善通寺金堂の薬師如来像は、いつどこからやってきたのか?
善通寺東院の金堂
善通寺の金堂に入ると丈六の大きな薬師座像が迎えてくれます。
この大きなお薬師さまと向かい合うと、堂々とした姿に威圧感さえ最初は感じます。このお薬師さまは、どのようにしてここに安置されたのでしょうか。それが垣間見える史料が残っています。
戦国時代に戦禍で消失してから百年以上も善通寺には金堂も五重塔もない状態が続きました。江戸元禄時代になって、世の中が落ち着いてくるとやっと再建の動きが本格化します。そのスタートになったのは元禄七年(1694)に、仁和寺門跡の隆親王が善通寺伽藍再興をうながす令旨を出したことです。
善通寺金堂の本尊は薬師如来
金堂の方は元禄十二年(1699)に棟上されました。続いて、そこに収まる本尊が次の課題になります。
この薬師仏は誰の手によって作られたのでしょうか?
善通寺には、薬師仏をめぐっての善通寺と仏師とののやりとり文書が残っているようです。その文書から本尊の制作過程を追ってみます。
善通寺が薬師本尊を発注したのは京都の仏師運長です。彼は誕生院光胤あてに、元禄十二年(1699)12月3日文書を4通出しています。その内の「御註文」には、像本体、光背、台座の各仕様について、全18条にわたり、デザインあるいはその素材から組立て、また漆の下地塗りから金箔押しの仕様が示されています。このような「見積書」によって、全国の顧客(寺院)と取引が行われていたようです。
薬師如来(善通寺金堂)
ついで翌年の元禄13年(1700)2月5日には、着手金の銀子三貫目が運長へ支払われています。これに対して運長は次の「請取証文」3通を発行しています。
①6月 3日 銀子五貫目分、②10月4日 銀子二貫九百五十目分、③翌元禄14年に「残銀弐貫目」分を金三十両と銀二百六十目で請取った
制作費の総額銀十二貫九五十目分の支払いは、着手金を含むと都合四回に分けて行われたようです。
薬師如来像の制作経過は、どのようなものだったのでしょうか。
仏像本体は三月中に組み立ててお目にかけ、来年の八月中旬までには、台座、光背の制作、像の下地仕上げなども完了させて仕立て、箱に入れて納入します。
と、雲長は、当初の予定案を示しています。善通寺と雲長のやりとりの記録では、これだけしか分かりません。しかし、運長の記した「箱之覚」と京の指物屋源兵衛が運長にあてて出した「御薬師様借り箱入用之覚」があります。「箱之覚」とは薬師如来像を、京都で制作した後、善通寺へ搬入する際の梱包用仮箱の経費覚えで運長が書き留めたものです。
金堂の基壇には古代寺院の礎石が使われている
薬師如来は、どのようにして京都から善通寺に送られたか?
寄来造りですから分解が可能です。そのため薬師像本体は頭部、体幹部、左右両肩先部、膝部の5つのパーツに分けて梱包されたようです。また台座、光背ほか組立に必要な部材などもあわせると総計33口の仮箱が必要だったようです。
京都で梱包作業が終わった後、善通寺までの輸送日程や経路については資料がないようです。仏や荘厳の品々を納めた33ケの箱は船で、大坂から積み出され、丸亀か多度津の港で陸揚げされ、善通寺に運びこまれたのでしょう。
「仏像輸送作戦」を担当したのは運長の弟子の久右衛門と加兵衛という二人の仏師でした。二人が9月23日に善通寺側へ提出した銀請取証文高の総額三貫六百六十一匁六分の内訳の中に「箱代五百九十九匁九分」が含まれています。ここから久右衛門と加兵衛の二人の仏師が仏像輸送と組立設置などの作業をおこなったと研究者は考えているようです。作業終了後には、仏師二人に祝儀的な樽代八十六匁が贈られています。この頃までに薬師像の組立設置が完了したようです。
「仏像輸送作戦」を担当したのは運長の弟子の久右衛門と加兵衛という二人の仏師でした。二人が9月23日に善通寺側へ提出した銀請取証文高の総額三貫六百六十一匁六分の内訳の中に「箱代五百九十九匁九分」が含まれています。ここから久右衛門と加兵衛の二人の仏師が仏像輸送と組立設置などの作業をおこなったと研究者は考えているようです。作業終了後には、仏師二人に祝儀的な樽代八十六匁が贈られています。この頃までに薬師像の組立設置が完了したようです。
つまり薬師如来像の制作は、
①元禄13年2月5日に開始し、②8月21日頃には像の下地仕上げが完成して仮箱も制作、③9月23日には善通寺へ納入、組立完了
というおおよその流れがたどれます。
すべての支払い完了後に、誕生院僧正(光胤)は運長へ書状と祝詞の白銀五枚を渡しています。この書状の内容から誕生院にとって薬師如来の尊容が満足できるものであったことがうかがえます。運長自身も弘法大師「御誕生霊地」の造仏という意識をもって制作に臨んでいたことが分かります。元禄年間に出来上がった金堂と、そこに修められた薬師さんが300年以上経った今も善通寺の地を見守っています。
参考文献 香川県歴史博物館 近世文書からみた善通寺の諸彫刻像 調査報告書第三巻
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