①第一段階に、火山系凝灰岩で造られた石造物が現れ、②第二段階に、白峰寺や宇多津の「スポット限定」で関西系石工によって造られた花崗岩製石造物が登場し③最後に、弥谷寺の石工による天霧石製の石造物が登場すること④天霧石製石造物は、関西系の作品を模倣し、技術革新を行い、急速に市場を拡大したこと⑤その結果、中世末には白峯寺の石造物のほとんどを天霧系のものが占めるようになり、火山産や花崗岩産は姿を消したこと
今回は、14世紀後半に白峯寺にもたらされた花崗岩製石造物が、どこで誰によって造られたかを見ていくことにします。テキストは「松田 朝由 白峯寺の中世石造物 白峯寺調査報告書N02 2013年版 香川県教育委員会27P」です。
花崗岩は、凝灰岩よりも堅いので、加工のためには先進技術が必要でした。花崗岩製石造物の先進地が近江、京、大和にあることは多くの研究者が指摘しています。その背景には、東大寺復興事業の際に、中国から先端技術を持った宋人石工の来日と定着があったようです。その後に、近江、京、大和の石造物文化が瀬戸内海地域に影響を与えるようになります。このような流れの中で、白峰寺周辺の花崗岩石造物も、関西で造られものが持ち込まれたとされてきました。しかし、問題なのは、白峰寺のものと同じ石材で造られた石造物が関西からは出てこないことです。
中世讃岐の石造物分布図
中世の讃岐の花崗岩製石造物が残っているのは、白峯寺を中心に国分寺地域から宇多津にかけてのエリアに限定されることが上図からは分かります。
研究者が注目するのは、それらの石造物の岩質が類似していることです。白色で粒径0,3~0,4mの細粒の長石・石英と0,1mの雲母が見られます。石材が同じと言うことは、生産地が同じだと云うことになります。しかし、この花崗岩の産地は、讃岐にはないようです。そこで考えられるのが他地域から運び込まれたことです。第一候補は関西ですが、関西にもこの岩質の製品はありません。讃岐と同じ材質の花崗岩の採石地は、備中西部の岡山県浅口市と香川県坂出市櫃石島にあります。備中西部は石造物のスタイルや形が讃岐とは大きく違うようです。
中世の讃岐の花崗岩製石造物が残っているのは、白峯寺を中心に国分寺地域から宇多津にかけてのエリアに限定されることが上図からは分かります。
研究者が注目するのは、それらの石造物の岩質が類似していることです。白色で粒径0,3~0,4mの細粒の長石・石英と0,1mの雲母が見られます。石材が同じと言うことは、生産地が同じだと云うことになります。しかし、この花崗岩の産地は、讃岐にはないようです。そこで考えられるのが他地域から運び込まれたことです。第一候補は関西ですが、関西にもこの岩質の製品はありません。讃岐と同じ材質の花崗岩の採石地は、備中西部の岡山県浅口市と香川県坂出市櫃石島にあります。備中西部は石造物のスタイルや形が讃岐とは大きく違うようです。
櫃石島の磐座・櫃岩 すぐ上を瀬戸大橋がまたぐ
最後に残された櫃石島には、島の名前の由来とされる櫃岩が、島の頂きにあります。
古代から磐座(いわくら)として、沖ゆく船の航海の安全などを祈る信仰対象となった石のようです。この石が花崗岩露頭になるようです。分析の結果、櫃石島の花崗岩が、白峰寺にもたらされた石造物の材質と同じ事が分かりました。
また、櫃石島には、瀬戸大橋建築の際に発掘調査されて石造物群(がんど遺跡)があります。この石造物群は五輪塔が中心ですが、研究者が注目するのは、かつて五重塔であったといわれる層塔基礎が残されていることです。この層塔基礎について報告書には、幅70㎝、高さ36㎝で側面3面に格狭間があり、作られた時期は鎌倉時代後期のもので、白峯寺十三重塔との類似性を指摘しています。確かに格狭間文様は幅広く肩の張ったモチーフで白峯寺花崗岩製十三重のものと似ています。この層塔基礎は、櫃石島と白峯寺を結ぶ重要な遺物と研究者は考えています。
