内田集落の家屋を訪ねて

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剪宇峠から下りてきて、やってきたのは穴吹でも一番山深い内田集落。集落入口にある樫平神社に訪問許可を得るために参拝します。
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境内を道路が通っているのですが、通る人もいなく静です。
手洗石に落ちる水音だけが響きます。

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ここに導いていただいた感謝で参拝を済ませて、拝殿と本殿をみると・・・。
まるで雪深い東北の社のような雰囲気。窓もなく木で囲い込まれています。
冬の厳しさのためでしょうか・・・?イメージ 4

高度を上げていくと手入れされた茶畑が現れました。
その向こうには八面山から綱付山への稜線がきれいに見えます。
かつて調査報告の出されていた古い民家の今を確認しに行きます

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町道から石垣の坂をのぼると、その民家は現れました。
ソラの家屋は、日当たりの良い南斜面に建てられます。この家もそうです。傾斜地でなので、等高線に沿って細長く、谷側に石垣を積み敷地を造っています。順番に東側からお墓、納屋、離れ、浴室・便所、主屋と並べて建てられているようです。 イメージ 9
この主屋の建築年は、明治30年(1897)と調査報告書にはあります。
主屋の屋根は、本は草葺(ぶ)きでしたが、調査された時には既にトタンの小波板で覆われていたようです。オブタもトタンの小波板葺きです。
間取りは平入り右勝手の「中ネマ三間取り」です。
「ネマ」の部分を半間北側に突出させています。
「オクノマ」は、現在床を張っているが昔は土間だったようです。「ザシキ」の西側に少し増築して部屋を取っていますが、昔は収納だけだったようです。
主屋の次に現れるのが、この建物。
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今は、この家屋に暮らしている人はいないようですが敷地周辺のカヤが刈られて軒下に集められています。




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最後が納屋です。
この家の屋号は「ワラベノヘヤ」。
ワラベノは蕨野(わらびの)を示していそうです。
小説の題名を思い出してしまいました。
家紋は「キリノシモン」で、家系図も残っているようです
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敷地の西端から見上げるとかり集められてカヤが乾され集められています。茶畑の下に敷かれるのかもしれません。

家屋調査から20年近くの年月が経ち、どんな姿になっているのか気になっていました。無住にはなっていましたが管理はされています。
もう一軒訪ねて見ましょう。

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さっきの家から少し登ったところにある家屋です。やはり、前に深い谷を見下ろし、背面に山が迫る立地条件です。
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屋号は「ナカ」で、集落の中央という意味らしい。興味深いのは、屋敷神に南光院という山伏を祀(まつ)っていることです。剣周辺で行を積んでいた修験道の指導者の家ではないかと思えてきます。
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 主屋は、1850年ごろに建てられたようですが現在は、建具をアルミに替えたりして、かなり手を加えられています。主屋の草葺き屋根は、昭和初期に葺(ふ)き替えをして、昭和50年代には鉄板で覆われたようです。間取りは、平入り左勝手の「中ネマ三間取り」です。
 昔、「オクノマ」は土間で、「オモテ」と「ザシキ」にはイロリがあり、天井は「竹スノコ天井」だったという。「柱、梁(はり)、板戸などは、重く黒光りしており、当時を物語る趣深い内観となっている。」と報告書には記されています。残念ながらここも管理はされていますが、人は住んではいないようでした。
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庭の前には綱付山から伸びる稜線に紅葉前線が下りてきているのが見えました。