瀬戸の島から

金毘羅大権現や善通寺・満濃池など讃岐の歴史について、読んだ本や論文を読書メモ代わりにアップして「書庫」代わりにしています。その際に心がけているのは、できるだけ「史料」を提示することです。時間と興味のある方はお立ち寄りください。

2007年02月

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小豆島で出荷額が一番多いのは醤油でも、素麺でもありません。

今では佃煮が一番。全国シェアーの3割近くを占めています。

こだわりの佃煮を作り続ける小豆島食品さんの工場です。

築100年近くのかつての醤油倉を使っています。

この建物も登録建築物に指定されています。

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材料は「いいもの・本物」にこだわりたいというご主人。

白い箱は厚岸の昆布。茶色い箱は日高昆布。

北海道から取り寄せた厚みのある昆布です。

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水で戻された厚岸産の浜中昆布。

まるで生きたウナギのように見えました。

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機械で裁断していきます。

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となりでは、別の佃煮が釜で茹でられていました。

人間の勘と経験で茹で具合や味付けを修正していきます。

「職人」の技と手間で、こだわりの佃煮が作られていました。

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広島県・尾道の千光寺から海峡を見下ろしました。

向島との間を、頻繁に小型のフェリーが行き来しています。

「フェリー大好き人間」の私は、早速乗りにいくことにしました。

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どちらが前で、どちらが後ろか分からない。

これだと接岸が楽です。

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着岸と同時に人と車が乗り降りします。

そして、すぐに出港。

まさにピストン運航です。

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自転車から降りずに、そのままの姿で乗船していました。

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「出港」から3分40秒で向島に接岸。

ちなみに代金は人間100円。自転車110円、バイク120円。

そして車は130円。

安くて便利な市民の足となっている渡船でした。

向島から見る尾道は・・・いい光景でしたよ。!(^^)!

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前回に続いて醬(ひしお)の里、山六さんの庭先。

役割を終えた大きな醤油樽が転がっています。

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今も使われている醤油樽です。

杉の板で組まれています。

緊張がゆるむことを【箍が緩む】たががゆるむと言います。

樽を絞めているのが箍(たが)だそうです。初めて知りました。

この箍は竹が使われています。

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120年間、使われている醤油樽です。

塩を入れるために金属では20年ほどで腐食してしまいます。

竹と杉だから腐らずに長い間、使用することができるそうです。

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この樽の修理の出来る職人さんは日本に6人しか残っていません。

伝わってきた醤油樽を大切に使って、未来に残そうとしています。

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外に出ると使われなくなった樽の杉板でベンチが作られていました。

「訪れた人たちが憩えるように」とのことでした。

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小豆島では今でも19軒の醤油屋さんがあります。

その中で古い製法にこだわる小さな醤油屋さん「山六」を見学。

庭先には今も使われているおおきな醤油樽がありました。

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醤油倉の樽の上に上がって五代目の説明を聞きました。

建物自体が登録文化財の指定を受けています。

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壁は土壁が剥きだし。

ここに美味しい醤油をつくり出す酵母菌が住み着いているそうです。

「この醤油倉がうちの一番大事な財産」と社長は言います。

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下からぷくりともろみがわき上がってきます。

長い年月を経て住み着いた酵母菌たちが活動しています。


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下りて見ると百年以上前に作られた樽が並んでいます。

ここでしかできない醤油が、昔ながらの方法でつくられていました。


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高松港へフェリーに乗りにいくと日本丸が出港準備中です。

離岸のために「さぬき丸」がやってきています。

「さぬきが日本を押す」シーンが見られるとワクワク!(^^)!

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さぬき丸の前には白い「エプロン」がかけられています。

日本丸の白い船体を汚さないためでしょうか?

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9:55分のフェリーに乗船して甲板から見ています。

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ひっぱったり押したりの作業を繰り返します。

私の乗った船も出港しました。

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フェリーと違って自力で接岸出来ない船は、大変です。

その点、瀬戸のフェリーは小回りがきくなあと、改めて思いました。

それと昨年春に寄港した海王丸と救命艇の色の違いくらいしか分からなかった私です。(?_?)

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お腹がぽっかりあいた双胴船「sun of sea」です。

高松と草壁港を結ぶ高速船です。

私には最初「ジンベイザメ」のように思えました。

みなさんには何に見えますか?

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土庄どぶち海峡の「修理ドック」にやってきていました。

船にも車検と一緒の定期検査があります。

乗客の一番少ないこの時期にドック入りするようです。

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お化粧直しを終えて2月15日から草壁航路に復帰。

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私の乗るフェリーを追い越していきます。

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すぐそこは高松港です。

お色直しをしたばかりの「sun of sea」はかっこよく見えました。

実はこの船に乗ったことがありません。

乗れるチャンスをうかがっている私です(@_@)。

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小豆島を牛の形にたとえるとお尻のあたり。

播磨灘に続く海が広がります。

遠くは姫路沖の家島諸島が見えます。

眼下に目を落とすと・・

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海苔網が一面に張られています。

今が収穫の真っ最中


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海苔網の下を、船がくぐって海苔を刈り取っていきます。

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幅が広くて安定した刈り取り専用船です。

今年は重油流出もありました。

でも被害を受けなかったこの海の海苔の成長はいいようです。

美味しい海苔が瀬戸の海からお届けできそうです。(^_^)v

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乗船してきたおりーぶ丸が姫路に向けて出港していきます。

天気もいいし、原付バイクで陸上から「追跡」してみました。

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オリーブの木が「さよなら」している福田湾を出て行きます。