また、櫃石島には、瀬戸大橋建築の際に発掘調査されて石造物群(がんど遺跡)があります。この石造物群は五輪塔が中心ですが、研究者が注目するのは、かつて五重塔であったといわれる層塔基礎が残されていることです。この層塔基礎について報告書には、幅70㎝、高さ36㎝で側面3面に格狭間があり、作られた時期は鎌倉時代後期のもので、白峯寺十三重塔との類似性を指摘しています。確かに格狭間文様は幅広く肩の張ったモチーフで白峯寺花崗岩製十三重のものと似ています。この層塔基礎は、櫃石島と白峯寺を結ぶ重要な遺物と研究者は考えています。
櫃石島周辺の島嶼部の花崗岩製石造物の分布状態を、研究者は次のように概観しています。
石造物群のある本島、広島、手島、真鍋島には、讃岐の凝灰岩製のものはありますが、花崗岩製の石造物はありません。女木島、豊島は、中世石造物がありますが数も少なく、石材は凝灰岩、石灰岩です。与島は花崗岩製が少数見られますが、岩質が異なります。露頭地の岩質も櫃石島と大きくちがうので「中世段階に与島産は想定し難い」と研究者は考えています。小豆島は花崗岩製のものはありますが、時期が室町時代以降のもので、岩質も異なります。南北朝時代以前のものでは長勝寺に1338年の宝筐印塔がありますが石材は安山岩です。
白峯寺の花崗岩製石造物
それでは櫃石島で花崗岩製石造物を制作した石工たちは、どこからやってきたのでしょうか。 讃岐の花崗岩製石造物は、白峯寺と宇多津の寺院周辺にしかありません。ここからは櫃石島の石工集団が、特定の寺院に石造物を提供するために新たに編成された集団であったと研究者は推測します。その契機になったのが、京都の有力者による白峯寺への造塔・造寺事業だとします。白峰寺は崇徳上皇慰霊の寺として、京都でも知名度を高めていました。そして中央の有力者や寄進を数多く受けるようになります。その一つの動きが、白峰寺への造塔事業です。そのために花崗岩の露頭があった櫃石島に、関西地域からさまざまな系統の石工が呼び寄せられて石工集団が形成されたというのです。その結果、それまでの讃岐の独自色とは、まったく異なるスタイルの花崗岩製石造物が、この時期に白峰寺周辺に現れると研究者は考えています。このように関西地域に系統をもつ石工集団が櫃石島に定住し、白峯寺への造塔事業が始まるというのが新たな説です。
ただ、13世紀に始まる白峯寺の造塔事業は、白峰寺だけのことではなかったようです。1240年前後になると、次のような中世最古の紀年銘石造物が広域的に現れてくるようです。
滋賀県水尾神社層塔(1241年)滋賀県安養寺跡五重塔(1246年)京都府宝積寺十三重塔(1241年)京都府金輪寺五重塔(1240年)奈良県大蔵寺十二重塔(1240年)岡山県藤戸寺五重塔(1243年)福岡県坂東寺五重塔(1232年)熊本県明導寺十二重塔(1230年)鹿児島県沢家三重塔(1239年)
岡山県藤戸寺五重塔(1243年)
以上を見ると、層塔が多いことに気がつきます。近畿だけでなく岡山や九州の有力寺院でも層塔が建てられ始めたことがわかります。いわば「層塔建立ムーブメント」の始まりです。このような流れの中で、花崗岩生産地の塩飽櫃石島に関西から石工たちが呼び寄せられ、瀬戸内海周辺の寺院に層塔提供のための生産が始まったというシナリオになるようです。白峯寺の層塔もこのような西日本各地の層塔造塔の動きに連動していることを押さえておきます。
それでは、この「櫃石石造物工房」を設立したのは、誰なのでしょうか? 考えられる候補を挙げておきましょう。
①瀬戸内海への進出著しい西大寺律宗のネットワークの寺院へ提供のため②児島五流修験
ここでは、これ以上はこの問題については触れずに先を急ぎます。
櫃石島産の花崗岩製石造物は、白峯寺にどのような順番で設置されたのか?白峰寺の花崗岩製の石造物の初期の作品は、まず崇徳陵周辺に設置されます。
崇徳陵五重塔(花崗岩製)
