
「ミニ・エンジェルロードみたい」といいながら引き返します。
10月末でも、水温は25度もある小豆島の海です。

ちょうど昼ご飯が出来上がっていました。
瀬戸の海で獲れた鯛を加工して「骨まで食べられる鯛飯」です。
野外で調理したものは、美味しいです。(*^_^*)

ここでは、春にはこんな風景も見ることができます。
豊かな 自然の中で のんびり 自由な時間を・」 掲げて島でエコツアーを開催している自然舎(じねんしゃ)のお世話になりました。 詳しくはHPをごらんください。http://www16.ocn.ne.jp/~jinensha/











一面の花吹雪。
夥しい花弁が一斉に流れ落ちる。
私という一個体が完全に裏返っていた。
表になった裏が、目の前に展開する光景を、必死になって咀嚼しようとしていた。
これは夢ではなくて現実なのだ、と。
桜は蝶が姿を変えたように、ひりひらと音もなく舞い落ちてきた。
そしてその一枚が私の持つ茶碗の底に伏した静謐に身を預けた。
真っ青な抹茶に浮いたひとひらのピンク。
それは小さな宇宙だった。
もうそれ以上加えるものもなければ、差し引くものもなかった。
器に構築された小さな空間に、すっぽり私自身が包含され、桜の花びらとともに浮いていた。
私の美的感性はこの一瞬にして生まれ、凝固した。
芸術が何たるか分かろうはずもないのに、私はそう感じた。
四十五年経った今でも、私はそう断言できる。
そのとき私はまだ小学三年生だった。
父は八年前に他界した。
私は母より父の影響を受けた。
ただし、芸術に対する感性の面においてである。
父は生涯、一介の貧しい百姓であった。
そして一人の芸術家を通した。
当時は、家族が食べていくのが精一杯だった。
父も母も朝早くから夜遅くまで野良に出ていた。
石川啄木ではないが、いくら働いても暮らしは楽にはならなかった。
そんな中、父の唯一の楽しみは、四季の自然に遊ぶことだった。
野の草花を愛し、歌に詠み、絵に描いた。
また、手製の花器に活けた。
金のない父の唯一の道楽が茶であった。
勝はPTAの参観日が嫌だった。
どうせ野良仕事の合間にやって来て、教室の戸をそっと小さく開けて、卑屈そうに入ってくる。
そしてあっちにもこっちにもぺこぺこ頭を下げるのだ。
勝はそんな母を見たくなかった。
自分自身がおとしめられた思いがするからだ。
二十分ほどして、木の戸がガタンと唸った。
戸は古くて重いうえ建付が悪く、歯を食いしばったみたいになかなか開かなかった。
緊張の糸がほどけ、全員の視線が後方の戸に釘付けになっていた。
入り口の戸と格闘していたのは母だった。
勝の予想にたがわず、母親はもんぺ姿のまま教室に入ってきた。
振り向きざまに一瞬目が合った。
母は戸口で躊躇していた。
勝の気持ちを読み取ったのかもしれない。
顔がやや暗い。背中も少し猫背になっている。
普段の気丈な母とは違った。
勝はあわてて視線を外すと、算数の演習問題を睨んだ。
だが頭の中は真っ白で、計算ができなかった。
「勝のかあちゃんだぞっ」
後方でくすっと笑う声が聞こえた。
勝は背中に焼け火箸を押しつけられた思いだった。
首をすっこめ嵐が過ぎるのをひたすら待っていた。
勝は放課後、近くの鴨川の土手に寝っ転がって悔し涙を流していた。
「おい もんぺだぜ」
同級生の囁きが耳の奥にこびり付いていた。
日が鎮守の森の向こうに落ちて、辺りが暮色を通り越して黒くなり始めて、
勝はようやく腰を上げた。
父と母は日がどっぷり暮れて家に帰ってきた。
二人とも農作業で疲れていた。
朝作った菜っ葉の茹でものの残りと漬け物で、冷やご飯を黙って口にかき込んでいた。
「勝、どうしたんね。そんなに怒った顔してからに」
母が箸の動きを止めて言った。
勝は箸を置いた。そして母を睨み付けた。
「おかしな子やね。寝たら直るわ」
母の言葉は思いやりのないものに聞こえた。
それでつい口走ってしまった。
「なんでもんぺで来たんや」
「もんぺのどこが悪いのや。お母さんの仕事着や。勝、それが恥ずかしいて怒っとんか」
「そや。みんなきれいが服着てきよったのに、母ちゃんだけや。あんな汚らしい格好して……」
父の平手が飛んできた。
「お父さん」
母は勝をかばった。
父は頬を押さえた勝に言った。
「人間の値打ちは服じゃない。汗水垂らして働くことや。
まじめにな。貧しくてもつつましやかに暮らせばいいんだ」
以後、父が手を振り上げることはなかった。
う~ん苦しいな、と勝が思ったとき、今でも頬に懐かしい痛みが蘇ってくる。

























この北山杉に負けないほど立派な杉林が小豆島にもある。
美しの原高原とか星ヶ城周辺には美林が多い。
まっすぐ背筋を伸ばし、ひたすら天を突き上げている、その誠実さがすがすがしい。
いつもこうありたい、と自己反省を促される。