湖のように穏やかな海で、空との境が分かりません。


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石の関門を通過していきます(~o~)。

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小豆島を牛にたとえるとしっぽの先に当たる金ヶ崎を越えます。

島の海は、この時期が一番透明度が高いように思います。

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もう一がんばり追いかけました。

播磨灘にでていきました。

海の青にも、空の青にも、染まず進んでいきます。

遙か向こうに見える島影は先日紹介した家島諸島です。

寒かったけれども、心がホクホクした「おっかけ」でした。

追跡報告終了!(^_^)/~

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姫路港から小豆島福田へのフェリーに乗船しました。

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港には中国への鉄くずを積み込む「AKABOSI」丸がいました。

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家島に帰る小さな船に続いて、港を出て行きます。

ちょうど家島から石をいっぱい積んだ採石船が入港してきました。

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飾磨の工業地帯をタッグボートがゆっくり進んでいます。

陽光の中、海も空も真っ青。

目を開けているのがまぶしくなります。

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船にあった航路図です。

家島諸島の間を通り抜けるように小豆島へ向かいます。

所要時間は90分。1320円の小さな「船旅」です。

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福田からの同僚船と家島の採石場ですれ違いました。

報告終了!(^_^)/~

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幕末の「小豆島名所絵図」です。

島特産の素麺の粉ひき風景です。

大きな臼を牛が廻しています。

そこで疑問!

使われなくなった石臼は、今は何処に?

石臼探索に出発!

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まずは「大阪城残石公園」に集められているのを発見。

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続いて、神社で灯籠に変身。

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さらに札所の石垣の中に発見。

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最期にこんなところにもありました。

海に面した漁師さんの家です。

波を小さくするテトラポット代わりに使われているようです。

石臼の役割を終えて、それぞれ「第2の人生」を送っていました。

報告終了!(^_^)/~

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今から150年ほど前の幕末に書かれた島の名所絵図です。

(クリックすれば拡大します。)

島を牛の形になぞらえると前足のスネあたり。

小豆島札所29番風穴庵からの眺望図です。

弁天島が風と波を防ぎ、天然の良港になっています。

ここには神の浦(こうのうら)の港があります。

かつては潮待ち、風待ちの港として栄えたところです。

沖には帆を揚げた船が幾隻も見えます。

そのむこうには、讃岐の五剣山の特徴的な姿が描かれています。

この山も沖ゆく船のランドマークにはぴったりです。

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現在の神の浦です。

小さな漁村になっています。

吹く風と寄せる波は昔と変わりないようです。


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だれもいない庵の中には、涅槃仏が静かに横たわっていました。

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今から150年ほど前の幕末に、書かれた島の名所絵図です。

島札所54番寳性院(今は宝生院)の境内が描かれています。

今と違うところが、いくつかあります。

まず、廃仏毀釈で境内から「五座社・鎮守の森」が姿を消しています。

後ろの山は「青門山」と書かれていますが、

明治になって皇国史観の影響で「皇踏山」と変えらました。

時代と共に地名も変わって行きます。

変わらないものは、右の端に描かれている巨木。

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シンパクです。イブキの変種で、正式名はミヤマビャクシン(深山柏槙)。

遠くから見ると、まるで森のようです。

昔はカラス天狗が住んでいるとも言われたそうです。


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樹齢は推定1500年以上。根元の周囲は16.6メートル。


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国の特別天然記念物で、日本最大のシンパクと言われています。

この木だけは、150年の月日を経ても変わりないようです。

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節分を過ぎて春のように穏やかな高松港。

土庄港発9:25のスーパーマリンが、ちょうど桟橋に到着です

私の乗った9;55発土庄港行きのフェリーも出港です。


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港の「赤灯台」を見ると2隻のフェリーが入港中です。

前が宇野港からの宇高国道フェリー。

後ろが直島からの「あさひ」丸でした。

後ろの島は鬼ヶ島。節分の間、鬼はこの島に逃げ込んでいます。(^_-)


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私の乗っている船も、港を出て行きます。

真っ白い「あさひ」丸が灯台の間を通って港に入ります。


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今度は、宇野港行きの四国フェリーが赤灯台から出て行きます。

フェリーの出入りが瀬戸内海で一番多い高松港です。

白い航跡をのこして、高松港が遠ざかります。

約一時間で、フェリーは土庄港に着きます。料金は560円なり。

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今日も高松発、土庄行きフェリーからです。

風が少し強く、海には「うさぎが跳んで」います。

同じ土庄港へ向かうスーパーマリンが追いかけてきました。


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横に並びかけてきます。


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向こうは時速60㎞、こちらの倍のスピードです。

あっという間に抜かれていきます。


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戦争末期には、この海をいく船にもグラマンからの機銃掃射が

浴びせられたと聞いています。

そんな時代が再び来ないようにとの願いからでしょうか

船には、オリーブの枝がデザインされた旗がなびいています。

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高松発、土庄行きのフェリーの甲板上です。

向こうに見える島影が小豆島です。

船の通航の多い備讃瀬戸東航路にさしかかります。


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手前の船は神戸方面へ東行しています。

むこうがわのタンカーは、西に向かっています。

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フェリーは大きく進路を変えました。

本線航路を行く船の後をついて行くような気配です。

そっちは小豆島の方向ではないのに、どうして?

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遠くに見える西行する船の後ろを、今度は通過するためです。

備讃瀬戸航路を通過する船の進路を、妨げてはならないのです。

そのためにフェリーは、大きなs字を描きました。

海の上にもいろいろなルールがあるようです。

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