前回までは綾子踊りに謡われる風流歌が「港町ブルース」のように、当時の瀬戸内海の港町や行き交う船の船乗りや港などを舞台にした歌詞が作られていることを見てきました。
今回は、一転して「恋の歌」です。雨乞い踊りに、どうして恋の歌が歌われるのかと疑問に思いますが、少し付き合ってください。 
綾子踊りで3番目に踊られるのは「綾子(綾子踊)」で、歌詞は次の通りです。

綾子踊り 3綾子の歌詞
「綾子踊り 綾子」の歌詞

一、恋をして 恋をして ヤア わんわする 親の ヤア 知らずして
あんあの子は いんいつも ソレ 夏やせをする ウンウノヤ あらんや 夏やせをする ウンウノヤ 
あんあじきなや ヒヤ ひうやに ひうやに ヤア やらに やりうろ やりうろ
二、我が恋は 我が恋は ヤア 夕陽にむこう 沖の石 ふんふみかやさんされて ヤア ソレ ぬるぬるそで エンエンエノヤ あらんや ぬるぬるそで エンエノヤ あんあじきなや ヒヤ ひうやに ひうやに ヤア やらに やりうろ やりうろ
三、我が恋は我が恋はヤアほん細谷川の丸木橋ふんふみかやさんされて ヤアぬれぬる袖エンエンエノヤあんあじきなやひうやにひうやにヤア やらにやりうろ や
意訳変換しておくと
綾子は恋をして、その心は、いつも「わんわ」して、身は細ります。親はそれと知らず、夏痩せをしているのであろうと思っている。実は恋の痩せなのです。

2.3番は、 一転して失恋の「袖の涙」が歌われます。和歌の類型表現でです。そして全てに「さて雨が降り候」を加えて、雨乞風流踊であることが強調されます。内容を詳しく見ていきます。

「綾子」が身も細るほどの恋をしたようです。
「恋をして 恋をして ヤア わんわする わか恋は」の「わんわする」とは、恋に夢中になり、心奪われてしまっている状態をさすようです。次のような表現例を、研究者は挙げています。

①恋をせば 峰の薬師お参りやれ 峰の薬師は恋の神
           (柏崎市・越後綾子舞「恋の踊」)

恋の踊には、「一つとや」「二つとや」と歌ってゆく数え歌系があります。その例になるようです。「あんあの子は  いんいつも ソレ 夏やせをする」というのは、夏痩せと思えたのは、実は恋のためであったということです。
二番の「沖の石 ふんふみかやさんされて  ぬるぬるそで 」の「沖の石」についての例は次の通りです。
②我恋は潮千に満ちぬ沖の石、何時こそ乾く暇もない(備後地方・田植歌『哲西の民謡』)
③わが袖は汐千に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間ぞなき(『千載和歌集』・巻十二恋二こ二條院讃岐。
④沖の石とはおろかの沙汰よ乾く間もなきわが涙…(『落葉集』・第七・「沖の石」)
⑤見るにつけ聞くにつけ、胸に迫りし数々の、袖も乾かぬ沖の石(吟曲古今大全)
⑥汐千に見えぬ沖の石の乾く間もなき袖の露…(同・沖の石)
意訳変換しておくと
「汐が引いた状態でさえ、その存在がわからない沖の石のように、あの人には私の恋心は気付かれないでしょう。実は深く恋い焦がれているのですよ。

「沖の石」というのは、片思いのキーワードのようです。
三番の「細川谷の丸木橋」が謡われる例としては、次の通りです。
①我恋はほそ谷川のまろ木ばし(丸木橋) ふなかへされてぬるヽ袖かな (「平家物語』巻九・小宰相。『淋敷座之慰』。通盛口説木遣)
②我が恋は 細谷川の丸木橋 ふみかへされては ぬるんるゝ袖かや(『松の落葉』巻第六・四十四 地つき踊.)
③我が恋は  細谷川の丸木僑 ふみかへされてぬるる袖かな
(山口県・南條踊歌、「但謡集』)
④わが恋は細谷川の丸木橋 渡るおそろし 渡らにや殿御に あわりやせぬ(大阪府・泉大津・念佛踊歌. )
わが恋が「細川橋の丸木橋」に例えられています。自分の気持ちを伝えなければ届かないし、それを伝えることは怖いし、躊躇する乙女心という所でしょうか。「細川橋の丸木橋」といえば、自分の思いを告げようか告げまいか悩む乙女というイメージが当時の人たちにはあったようです。ここでは、綾子の「わが恋」が「細川橋の丸木橋」と云うことになるのでしょうか。
意訳変換しておくと
私の恋は、細川橋の丸木橋のようで、自分の気持ちを伝えなければ届かないし、それを伝えることは怖いし、躊躇する乙女心で涙で袖も濡れてしまいました。

