「大窪密寺記」、「大窪寺記録」による寺史復元の成果は?

この寺の歴史について中世文書が残っていないため、よく分かっていないことが多いのです。その中で2007年に香川県歴史博物館から調査報告書が出され、寺に残る「大窪密寺記」「大窪寺記録」を基に寺史復元が行われています。その成果をまとめてみると・・・。
縁起は行基が開山してその後、弘法大師が中興したというありきたりのものになっています。中世については文書はありませんが、鎌倉時代末~室町時代の瓦などの遺物が寺域から出土しており、中世におけるこの寺の存在を示しています。
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本尊は ホラ貝を持ったお薬師さんで飛鳥・天平様式

 本尊の弘法大師作とされる薬師如来坐像は、飛鳥・天平様式を持ち、平安時代前期のものとされ県の指定になりました。普通、薬師如来は薬壷を持つものですが、ここのお薬師さんは、法螺貝を持っています。これはこの寺の由来を考える際のヒントになります。ホラ貝は修験者の持ち物です。修験の本尊にふさわしく、病難災厄を吹き払う意昧をこめたものだとおもわれます。同時に、この寺の大師信仰よりも古い、修験道・山岳宗教との関わりをうかがわせます。
 さらに寺宝の弘法大師伝来という鉄錫杖が平安時代初期のものであることが判明し、この寺の平安時代初期の建立の可能性が出てきました。

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  近世になると秀吉政権下で讃岐一国を領した生駒氏は
殊に神を尊び仏を敬い、古伝の寺社領を補い、新地をも奇符(寄付)し、長宗我部焼失の場を造栄して、いよいよ太平の基願う」(「生駒記」)
というように、旧寺社の復興、菩提寺法泉寺の創建などに力を注ぎます。こうして、生駒親正は入国直後に次の寺院を「讃岐十五箇院」に選定し、真言宗古刹の保護に努めます。
①虚空蔵院与田寺(東かがわ市中筋)、
②宝蔵院極楽寺(さぬき市長尾束)、
③遍照光院弘憲寺(高松市)、
④地蔵院香西寺(高松市)、
⑤無量寿院隋願寺(高松市)、
⑥千手院国分寺(高松市国分寺町)、
⑦洞林院白峰寺(坂出市)、
⑧宝光院聖通寺(綾歌郡宇多津町)、
⑨明王院道隆寺(仲多度郡多度津町)
⑩覚城院不動護国寺(三豊市仁尾町)、
⑪威徳院勝蔵寺三豊市高瀬町)、
⑫持宝院本山寺(三豊市豊中町)、
⑬延命院勝楽寺(三豊市豊中町)、
⑭伊舎那院如意輪寺(三豊市財田町)、
⑮地蔵院萩原寺(観音寺市大野原町)
 生駒氏転封後の高松・丸亀藩に分けると、⑧までが高松藩領寺院となります。これにニケ寺を加え松平藩時代に「十ケ寺」保護制度が整ったようです。大窪寺の寺格は、この「十ケ寺」の次席という格式であったと伝わります。

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荒廃した大窪寺を復興したのは、高松藩祖松平頼重

荒廃した大窪寺を復興したのは、水戸光圀の兄で水戸藩からやってきた高松藩祖松平頼重です。頼重の肝煎りで、本堂・鎮守社・弁天宮・二王門が姿を現します。頼重は同時期に、根香寺・志度寺・八栗寺など八十八ヵ所霊場の寺院復興を行っています。さらに頼重は、寺領十石に加え新開地十五石を寄進するなど厚い保護を行ったことが寺領寄進(安堵)状に書き留められています。藩祖に習って以後も高松藩は手厚い保護を行っていたことが資料から分かります。
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大窪寺は、頼重の時代(寛永~延宝期)までに京都・大覚寺末となっていたようで、現在でも真言宗大覚寺派に属します。本寺の大覚寺からは、寛政六年(1794))菊御紋の提灯・幕などを下賜されており、特別な処遇であったことがわかります。

  大窪寺の弘法大師坐像を解体修理したところ、面部裏から
「大仏師かまた喜内、京あやのかうち、東之とい北へ入る」
の墨書銘が発見されました。
その結果、この座像が江戸時代中期に京都の仏師鎌田喜内によって作られたことが分かりました。彼は三豊市の本山寺の愛染明王坐像(平安時代・県指定有形文化財)を修理し、同寺の十王・倶生神像を見積もった仏師でもあります。江戸時代の本山寺と大窪寺はともに大覚寺の末寺であり(本山寺は現在高野山真言宗)、同じ宗派の寺院と京仏師の関係が見えてきました。
 
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 明治33年(1900)5月9日、本堂脇から出火し、本堂・大師堂・阿弥陀堂・薬師堂などを全焼し、徳川光圀寄進法華経(自筆箱書阿弥陀経か)・鷹司右大臣寄進医王山額など多くの什物が焼失しました。このため、中世以前の古文書・古記録はありません。
 しかし、兵火・大火をくぐり抜けてきた、弘法大師ゆかりと伝わる本尊・錫杖が、遺された江戸時代の古記録から、藩主をはじめ、数多の人々の信仰を集める寺宝であったことがわかってきました。また、藩主一族や嵯峨御所(大覚寺)からの寄進物の存在は、当寺の格の高さを示しています。

参考史料 胡光 大窪寺の文物 香川県歴史博物館調査報告 第三号