『今昔物語』の舞台となった満濃池

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まずは今昔物語を見ておきましょう。
今昔物語集[平安時代後期] 巻二十本朝附仏法第十一
「龍王、天狗のために取られたる語」 の冒頭部です
 今昔、讃岐国、□□郡ニ、万能ノ池ト云フ極テ大キナル池有リ。其池ハ、弘法大師ノ、其国ノ衆生ヲ哀ツレカ為ニ築給ヘル池也。池ノ廻リ遥ニ広シテ、堤ヲ高築キ廻シタリ。池ナドヽハ不見ズシテ、海トゾ見エケリ。池ノ内底ヰ無ク深ケレバ、大小ノ魚共量無シ。亦竜ノ栖トシテゾ有ケル。
意訳変換しておくと
今は昔、讃岐国□□郡に万能の池という非常に大きな池があった。その池は、弘法大師がこの国の民衆を哀れんでお造りになった池である。池の周囲ははるかに広々としており、堤を高く築き巡らしてある。とても池には見えず、海のように見えた。池は底知れぬほど深いので、大小の魚は数知れず、また竜の住処となっていた。
全文を意訳変換したものを載せておきます
昔むかし、いまから千百年あまり前の弘仁(八二〇年)の頃のお話です。
 讃岐の国のお役人、国司清原夏野は弘仁九年の大洪水とそれにつづく、翌年の大干ばつ、またその翌年も干ばつと、大雨や日照りで農民を苦しめる災いにどうしたものか”と強く心をいためておりました。
 大雨はともかく、夏の日照りの水不足を防ぐ手はないものかと、ずっとずっと考えこんでいました。そこではたと思いついたのが金倉川です。
 「そうだ、あの川をせき止めよう。そうすれば池にはたくさんの水がためられる」
 われながら名案だと思ったのですが、洪水で決壊して干上がった池の内にはすでに人々が大勢住そんなわけで清原夏野は考えたことを実行に移します。
 まず手始めは、ときの天皇、嵯峨上皇ににその計画を願い出ることです。幸いなことに天皇はそのお話をお聞きいれになり、池の修築工事のために築池使の路眞良人浜継(みちのまびとはまつぐ)を讃岐の地に遣わされました。
 やれやれこれでひとまず安心とばかり胸をなでおろした清原夏野でしたが、それもつかのま、今度は工事の人夫が思うように集まりません。
「満濃池 」の画像検索結果
募るいらいらが頂点に達したとき、またまた妙案が清原夏野の頭を掠めました。
 「そうだ、あのお方なら……」
 自分の新たな思いつきに飛び上がって喜びました。
 あのお方とは……。満濃池の歴史の一時代を飾る「空海の修築」の主役、空海こと弘法大師です。

 そこでいよいよ主役の登場です。
 人の心を掴んで離さない高僧の誉れ高い空海が讃岐に下ったのはそれからまもなくのことでした。 その後の工事はいうまでもなくとんとん拍子。清原夏野の思わくどおり、池普請の現場は空海を慕う人々であふれ、人手に困ることはありませんでした。

