瀬戸の島から

金毘羅大権現や善通寺・満濃池など讃岐の歴史について、読んだ本や論文を読書メモ代わりにアップして「書庫」代わりにしています。その際に心がけているのは、できるだけ「史料」を提示することです。時間と興味のある方はお立ち寄りください。

2007年01月

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二十四の瞳の舞台となった分教場の奥にある田浦庵の大銀杏。

本堂の屋根を傷めないために、「枝下ろし」された姿を

先日、紹介しました。


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他の場所で、見事に「再生」している銀杏を見ました。

「枝下ろし」して、3年目だそうです。


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三年の間に、これだけの若枝を伸ばしています。

冬の青空に向かって、背伸びするような姿。

がんばれよと声をかけたくなります。

同時に、元気をもらった気になりました。感謝

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島を牛の形になぞらえると首の付け根にあたる淵崎。

伝法川の河口に小さな島があります。

「あずき島」と地元では呼ばれています。

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海からの神が、この島から本島に揚がってきたと伝えられます。

島の「国生み伝説」の場所です。

古代は、小豆島は「あずきしま」と呼ばれていたようです。

吉備(黍)と阿波(粟)の間の島があずき島というのは、説得力があります(?)

島で一番高い星ケ城山にある神社も「あずき神社」です。


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北アルプスの白馬岳は、地元の人たちが代馬(しろうま)と呼んでいたのを、

地図作りの役人が [白馬]と書き留めたため、

(はくば)と呼ばれるようになったと聞いています。

階段の先に見えるのが「あずき島」です。

今は、本島は「しょうどしま」と呼ばれています。


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海から延びる階段をのぼると富岡八幡神社があります。

ここで寅さんの「寅次郎の縁談」のラストシーンが撮られました。

この日は、春のような日射しに包まれていました。

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世界一狭いどぶち海峡にある製材所です。

船で運ばれてきた材木が海に浮かんでいます。


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テレビで見る木場職人のようにハッピも着ていません。

派手さもありませんが、手際よく作業は進みます。


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一本一本がいかだのようにまとまられていきます。


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翌日は快晴、すでに多くの木々が陸揚げされて切断されています

海に浮かぶ木のそばを、小舟が通過していきます。

重油処理の溶剤を、散布しています。

重油事故から2ケ月 

処理作業は完全に終わったわけではありません。

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フェリーの給油は、どうするの?

ガソリンスタンドに行くわけにはいきません。

土庄港11:20発の第2小豆島丸の甲板にあがると、船が横付けされています。


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フェリーへ重油を給油しています。

坂出か水島のコンビナートから積み込んできたのでしょうか。

出港予定ぎりぎりに、給油作業終了。


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ゆっくりとフェリーから離れていきます。


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この船の名前は「日の出丸」

煙突を見てニンマリ。

日の出のマークがつけられていました。

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土庄港を出港して10分あまり。

カモメ類がフェリーを追いかけてきます。

スクリューの水流で海面に押し上げられる小魚を狙っています。


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くちばしが細く、足の色と同じ黄色で尾羽が真っ白。

カモメです。

甲板で見ていると、手の届くほど近くまで寄ってきます。


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くちばしの先が赤く、尾羽の先が黒。

ウミネコです。

ミャオーミャオーと時々猫のように鳴きます。


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飛び続けて疲れたのでしょうか?。

一休み? こんなカモメもいます。


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カモメ類が繁殖のために北の島へ向かうのは3月中旬。

それまで、こんな光景が見える瀬戸の航路です。

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島を牛にたとえると肩のあたりある四海(しかい)地区です。

狭い路地を、通り抜けて松林寺へ向かいます。

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どの家の前にも菜園があります。

瀬戸に浮かぶ島は、霜が降りることがなく野菜が元気です。


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使われなくなって久しいタバコ葉の乾燥棟。

その前のわずかな空間にも、植えられています。


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途中の納屋には、こんなものもいました。

農道の狭い島では、いまでも現役で活躍しています。


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島遍路68番松林寺が見えてきました。

札所の前の畑にも、元気な野菜の姿がありました。

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池田湾を見下ろす断崖に鎮座する西の滝

登っていくと護摩堂から般若心経の読響が聞こえてきます。


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中では護摩焚きの真っ最中。

播磨から訪れた信者の方々が祈りを捧げています。


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炎が高く昇り、煙がお堂に充満します。

その中で、一人一人の祈りが続きます。


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海に向かって続く階段を下りて帰路につきます。

体中が護摩で清められたような気がしました。

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田浦の分教場から細い道を奥にはいると田浦庵があります。


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おおきな銀杏が境内を覆っていたのですが・・

正月に行ってみると、ごらんのとおり・・。


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かわいそうにも思えますが、大きくなりすぎた銀杏は、

本堂の屋根を傷めないために、こうやって「仕立て直し」するそうです。

確かに、幼い枝が何本も空に向かって伸び出していました。

冬なのに緑の葉を残している枝もあります。


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帰りの道筋では、こんなものも見かけました。

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前回紹介した「24の瞳」の中国語の映画ポスターです。

中国でも公開され、高い評価をうけたそうです。


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映画の中のワンシーンです。

子どもたちが洞雲山のふもとの醤油倉を駆けていきます。

山の中腹あたりまで段々畑が耕されています。

いまは放置され自然に還っています。


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でもマルキンの醤油倉は、むかしのまんまです。

この中でゆっくりと醤油ができあがっています。


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まわりを歩いてみると醤醢(ひしお)の香りが漂います。

ちょうど昼時、お腹も空いてきたようです。

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島を訪れたお客さんを案内して、田浦分校へ行って来ました。

二十四の瞳の舞台となった分校です。


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一年生が使っていた机と椅子です。


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教壇の上に置かれた紙芝居です。


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教室のオルガンです。


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この日も訪れた人の残したノートを読んで、時が過ぎて行きます。

予定した時間は過ぎています。

でも、次に行きますと声はかけれない雰囲気です。

一人一人が教室と対話をしているように私には思えて・・

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牛の形に小豆島をたとえると後足の付け根あたりにある坂手港

洞雲山から島巡礼の道を下りてくるとフェリーが停船中です。


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観音寺の境内からは、甍の海に浮かんでいるように見えました。


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普段は、寄港しない関西汽船のサンフラワーです。

帰省客の多い盆や正月には、臨時便が立ちよります。

いつもは静かな港も、送り迎えの人で賑やかでした。


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12時に着岸した船は、14時過ぎには町に帰る人を乗せて出港していきます。

行き先は神戸経由で大阪南港です。

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