満濃池をこわした国司の物語(『今昔物語集』巻三十一より)
昔むかし、讃岐の国のいなかに、満濃の池という、それは大きな池がありました。土地には水が少なく、満足に米もとれずに、みんなつらい暮らしをしておったとか。
そのころ、高野山に、弘法人師さまというえらいお坊さまがおってのう、みんなのなんぎを聞いて、たいそう心をいためられたそうな。「かわいそうになあ。これでは、みんな、ごはんを食べられなくなってしまう」そこで弘法人師さまは、何かしてやれることはないかと知恵をしばったそうな。
「おお、そうじゃ! ひとつ、この上地に人きな池をつくってやろうか!」 思いたつと、方々から人を集めなさったと!・
弘法人師さまのおやさしい人柄をしたって、それはもう、たくさんの人が集まってきたそうじゃ。
こうしてできた池の大きいこと。堤も、それはそれは高く作られました。
とても池とは思えんのう
こりゃあ、海ではないかい
土地の人々はみんなうわさしあったそうな。あまりに大きくて向こう岸がぼーっとかすんではっきり見えません。みんな大喜びで大事に使うことにしました。それまでは、日照りが多く、田柚えどきには水不足に泣かされていましたが、この池のおかけで、どこのたんぼも、水を引くことができ、ぶじにうるおうことができたとか。
朝廷からも、たくさんの川をつなぐ力をいただき、絶えることがなかったそうな。
池の中には、大きいのやら、小さいのやら、いろんな魚が住んでいて、みんなどんどん魚をとっていました。でも、魚はいくらでもおったので、どれだけとってもいなくなることはありません。
あるとき、領主様が、この国の人々やら、館の人々やらをおおぜい集めて、お話をなさったとか。
そのおりにも、満濃の池の話でもちきりだったそうな。
「なんと! 満濃の池には、いろんな魚がいっぱいおるそうじゃと!三尺の鯉でもおるじやろう」
だれがいうたか、そのことが領主様の耳にはいってしまいました。
「それは、ぜひとも欲しいものよ」
領主様は思いたって、おいいつけなさった。
「この池の魚をとる! 用意いたせ!」
ところが、池の深いこと、深いこと。
下りていって網をしかけることもできぬほど。
そんならどうしたらよかろうかと、みんなで頭をひねっていたら、
「この池の堤に大きな穴をあけよ’・
そこから出る水の落ちるところにしかけをせよ流れでる魚をとるのじや」家来衆がいうとおりにするとぱーつと勢いよく水が吹き出し、出るわ、出るわ、次々とたくさんの魚が出てきました。「やったあ! 大漁じゃあ」ところがその後、穴をふさごうとしましたがものすごい勢いで水が吹き出し、どうしてもふさぐことができません。
そこに堤をつくり、木の樋を打ちつけ、少しずつ水を流すようにしたところ、池はそのおかげでなんとかもたせることができました。「しかしまあ、この穴は、堤をぶちぬいてできた穴だもんな。みんな、ほんに考えこんだそうな。
しかもこんなに大きい穴、大丈夫かいな」
はたして梅雨がきて、どしゃぶりの雨がつづき、たくさんの川に水があふれ、それが全部、この池に流れこみはじめました。さあ、たいへんです。ゆき場のない水が、出口をもとめていっきに穴をめがけて押し寄せたのでもうたまりません。あれよあれよというまに、堤はこわれてしまい、池の水は残らず流れ出てしまいました。「助けてくれ! 流される」おらんとこの、家も田んぼも畑も、めちゃめちゃじゃあ泣いても、叫んでも、もうどうにもなりません。みんな、何もかもなくしてしまいました。
国の人たちは、これにすっかりこりて、池は小さく造ろうと考えました。そんなわけで、小さな池をなんぼでもつくったものの、池はすぐにひからびてしまい水は残りません。池のあった跡さえ、判らないようになってしまいました。悪いのは、なにがなんでも三尺の鯉が欲しいというたご領主様じゃ。ご領主様のせいで、あの生き仏様が、弘法大師さまが、土地の衆をかわいそうに思うて、せっか く造ってくたさった池をなくしてしもうた。ばちあたりなことはかりしれんわ。この池の崩れたことでたくさんの人が家を壊され、たんぼや畑をなくしてしまいました。
だれもがそういうたとか。
「池のなかの魚を、ちょっととりたいばっかりに、池をこわしてしまうとは、なんたるこっちや」
[大きなむだじゃ。しょうのないご領主様じゃ]
そう言って、みんな怒り、嘆きました。
まあそういうことで、人間は欲張ってはいけません。
他国の人々までも、今にいたるまで、ご領主様の悪口を言っているとか。
その池の跡は今もまだ残っているそうな。
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