ここにも雨乞い的な雰囲気は一切ありません。 「綾子」は、秘めた恋心に苦しむ恋歌としておきます。
研究者が注目するのは全てに出てくる「あんあじきなやひうやにひうやに」の「あじ(ぢ)きなや」です。
このことばは「中世小歌全体の抒情にかかわることば」で「中世小歌の常用の心情語」と研究者は指摘します。『日葡辞書』には、次のように記します。
「アヂキナイ」 情けないこと あるいは嫌気を催させたり、気落ちさせたりするようなことにかかわって言う。あぢきなく あぢきなう」

帚木119-3】古文単語「あぢきなし」とは | 源氏物語イラスト訳で受験古文のイメージ速読

「中世小歌」のキーワードのようです。用例を見ておきましょう。
①沖の門中(となか)で舟漕げば 阿波の若衆に招かれて あぢきなや 櫓が押されぬ(「閑吟集』・一三三)
②北野の梅も古野の花も 散るこそしよずろヽ あぢきなや(『宗安小歌集』‐50)
③見るも苦しみ 見ねば恋しし あぢきなの身や(隆達節)
④吉野のさくら花見る姫も あんじきなあや こしもとこしもと いざやたちより花を見る(香川県三豊郡、さいさい踊・「吉野のさくら踊」)

  次は、4番目が小鼓(つづみ)です。この歌は、もう少し艶っぽい内容になります。
一、君は 小津々み(小鼓) 我しらず ヒヤ 川(皮)をへだてて 恋をめす ソレ うんつんつれなの 君の心に、 イア さて 雨が降り候
二、こまにけられし道草も ヒヤ 露に一夜の宿をかす ソレ うんつんつれなの 君の心にゃ ヤア さて 雨が降り候
三、水にもまれし うき草も ヒヤ 蛍に 一夜の宿をかす ソレ うんつんつれなの 君の心にゃ ヤア さて雨が降り候
意訳変換しておくと
わたしが恋するあなたは、「小鼓」のようなもの。わたしは、その小鼓を打つ演奏者だよ。鼓の皮を打つと美しい音色を奏でます。それなのに、いつもつれないね。

この「小鼓」は、『言継卿記(ときつぐきょうき)』紙背と『宗安小歌集(そうあんこうたしゅう)』に、次のように載せられています。
『言継卿記』(大永七(1527・五月十四日条の紙背。)
①身(私)は小つヽみ きみはしら(調)へよ  川(皮)をへたててね(寝)にをりやる
「宗安小歌集』(一一五番)
②おれ(私)は小鼓 とのは調めよ 皮(川)をへだてて ね(音)におりやある ね(寝)におりや
『言継卿記』と『閑吟集』は、ほぼ同じ16世紀前半の成立です。①・②はともに、女性が自分を「小鼓」だと歌っています。「ね」は「音と寝」を掛けます。二人は川(皮)に隔てられているので、川を越えて、川の道を通って逢いに来るです。恋人(男性)は、鼓の緒を締めたりゆるめたりする奏者であるということ。「皮」は鼓に張られた皮に「川」を掛けています。「寝におりやる」とあるので、人間の肌の皮を暗示して、艶っぽい歌です。まさに「艶歌」に通じます。

閑吟集―孤心と恋愛の歌謡 (NHKブックス (425)) | 秦 恒平 |本 | 通販 | Amazon

もう少し用例を楽しんでおきましょう。
①我は小鼓ノ 殿御は調よ かはを隔てて  かはを隔てて ねにござる 花の踊りをノ 花の踊りを 一踊り(『松の葉』・巻一・浮世組)
②いとし若衆との小鼓は締めつ緩めつノ調べつつ ねに入らぬ先に 鳴るか鳴らぬか なるかならぬか(同)
③手に手を締めてほとほとと叩く 我はそなたの小鼓か(隆達節二八九)
④きみはこつゞみ しらべの糸よ いくよしめてもしめあかぬ(『延宝三年書写踊歌』・やよやぶし)
⑤そもじやこつゝみ われはしらべよヒヤア かはをへだてゝ のうさて かわをへだてゝ ねにござれ(駿河志太郡徳山村・盆踊歌)
⑥おれは小鼓 殿は知らぬ 川を隔てゝげに呼ぶ ホチヤラニ/ヽ ヮーローヒューヤラーニ
(阿波国神踊歌 徳島県 板野郡 神踊歌 『徳島県民俗芸能誌』)
⑦そもじやこつゞな われらはしらべよ かわをへだてて のふきて かわをへだててねにござれ(静岡県 榛原郡 徳山盆踊歌)
  ⑥には「おれ」とありますが、中世はこれが女性の一人称だったようです。女性のことです。「ぬしの小鼓となりたい」なんていうのは、江戸の小歌の中にもよく出てきます。