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 それから数か月後の弘仁十二年(821)、堤防の工事が無事終わり、広々とした池には澄んだ水があふれるほどにたたえられました。
 こうして甦った満濃池の堤では、あたたかくなると、昼寝ざんまいの小蛇を一匹見かけることがときおりあったそうです。
 のんべんだらりと、小さな身体のわりには態度の人きさがちょっと気になるこの小蛇、それもそのはず、身元をたどれば池に住む人きな人きな身体の龍神だったのです。 冬、ひなたはっこで池の堤に寝ころぶときは、くるりと身体をひとひねりして小さな蛇に変身。これなら誰にも邪魔されません。
 「なんとまあ、ここちいいことかい」
 龍神はお目さまに日を細めるといつものように草むらにごろん。あったかい陽ざしを布団がわりに、木々の梢を揺らして過ぎるそよ風を子守歌にうとうととまどろむ日もあったようです。
ところが今日はいつもとはちょっと様子が違っていました。
  ”ぴーひょろろ、ぴーひょろ‐”
広げた両の翼に上昇気流をいっぱいに受けて、高く高く大空を舞うとんびが一羽。その小さな目に、池の堤でひっくりかえっているまるで小指ほどの蛇が一匹飛び込んできました。
 なんだい、蛇のくせに昼寝かい
 いたずらとんびは昼寝の小蛇めがけて急降下。
さあー 土手の草がいっせいになびきます。
同時にとんびのくちばしが小蛇をがちっ。
目をさますまもなく小蛇の身体は宙に浮き、空へ空へ。
小蛇をくわえたとんびは、緑の田畑を越えて青い海へ。
海を過ぎるとふたたび陸へ。
とんびはどこまでもどこまでも飛びつづけます。
いったいどこへ行くのでしょう。
実はこのとんび、近江の国の比良山をねぐらにする天狗だったのです。
とんびは山のなかの洞穴に、小蛇をぽいと放り込むと
木々の間を縫うように舞い上がり、再び青空のかなたへ姿を消してしまいました。
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”まいったな。ほんにうかつじやった”
 龍神は悔やみましたが後のまつり。
水さえあれば大きな龍の身体にもどれるのですが、あいにく洞穴には一滴の水もありません。

 とんびに化けたいたずら天狗は琵琶湖の近くの比叡山までひとっ飛び。
今度は比叡山のお坊さんを狙います。
そんなこととはつゆ知らぬお坊さん、
 「ほんにすっきりしたわい」
 手洗いの水が入った瓶をかかえて厠からぬっと姿を見せました。
とんびの天狗はーい、一丁あがり!とばかり、
両足でお坊さんの襟首をつかむとすいすい、比良山の洞穴へ。
いきなり暗いところへ放り込まれたお坊さん、
「はて、わしやいったいどうなったんじやい」
首を傾げるばかり。
そんなことには頓着なしのいたずらとんび、
「もうひとっ飛び、行ってくるか」
と、またもや空高く舞いあがりました。  
どうしたものかと思案にくれていた小蛇の龍神は、お坊さんの水瓶に元気百倍。
「もしもーし、どなたか存じませんが、その瓶の水を
わたしの身体にふりかけてはくださいませぬか」
 小蛇の言葉に気のいいお坊さん、
 「あいよ、あいよ」
 ふたつ返事で、瓶の水を小蛇の身体にじゃばじゃば。
すると小さな蛇がむくむく、むくむく。伸びて伸びて、
天を突くような巨大な龍に変身しました。
「満濃池」の画像検索結果
おかけで助かった。さあ、はようわしの背中へ 寺までお送りしましょうぞ龍神はお坊さ
んを寺まで送り届けると比叡山から京の都を越えてふるさとの満濃池へ向かおうとしました。
ところがどっこい、今度は荒法師に姿を変えたいたずら とんびが、鴨川にかかる大橋を堂々と歩いているではありませんか。
 ”なにかまた、よからぬことを考えておるな” 龍神は、そうと荒法師の後ろに近づくと、 「こらー!・」
 大声とともに背中をどおーん。力いっぱい押しました。
いきなりの雷声と嵐のような力にさすがの天狗も、
 「まいったあー」                   
 目を白黒させながらその場にばたん。
 「もう二度といたずらなんぞするんじゃないぞ」
 龍神の言葉が聞こえたかどうか定かではないものの、よほどに懲りたものか、それからは天狗の悪さを耳にすることはありませんでした。
 そんなわけで、龍神は京の都から山や野を越え、海を渡り、満濃池に戻ることができました。
 ところで龍神、いたずらとんびの天狗に懲りてもう小蛇に化けるのはやめにしたとか、そんな噂もありますが、とんでもない。やっぱりひなたぼっこはやめられないと、ほら今日も鼻ちょうちん。それが証拠に堤の草むらで夢みごこちの小蛇を村人たちはときおり見かけるそうです。
 満濃池で昼寝の小蛇に出会ったら、それはきっと龍神ですから、決して水などかけぬよう。
小蛇がいきなり大きな龍になったらおおごとです。そっとそっと見て見ぬふりで……。