この内の花崗岩製の五重塔は、縦長の塔身・軸部、傾斜の強い屋根を持ち、岡山県藤戸寺五重塔(1243年)や滋賀県安養寺跡五重塔(1246年)(写真157)と、よく似ているので、同じ頃の製作と研究者は考えています。また、作風としては近江石工の影響が見られるようです。白峯寺頓證寺殿の石灯籠(1267年)
②続いて文永4年(1267)になると、崇徳陵東隣の頓証寺に花崗岩製灯籠が造塔されます。この灯籠は、年紀が入っている最初のものになります。火袋に対して笠部幅の狭いのがこの灯籠の特徴で、大和系石工の影響が見られます。
前回に、弥谷寺石工たちがこの灯籠を真似て、凝灰岩の天霧石でコピー作品を作った作品が大水上神社(三豊市高瀬町)の灯籠であることを紹介しました。弥谷寺の石工たちにから見ても模倣したくなる作品だったのでしょう。
白峯寺十三重塔(東塔・花崗岩製1278年)
頓証寺灯籠から12年後の弘安元年(1278)に、花崗岩製十三重塔(東塔)が造塔されます。
この塔は基壇に乗る総高は5,9mにもなります。それ以前の白峯寺石造物に比べると、格段の技術的進歩が見られます。
白峯寺十三重塔(東塔)の特徴を確認しておきます。
①金剛界四仏種子を刻む方形の塔身、低い軸部、傾斜の緩やかな屋根が特徴で、これらは大和に類例があること。②奈良県般若寺・大蔵寺十三重塔はホゾがありませんが、白峯寺十三重塔も解体工事によって同じようにホゾ・ホゾ孔のないことが確認されてこと。
外見からは見えない制作過程まで共通するということは、白峯寺十三重塔が外観だけ大和の石塔を模倣したのではないことを教えてくれます。そこには制作した石工集団が技術的系統でつながっていたことが分かります。また、白峯寺十三重塔は檀上積基壇上にありますが、檀上積基壇は大和の石造物地域圏の特徴とされます。これも先ほど見た櫃石島に残る層塔の基礎と共通する点が多く、白峯寺十三重塔(東塔)が櫃石島産であることを裏付けるものです。
この塔に類似したものを探すと、次のような石造物になるようです。
奈良県般若寺十三重塔(1253年)京都府天神社十三重塔(1277年)京都府法泉寺十三重塔(1278年)
奈良県般若寺十三重塔(1253年)
これらは大和石工の手によるものとされています。瀬戸内海エリアで大型の十三重塔が登場するのは白峯寺が最初だったようです。
また白峰寺の花崗岩製石造物は、材質は同じでも作品が作られた時期によって作風が違います。
①崇徳陵前の花崗岩製五重塔は近江石工系②白峯寺一三重塔(東塔)は大和石工系
ここからは、櫃石島の作業所に関西から集められた石工たちが集団でやって来たのではなく、各地域から「一本釣り」的に連れてこられたのではないかという推測ができます。そのために、同じ櫃石島で作られた石造物なのに、いろいろな作風が見られるというのです。このような現象は、他の作業所でも見られるようです。
白峯寺十三重塔(東塔・花崗岩製1278年)①白峯寺周辺の花崗岩製石造物の石材は、櫃石島の石が使われていること、
②白峯寺十三重塔基礎の格狭間は、大和にはない特徴であることや頓証寺灯籠、白峯寺周辺の薬師院宝塔、国分寺宝塔などには個性的な形態が見られ、関西地域の石工の一時的な出張製作ではないこと
③櫃石島に、関西からの何系統かの石工たちが連れてこられて、島に定着して製作を担当したこと
④白峯寺の層塔は、初期作品は近江色がつよく、次第に大和色が強くなること。
⑤その後は他地域の要素も混じり合って展開していので、櫃石島の石工集団は近江、京、大和の石工の融合による新たな編成集団だったこと
④櫃石島に新たな石造物工房を立ち上げたのは、律宗西大寺や児島五流修験のような宗教団体が考えられる。そのため傘下の寺院や関係寺院だけに、作品を提供したのかもしれない。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献 松田 朝由 白峯寺の中世石造物 白峯寺調査報告書N02 2013年版 香川県教育委員会27P
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