大日寺-本尊は大日如来ではなく十一面観音

この寺は大日寺といいながら、本尊は十一面観音です。
もともとここは、一宮寺という別当寺で大日如来をまつっていました。
いまはその山を奥の院と称しています。
後に、一宮神社の横にこの寺を持ってきて十一面観音を本尊としました。
大日寺という名前を変えたらまぎらわしくなかったでしょうに、寺名はそのままで観音をまつっています。

大日寺は鮎喰川の川岸の、本当に狭いところにある札所です。
「四国偏礼霊場記」は、大栗山華厳院大日寺としながら、「一之宮にある故、一ノ宮寺と云」と書いています。元禄元年(一六八八)の段階では大日寺とも一宮寺ともいっていたようです。ところが『四国辺路日記』は「一ノ宮」として大日寺を扱っておりません。
『四国辺路日記』が書かれたのは承応二年で、『四国偏社霊場記』は元禄元年に書かれています。この35年ほどの間に大日寺が別当となり札所となったことを推定することができます。『四国辺路日記』では、神社のほうに札を納め念誦読経しています。
『四国辺路日記』には次のように記されています。
「一宮、松竹ノ茂タル中二、東向二立玉ヘリ。前二五間斗ノッリ橋在リ。
拝殿左右三間宛也。殿閣結講也。本地十一面観音也。札ヲ納メ、念誦看経シテ、 扨本来ル道工阪テ、件ノ川ヲ渡テ野坂ヲ上ル事廿余町、峠二至テ見「阿波一 国ヲー目二見ル所也」
「五間斗ノソリ橋」も神社の境内です。これを見ると、童学寺越を越えて藤井寺に出ていったことがわかります。このように、近世初期まで諸国一宮は霊場でした。
旧寺地が奥の院となっており、鮎喰川の対岸に海見という集落にありますが行場はないようです。

堂舎は、鮎喰川沿いに焼山寺に入る県道の南に神社、北に大日寺と二分されています。本堂は東向きで大師堂は南向きにあり、その隣が納経所です。非常に狭い寺地に多くの石造物があります。
なお阿波の一の宮は、大麻比古神社(別当は一番の霊山寺)ですが、『四国偏礼霊場記』は、ここを一の宮という理由は不明だと書いています。

讃岐の一宮寺のように、明らかに大社の神宮寺であったところあります。
しかし、この寺はかつての阿波一の宮神社の別当寺であったといいますが、阿波一の宮神社は大麻比古神社ですから、ここを一の宮というのはおかしいわけです。
実際は村社の別当です。
このように、四国霊場寺院は神仏分離以前の神仏混淆の信仰のもとに維持されてきましたが、人為的、政治的に神仏が分けられ、同一境内が分割管理されている霊場がたくさんあります。それは十二番の焼山寺に行くとすぐわかります。
焼山寺境内の十二社神社もその例にもれず、今は神社はけっこう壊れています。

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