母養山恩山寺宝樹院

ここの特色は、非常にクラシックだということです。
辺路という海岸をめぐる信仰としては、最も典型的な奥の院が海辺にあります。
恩山寺の本尊は薬師如来です。海岸の奥の院のほうも薬師如来だったとおもいますが、現在では弁天さんになっています。
もとは女人禁制で、いまも十九番の立江寺への花折坂は女人禁制です。
この寺が衰えたときに大師が再興して母公の終老の地としました。
お母さんが善通寺から出てきて、ここに来た、母の没後、その御遺骨をこの山中に埋め、石塔を立てたといわれています。大師堂の横に弘法大師御母公の供養塔示あります。

『四国偏礼霊場記』には、
「当寺は聖武天皇の勅に因て行基が造立し、大日山福生院密巌寺と名け、七堂甕を並べ雲に連る」とありますが、山の上ですから、それほどの名跡ではありません。
霊場の中には学問寺といって学者・勉強する人が集まるお寺がありますが、ここはその学問寺だったようです。
いくばくならざるに時と移り、衰耗に及ぶ。時我大師登臨して再興しとし、御母終老の地とし、遂に御母の骸骨を山中に埋み、御墓を築き、石碑を立玉へり。
母養恩山の名是よりときこゆ
『四岡偏礼霊場記」には
「立江寺の道の方をつるまき坂といふ。几下にくろ藪といふあり。大師御誕生の時のむっきを几藪におさむといひ伝となり」とあります。
「くろ藪」は女人結界で、ここで花折または柴立の供養をしたと考えられます。
これ以上登れないから、そこで供養したので、花折といいました。

お寺からの説明をうけないとなかなか気がつきませんが、現在は本堂は頂上にあって、ここから小松島港が見下ろせ、奥の院と称する金磯の弁大森も見えます。
宝樹院のあった位置には十王堂があります。金磯がこのお寺の奥の院の場所ですから、ここに行ってみる必要があります。
行ってみると、現在は地続きになっていますが、金磯はもとは島であっただろうと考えられるところです。恩山寺のある山のすぐ下に源訟紆丿叫鎖としう仏かヤハッしる尚づこの山の朧まで水が来ていて、いま全部平野になっているところは海だったと考えて差しつかえありません。

弁天森の海中には、伊勢の二見浦の夫婦岩のような大きな岩があります。
伊勢の神宮も東に当たるところに大きい岩があって、そこに洞窟があります。
この場所は修行者の朧る洞窟と行道岩があるので、海洋宗教の霊場の条件を満たしています。行道というのは、これをぐるぐると回る行です。この寺の奥の院は、東のほうの海岸にある金磯の弁天森ですから、海岸に奥の院をもつ霊場として、屋島寺、八栗寺、伊予宇和島の龍光院などとともに注目に値するところです。


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