切幡寺 流水濯頂会で有名
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 御詠歌は「欲心をたゞ一筋に切幡寺 のちの匪障りとぞなる」です。

 これは欲心を切り捨て、もし切り捨てなければのちの世まで障りになりますよという歌です。
 切幡寺の縁起については、一人の機織り女が機を織っていると、弘法大師が着物の綻びをつくろう布を所望したので、女は惜しげもなく機にかかっている布を切って差し上げた。その女が「千手観音で皆を救ってあげたい」というので、大師がすぐに像を刻むと千手観音になったというものです。
 しかし、実際には機の布を切るということは、幡をあげることだったとおもいます。
『四国偏礼霊場記』は、その縁起を
「此所は伝て云、大師初てこゝにいたり給ふ時、天より五色の幡一流降り、山の牛朧にして皿幡ふ右しらず、下は此山に落ちけり。怪異の事なれば、是を伝んとて、大師寺を立、切幡け玉ふとなん」と書いて、さらに「是より海を望む、頗る絶景なり」と記しています。
 
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  霊場寺院は、前がどうであったかということを考えないといけません。
ここには水神の信仰がありました。山の信仰には、山の神の信仰と水の神の信仰の両方があります。ここにはまず水神信仰があって、水神に御幣をあげました。幣といわれるものは、本来は麻です。麻の幣を立てて神様にあげていたのが、のちになると麻の布にたり、さらに木綿の布になったわけです。
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そういう古い礼拝のしかたをするのはお稲荷さんです。

お稲荷さんを拝むのに、山の奥に入っていって幣を立てた、布を立てて拝んだということが『今昔物語集』に出ています。いまは赤い幡のところもあるし、白い幡のところもありますが、お稲荷さんには幡をあげます。幡をあげるというのは、もともと幣をあげることです。それが切幡寺の幡です。ですから布を織る機ではなくて幡だとおもいます。
 一般には機を織っていた女が大師のために機の布を切って差しあげたので、この寺名があるといっています。しかし、布は幣の古態で、水神のに献ずるものであったといわれます。稲荷に幡をあげるのもこれですから、仏教以前の信仰が生きていたわけです。 
  所には仏教以前の信仰も残っています。死者供養をするような札所の信仰も、仏教以前の信仰が残っているものと考えて差しつかえありません。
  
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 切幡寺には流水濯頂会があります。

龍王信仰のある加持水の湧く経木場で、経木をあげて亡くなった人の供養をするわけです。流れ潅頂は四国をめぐっているとそこかしこで見られます。切幡寺の流れ灌頂は、もともとはお産で亡くなった人の菩提のためだといわれています。
 できれば亡くなった人が身に着けていた布を一尺四方ぐらいに切って、4本の足を付けて加持水に浸し、かたわらに杓を置いて、通る人ごとに水をかげてもらいます。

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 切幡寺の場合はすべての死者の供養のための流水面頂となっているようです。
流水腹頂には別の行事もあります。たとえば水で亡くなった人のための供養も流水濯頂です。ですから漁村などで亡くなる人があると、流水面頂をします。流水濯頂は中国では水陸会といわれました。京都の黄葉山ではお盆のときに宇治川に船を浮かべて塔婆を流します。いろいろなかたちがあって、布を垂らす流水濯頂もあれば、塔婆をあげるものもあります。

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 これは精神的に清めるのですが、精神的に清めましたというだけではいけません。それをなんらかのかたちに表すところに庶民信仰があるのです。インテリは「水をかけなくても清めてやろうとおもっただけで清まるではないか」といったりしますが、やはりかたちに表すと言うことに意味があります。切幡寺の流水濯頂はこのあたりでは非常に大きな行事になっています。
 『四国辺路日記』には「本堂南向、本尊三如来、二王門、鐘楼在、寺「妻帯ノ山伏住持セリ」とあるので、山伏がここにいたことがわかります。山伏はだいたい妻帯しています。