法輪寺-釈迦の開いた転法輪から

正覚山法輪寺は、転法輪から寺の名前が付いたとおもわれます。
仏教では説法をすることを法輪を転ずるといいます。
つまり、仏法を広めることを輪を転がすことにたとえて、転ずるといいますから、転法輪となるのです。
転法輪を最初に問いた人は釈迦如来です。
釈迦は小さな王国の太子でしたが、山の中に入ってしまいます。
そして、尼連作河というところで五人の同志とともに修行をしていました。
しかし、どうしても覚ることができないので、釈迦はひとりで陸に上がって、菩提樹の下に座って瞑想いたします。そこでようやく覚ることができたのです。その覚りを自分で味わっておりますと、神様が大勢現れて、お前の覚りはひとりのものではない、広めなくてはならないといわれました。しかし法輪を転ずる相手がいないものですから、水の中に入って苦行中の五人を呼んで、自分の覚りの内容を話しました。
苦行が辛くて逃げだしたとおもっていたお釈迦さんが、非常に立派な仏教の覚りを語って聞かせましたので、五人はそろって、お弟子になりました。六人の中で釈迦だけが覚れて、あとは弟子になったのです。

それが仏教教団のはじまりとしてのサソガです。
サソガを音訳して漢字にすると僧伽となります。
サソは同じという意味ですから、サソガは心を同じくする者という意味で、坊さんという意味ではありません。僧という字はサンと読みます。僧という字がニソペソですから、坊さんだと勘違いしますが、そうではありません。音を借りただけです。
転法輪の説明をしましたが、転法輪で覚りを開いたということで正覚山という山号になります。正覚山は転法輪から出たもので、もとは白地山といったと書かれています。

御詠歌は、「大乗のひばうもとかも翻へし 転法輪の縁とこそきけ」
小乗の教えを撤去することが転法輪です。
ありがたいお釈迦さんは立派な覚りを開いたといっているけれども、あとの連中は小乗だということです。
「大乗のひばうもとかも翻へし」というのは、大乗のほうから見た小乗に対する誹諧を翻し、転法輪の縁であるというふうに理解すべきだというのが「転法輪の縁とこそきけ」という意味です。
なかなか仏教の知識に明るい、よい御詠歌です。
念仏講などでは御詠歌を何の気なしに唱えていますが、御詠歌を通して仏教の理解なり信仰の理解なりができるとおもいます。御詠歌を年寄りの趣味と軽んずる人がいますが、やはり法を説くための因縁です。ですから坊さんが御詠歌を理解する力をもっていれば、正しく仏教の縁になります。

お釈迦様の転法輪は小乗だということを、ここでは大乗といったのです。
自分が覚ることによってはじめて他を覚らせることができるのです。
いっぽう、自分たちが覚ることはあとまわしにして、まず一般民衆を覚らせてやるというのが大衆部の主張です。じつは覚れるのだけれども、覚る一歩手前の人間に留まっていて救おうというの菩薩です。
仏であるけれども、人間であるというのが菩薩という言葉の意味です。
ボーディは覚り、サットヴアふ生き物あるいは存在するものという意味です。
サットヴアをよく有情と訳しまして、菩薩を翻訳すると覚有情です。
菩薩という字そのものに意味はありません。

法輪寺は縁起不明です。
本尊の釈迦如来は珍しい寝釈迦という涅槃像です。
涅槃像を拝む場合を考えますと、ひとつの流れがあります。
弾僣という人の系統はみな涅槃像を拝みます。
ただ、ここがそうであるかどうかはわかりません。
四国霊場の中でも、七十二番の曼荼羅寺と七十三番の出釈迦寺は、どちらも山号が我拝師山で、我拝師山が礼拝の対象になっています。我拝師山というのは、弘法大師がお釈迦さんに会いたいといって崖から飛び下りて、天人が足を受けたので助かったという物語があるところです。ですから、釈迦崇拝です。
それと同じような流れの中で、法輪寺も釈迦崇拝です。
釈迦崇拝は、涅槃像と出山の釈迦を拝みます。痩せおとろえて山から出てきた釈迦が、出山の釈迦です。その流れがこの中に入っているのではないかとおもいます。
縁起は不明ですが、本尊も御詠歌も釈迦崇拝を表しているので、熊谷寺と同じく法華持経者の寺であったとおもわれます。とくに釈迦を拝むのは法華経です。
法華経というのは近世に入りますと、弾誓流の専修念仏者は釈迦の檀特山の久郷を苦行をに真似るようになり、出山の釈迦と寝釈迦を礼拝しました。近世の仏足石もこの和の釈迦崇拝片行者によって造立されたものと考えられます。
仏教は苦行を否定すると一般にいわれますが、日本では法華経を読誦する行者は、あえて山林に入って苦行しました。その苦行から出てはじめて転法輪があるので、転法輪を略して法輪寺としたわけです。

歴史はよくわからないので、これも『四国偏礼霊場記』によるほかはありません。
『四国偏礼霊場記』は、本尊は「大師の御作、釈迦如来壱尺五寸の像ましませり」と書いていて、お寺の環境を
「深巷人なくして幽思きはまらず。樹木こゝろあるがごとく、うき世の塵もわするばかり也。今を見てむかしをおもふ。世のうつりかはるならひかくのごとし」
と描写して、たいへん寂しいお寺だ、人けがないところだ、昔は栄えたのだろうけれども、いまはすっかり衰微してしまっていると書いています。

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