二番の「こま(駒)にけ(蹴)られし道草も  露に一夜の宿をかす」を見ておきましょう。
「駒」は馬で、駒に踏みにじられた道草も、露に一夜の宿を貸す、ということでしょうか。転じて路傍の草のように、相手を思うやさしい心を持ちなさい。私の恋心「下心」を、わかって受け入れて下さいという口説き文句になります。その他の用例を見ておきましょう。
人にふまれし道芝は 一路に一夜のやとをかす あら堅そんじやこの宿は(滋賀県草津市上笠・雨乞踊)
3番の「水にもまれし うき草も  蛍に 一夜の宿をかす」の用例を見ておきましょう。
  我が恋は 水に燃えたつ蛍々 物言はで 笑止の蛍 (閑吟集59)

意訳変換しておくと 
私の恋は、水辺で燃え立つ蛍のよう。物も言えない哀れな蛍よ

 「笑止の蛍」の「笑止」というのは、現在ではあざ笑うとか、失笑や冷笑の意味で使いますが、もともとの意味は気の毒なとか、かわいそう、痛ましいことといった意味だったようです。「水に」には「見ずに」がかかります。
  「蛍」は「火垂」で「思い(火)」の縁語として使われます。 
現在の演歌の歌詞のキーワードが「酒と女と涙」のように、「蛍」も閑吟集の決まり文句であったようです。この歌を「鑑賞」すると、多分、忍ぶ恋をしているのでしょう。恋しい人の顔を見ることも出来ず、好きとも言えず、ただじっと耐え忍んで思い続ける恋心の切なさ。なんてかわいそうな私……。そう言ってため息をついているのでしょうか。自分の柄とも思えない忍ぶ恋をしてしまった、そんな自分自身を仕様がないとひっそりと嗤っている、そんな姿が描けそうです。
「道草」と「露」、「浮草」と「蛍」の恋の情をうたう部分は、古浄瑠璃『上るり御前十二段』(浄瑠璃御前十二段)・「まくらもんたう(枕問答)」に次のように記されます。
○さてもそののち御さうし(御曹司)は、かさねてことばをつくされける、いかに申さん上るりひめ(浄瑠璃姫)、むかしかいまにいたるまでたけのはやし(竹の林)かたか(高)いとて とうりてん(塔利天)まてとヽかぬもの、たに(谷)のたかいとてみねのこまつ(峯の小松)にかけささず、九ちようのとう(九重塔)かたかいとて、いかなるいや(賤)しきてうるい(鳥類)つはさ(翼)か、はねうちたてゝと(飛)ふときは、九ちうのとう(九重塔)をもした(下)にみる。こま(駒)にけられしみちしば(道芝)も、つゆ(露)に一やのやと(宿)はか(貸)す。みつ(水)にもまれしかわやなぎ(川柳)も、ほたる(蛍)に一やのやどはかす、かせ(風)にもまれしくれたけ(呉竹)もことり(小鳥)に一やのやと(宿)はかす、
たんだ(只、)人にはなさけあれ、なさけは人のためならず、うきよ(浮世)はくるまのはのごとく、めぐりめぐりてのちのよわ、わがみのためになるぞかし
(『浄瑠璃御前十二段』元和寛永頃古活字版。「古浄瑠璃正本集』第一)
意訳変換しておくと
それでも御曹司は、重ねて次のように言われた。どう言ったらいいのはよく分かりませんが、お聞き下さい(浄瑠璃姫)、昔から今に至るまで竹の林が高いからといって、塔利天までには届きません。谷が深いと云っても峯の小松)に影は指しません。九重塔か高いとて、空飛ぶ鳥たちは翼を持ち、羽ばたいて飛べば、九重塔をも下に見ます。駒に蹴られた道芝も、露に、一夜の宿は貸します。水にもまれる川柳も、蛍に一夜の宿は貸します。風にもまれし呉竹も小鳥に一夜宿は貸します。
 只、人にはなさけがあります。なさけは人のためだけではありません。浮世はまわる車輪のように、めぐりめぐりて後の世、我が身のためになることもあるのです。
ここには、「恋の情けを尊しとすべし」ことが御曹司の口を借りて説かれています。こういう発想・表現が中世の風流踊歌の一つの特質だと研究者は指摘します。
 綾子踊りの「小鼓」には、当時流行していた風流歌の「恋歌」が「頭取り」され、三連ともに最後に「雨が降り候」の一句を「接木」して、「雨乞踊歌」としています。ここまでを整理しておきます。
①16世紀前半に成立した閑吟集などに収められた恋歌が「流行歌」として世間に広がった。
②風流踊りの中に「恋歌」が取り込まれて踊られるようになる。
③風流踊りが盆踊りや雨乞い踊に「転用」されて踊られるようになる。
④こうして、中世に読まれた恋歌が「雨乞い踊り」の歌詞にアレンジされながら歌い継がれることになる。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

参考文献
   「真鍋昌弘 綾子踊歌評釈 (祈る・歌う・踊る 綾子踊り 雨を乞う人々の歴史) まんのう町教育委員会 平成30年」
関連記事