横線が一本もない世界。
それは少し奇異だが新鮮な感覚に襲われることは間違いない。
木々にすーと自分を吸い上げられる感覚とでも言ったらいいのだろうか。
その際、横ぶれがまったくないため、自分の中に一本の太い直線が駆け抜けたような錯覚に陥るのだ。
ジベルニーというところがフランスにある。
パリ郊外の田舎である。ジベルニーと聞いてピーンとくる人は、相当な絵画愛好家か。
クロード・モネ。
フランス印象派の旗手的存在である。
かつてフランスで浮世絵など日本の文化がもてはやされた時期があった。
パリ万国博覧会が開催された時期に相当する。
「ジャポニズム」といわれる。
モネもジャポニズムに傾倒した一人だった。
彼はジベルニーに太鼓橋を含む日本庭園を建設し、
そこで光の効果をテーマに、何枚も何枚も習作に取り組んだ。
パリ市内にオランジェリー美術館がある。
かの有名なルーヴル美術館の隣、セーヌ川を挟んでオルセー美術館の反対側になる。
そこにモネの睡蓮の大広間がある。
広間は二つあって、奥の広間に柳と睡蓮の池を描いたものがある。
かつて私はそこに何時間も座っていたことがある。
何十本という柳の枝が、横長の巨大なキャンバスを垂直に分割している。
その奥に静かに佇む睡蓮の池。
池に浮かぶ睡蓮の葉。
水面を這うそよ風に、わずかではあるが揺らいでいるように見える。
柳の枝、池、睡蓮。
一つ一つを取ると「静」なのに、組み合わせで見ると、
柳の垂直に切り下ろす圧倒的「律動感」が見る者の胸に迫ってくる。
小豆島の杉林にも同じものを感じる。
樹間に立つ。
周囲から立ちこめる冷気。
静寂で不動。
だが決して怖くはない。
むしろ心がほどけ、溶けてゆく。
が、一本、さっき言った真っ直ぐな誠実感に自身を貫かれる。
素麺の箸分け。
素麺を天日干しするとき箸分けをする。
その箸分けが終わった素麺には、息の詰まるような快感がある。
まさに匠の技。
滝のようになだれ落ちる疾走感。
それと途中でぽっきり折れて崩れ落ちそうな危機感。
この二つが合わさって「律動感」を生み出す。
「杉の美林」と「素麺の美林」。
私は密かにそう呼んでいる。
川端康成の北山杉に負けない美林が、ここ小豆島にもある。
















モーセ。
そう前十三世紀の古代イスラエル民族のカリスマ的指導者である。
エジプトにおける迫害、エジプト脱出、シナイ滞在、カナン侵入と、彼にまつわる逸話は多い。
なかでも、紅海渡渉の下りは有名である。
モーセはエジプトで苦しむ同胞を解放しその地を逃れようとした。
しかし、イスラエル人解放を考え直したエジプト王パロの送った軍隊に追撃され、
葦の海(紅海)を前に前進できなくなった。
まさに進退窮まったとき、モーセは杖を紅海の上に差し出し祈った。
すると海は真っ二つに割れ、海の道ができた。
イスラエル人はそこを歩いて渡った。
後を追ってきたパロの軍隊は、イスラエル人が渡り終えたとき、
流れ戻った海水に飲まれて海の藻屑と消えた。
モーセの『出エジプト記』として旧約聖書にある。
先に書いた天使の道もモーセではないが、
人間の邂逅とか訣別を敷衍して考えると、そこそこ奇蹟的な要素が含まれている。
そこは想像力に任せるしかないが、人は出会いと別れを繰り返す。
この世は無常。
何一つ定かなものはない。
一本の道に様々なドラマがある。
ところが、もう一つ面白い話を小耳に挟んだ。
草壁から橘を経て福田に向かう途中に南風台というところがある。
そこはむかし扇形の洒落たレストランがあって、
目の前に浮かんだ島を眺めながらリラックスできる隠れ家的場所であった。
その島の名前は城ヶ島。
神奈川県の三浦半島先(三浦三崎)にあるかの有名な島と名前も綴りも同じ。
小耳に挟んだ話というのは、実は南風台から城ヶ島まで海の道があるというのである。
距離にして約二百メートルくらいか。
エンジェルロードのように砂州が現れるといったものではないが、
やはり引き潮のときには、遠浅になって島まで行けるというのである。
この道に願い事をすると叶えられるとか。
恐らく多くの人が、願掛けしたことだろう。
島は緑の木々に覆われ、海と美しい調和をなしている。この道は『希望の道』と呼ばれている。
佐恵は目を閉じて祈った。
すると目の前の海が割れ、真っ白な海の道が現れた。
その先に希望の光が見えた。
佐恵は閉じた瞼の裏に光男の姿を描いていた。
光男は追いかけてくる佐恵をはぐらかすように躯をひねっては、佐恵の手から逃れた。
佐恵が怒ったような顔をして立ち止まっていると、光男が心配そうな顔で近づいてきた。
光男がすぐ真ん前まで来たとき、佐恵はワッと声を上げて光男を捕まえようとした。
が、光男はそんなことはすでにお見通しと言わんばかりに、
またしてもしなやかな躯をねじらせると、佐恵の追撃をかわした。
