は念仏信仰です。
昔はお葬式を手伝いあうのが庚申請でした。庚申念仏のために人々が集まる道場が道場寺になったようです。

このあたりは秘事法門が多いといわれるのは、このような念仏信仰が真言念仏・秘密念仏化したものがベースにあるのかもしれません。庚申堂本尊も密教の青面金剛です。もとは庚申請の掛軸を出したり、七色菓子を出したりしたかもしれません。現在は大師信仰だけになりました。

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