 昔むかしのお話です。
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今昔物語 満濃池と龍神の全文         

讃岐国那珂郡に万乃池と云、極て大きなる池あり。
其池は弘法大師の其國の衆生を哀しかり、為に築たまへる池なり。
池の廻り遙かに廣くして堤を高く築きまはしたり。
池なととは見えすして、海とそ見えける
池の内底ひなく深ければ大小の魚とも量なし。
龍の棲としてありける。
然る間其池に住ける龍 日に当らんとおもひけるにや。
池より出て人離たる堤の遷に小蛇の形にて蜻て居たりけり。
其時に近江国比良山に住ける天狗鎬の形として其池の上を飛まわるに堤に此小蛇の幡て有を見て掴反下て、俄に掻き探て逢に空に昇ぬ。
龍ちから強き者なりといへ共、思ひかけぬ程に俄に拝れぬれ八、更に術尽て只猟れて行に、天狗小蛇を扨砕て食せんといへとも龍の用力強に依て心にまかせて探み砕て散ん事あたはずして遥に本の栖の比良の山に持行ぬ。
 狭き洞の動へくもあらぬ所に打寵置つれ八、龍狭口口口破元くして居たり。
一滴の水も元八空を翔る事もなし。亦死ん事を待て四五日あり。然る間此天狗比叡山に行て俗を伺て貴き僧を取らんと思ひて夜、東塔の北谷にありける高き木に居て伺ふほとに其向に造り懸たる房あり。其房に有僧、外に出て小便をして手をあらはんふため水瓶を以て手を洗ふて居るを、此天狗本より飛来て僧を掻採て、逼に比良山の栖の洞に将き行て龍の有處に打置つ。
僧水瓶を持なから我にもあらて居り。いま八限とおもふほとに天狗八僧を置ままに去ぬ。
其時に暗き所に苔有て僧に向て云く、汝八此誰人そ。何より来そそと。
僧答て目、我比叡山の僧なり。手を洗はん為に坊の橡に出たりつるを天狗の俄に掴み取て将来れはなり。然八水瓶を持なから来れるなり。抑かくいふ八また誰そ。
龍答て云、我は讃岐国万能池に住龍なり。堤に這出たりしを、此天狗空より飛来て俄に猟て此洞に将来こり。狭く口口て為む方無といへとも、一滴水も元けれ八空をも翔らすと。
僧のいはく、此二持たる水滴に若一滴の水や残りたらんと。
龍是を聞て喜て云、我此所にして日来経て既に迦終なんと為るに幸に来り會ひ給ひて互に命を助る事得へし。一滴の水有ら八、必汝本の栖、二将至へしと。
僧又喜て水瓶を傾て龍に授るに一滴斗の水を受て、龍喜て僧に教て云、努々怖る事なくして、目塞て我に負れ給ふへし。此御更に世々にも忘かたしといふて、龍忽に小童の形と現し、僧負て洞を蹴破りて出る間、雷電屏震して陰り雨降事甚怪し。
僧身振肝迷て怖しと思ふといへとも、龍を睦ひ思ふかゆゑに念して負れて行し程に、須実に比叡山の本の坊に至る。僧を橡に置て龍八去。彼房の人常の屏震して房に落懸と思ふほとに俄に坊の澄暗夜の如く成ぬ。しはらく斗有たる時に見れは、一夜俄に失ひにし人の橡にあり。坊の人々奇異に思て問に、事有様を委しく語る。人々ミな聞て驚き奇異りける。
其後龍彼天狗の怨を報せ為に天狗を求るに天狗京に智識を催す荒法師の形と成て行けるを龍降て蹴殺てけり。
 然ば翼折れたる屎鵠にてなん。大路踏れける。彼比叡山の僧八彼龍の恩を報せんかため、常に経を誦し善を修しけり。実に此龍八僧の徳に依て命をなし。僧八龍の力依て山に返る。是もミな前世の機縁なるへし。此事は彼僧の語り傅へを聞継て語り傅へたるとかや。