「鬼ごっこなんてもうやめた。光男ったら意地悪なんだから」
「諦めた?」
「嫌いよ」
佐恵はぷっと頬を膨らませ、そっぽをむいた。
「アーア、お嬢様を怒らせてしまった」
「この償いは高いわよ。覚悟してらっしゃい」
「何が欲しい?」
「そうね」
佐恵は勿体ぶった面持ちで少し考えた。
「でもまあいいか。アイスクリームで勘弁してあげる」
「確かに高価な償いだね」
佐恵の閉じていた桜貝のような目から涙がにじんだ。
それはゆっくり朝露のように膨らみを大きくすると、真珠色に輝き、睫毛に留まっていた。
「会いたい。でも大丈夫。元気でやっているから心配しないでね。航海の無事を祈っているわ」
佐恵の薬指にはアイスクリームの代わりに買ってくれた指輪が光っていた。
佐恵はその手をそっと丸みを帯び始めた下腹部へとずらせた。
「さあ、お父さんに何か言いなさい」
見える道、見えない道。
私たちは好むと好まざるにかかわらず、両方の道を歩まなければならない。
見える道で迷って、見えない道でさらに迷う。
この繰り返しかもしれない。
天使の道、希望の道。
それでもこの二つの道は、いずれも明日への期待を約束してくれそうな気がする。
雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨が降る
雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気
雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ
ー北原白秋ー
小豆島には城ヶ島を始め、美しい名前を付された島が他にもある。
これだけでも空想にひたれる。
風ノ子島、
こぼれ美島(大島)、
千振島、
花寿波。
う~ん、実にいい。



















前置きが長くなったが、小豆島にも万里の長城ならぬ、小豆島の長城が存在する。
ええ! 嘘?
そう、嘘です。が、本当です。
ややこしい。本当はどっち?
考え方次第だと思う。
確かに万里の長城のようにランドサットからは見えないかもしれないが、
それを遠目で眺めると、やっぱり誰もが万里の長城と思う。
「長崎のしし垣」
それが答え。
小豆島にあるのに、長崎? 三都半島の長崎というところにある。
しし垣。
聞き慣れぬ言葉だ。
漢字で書けば、「獅子餓鬼」?
違います。
獅子の子供ではありません。
じゃあ、「志士書き」?
違います。赤穂浪士でもありません。
「しし」とはイノシシとかシカのことで、「獣」「猪」「鹿」という漢字をあてる。
だから「猪垣」とか「鹿垣」と書いてもいいと思う。
つまり、しし垣というのは、イノシシとシカから作物を守るための垣ということになる。
万里の長城が北方の遊牧民からの防衛だったのに対し、所変わって小豆島では馬ならぬイノシシとシカとなる。
実に牧歌的色彩が濃い。
でも、昔のお百姓さんにしてみれば、死活問題だった。
やせた山間の畑で大事に育てた作物を、赤の他人であるイノシシとかシカに横取りされてしまう。
そんなことがあってたまるか。
「しし」はお百姓さんにしてみれば匈奴に匹敵した。
江戸時代中期に築かれ、その距離たるや百二十キロに及んだ。
先日、実家に帰ると、兄がぼやいていた。
「今からイノシシ防御のネット張りや。猿とイノシシにやられる」
う~ん、塩害ならぬ猿害と、猪害か。
押し寄せる環境問題の波は、なにも二酸化炭素の排出量だけではなさそうだ。
気が付いたら、猿とイノシシに巻かれ、身動き取れなくなっていたりして。
これって笑うに笑えない。
ところで、昔少しの間、イギリスのケンブリッジとチェスターというところにいたことがある。
話というのは、チェスターにいたとき、イギリス人の友人に誘われて小旅行をしたときのことである。
どうせ小旅行と言ったって、昼間から生ぬるいイギリスのビールと
ちょっと癖のあるスコッチウィスキーを飲むパブ巡りの旅なんだろう。
そう言われそうだが、違います。
友人は私にあるものを見せたかった。
それで私をそこへ連れて行った。そういうこと。
行った先は、ヘイドリアンズ・ウォール(Hadrian's Wall)。
でも行った先と言えるかどうか。
というのも相手は、いかんせん延々一一八キロもの壁だからである。
ここで少し概説を。
スコットランドとの国境近く、ブリテン島を東西に横断する壁が、
ヘイドリアンズ・ウォールと呼ばれるイギリス版万里の長城。
西のカーライルから東のニューキャッスルまで延びている。
長さは、先ほど言った一一八キロ。
歴史的に見ると、一二二年から一二六年に、ローマのハドリアヌス帝が命じて、
やはりこれも北方からの侵略に備えて建造させたもの。
不思議ですね。敵は北方にあり、ですかね。
みんな北からの侵入を恐れていた。
そこで私も、はてな、と考え込む。
現在私が住む官舎の北は?
大変だ。隣の婆さんちだ。
これが結構口うるさい。
雑草が生えようものなら、フェンス越しにじっとそれを睨みつけている。
ただし私がいるときだけ。
つまり、「お前、この雑草の種がうちの庭に飛んでこないうちに、さっさと引っこ抜け」
そう暗に言っているのだ。
さっそく長城の建設に取りかからなくては……。
そう言えば、日本には「鬼門」というのがある。
昔の人にとっては、北はまさにこの鬼門だったのかもしれない。
それよりイギリスに何でローマ人が?
「すべての道はローマに通ず」のとおり、大ローマ帝国の力はそれほど凄かったということです。
イギリスもご多分に漏れず、ローマの侵攻を受けた。
そのためイギリス各地にローマの遺跡が遺っている。
特に有名なのは、バースのローマ浴場跡。
今でもこんこんと湯が湧いている。
このヘイドリアンズ・ウォール、
驚くなかれ、防壁上には一マイルごとに監視所(milecastle)が置かれ、その間には二カ所小監視所(turret)が設けられていた。
いかに北方からの侵略をローマ人が恐れていたかが分かる。
防壁は土と石でできており、高さ五メートル、幅二、五から三メートル。
八達嶺付近の万里の長城が、高さ九メートル、幅四、五メートル、底部九メートルだから、
イギリス版万里の長城もいっこうに見劣りしない。
広い丘陵地を緩やかにカーブして地平線へとなだらかに続く壁に、古代ローマ人の姿が見える。
飛び越えようとして、飛び越えられなかったしし垣。
低そうで高い。回り道するには長く、遠い。
諦めて、とぼとぼ帰っていくしかなかった。
イノシシとシカの後ろ姿が、暗く、重い。
よく考えると、われわれ人間だって、いっぱい垣がある。
飛び越えようにも越えられないもの。
人間の場合は、目に見えるものばかりでなく、目に見えないものもある。
特に、目に見えないものの方がややこしい。
人間の愛憎。
ボタンを掛け違えると、泥沼に入っていく。
ばあさんが戸を開けると、美しい娘が立っていた。
もう夜はすっかり更けて、若い娘が一人歩きする時刻ではなかった。
「こんな時間にどうしなはった。道にでも迷いなさったかね」
ばあさんは若い娘をいたわるように言った。
「ええ。蒲野(かまの)の方へ行こうと山越えをしておりましたが、どこぞで道を間違えたらしいのです」
「気の毒に。それは難儀したの。もう遅い。よかったら一晩、うちに泊っていきなはれ。
なあに心配せんでもよか。このあたしとじいさんしかおらんでよ」
女は礼を言って、中に入った。
その夜、じいさんとばあさんが寝ていると、コトリと障子が開いた。
じいさんとばあさんの首筋辺りを、ひんやりとした隙間風が流れた。
ばあさんが目を覚ました。そしてじいさんの骨張った肩を揺すった。
じいさんも目を覚ました。
二人は若い女が枕元に座っているのを、月明かりに見た。
ばあさんがじいさんの背中にしがみ付いた。じいさんも震えている。
女の顔は冴え冴えとした月の光に照らされて、ロウソクのように白かった。
「起こして済みません。一言お礼が言いたかったものですから」
「お礼?」
「そうです。助けていただいたお礼です。ご恩は忘れません。おやすみなさい」
女は障子を閉めると、隣の部屋に伏した。
湖の底にいるような沈黙が訪れた。
風の音も聞こえてこない。
虫も鳴いていない。
この時刻に決まって啼くフクロウも、その夜だけは啼かなかった。
ただ満月の煌々とした光が、百姓家の狭い部屋になだれ込み、すべてを沈黙へと押し込めていた。
明け方、障子が開くかすかな音がした。
が、それは夢の継ぎ目に聞いた隙間風だったかもしれない。
「有り難うどざいました」
そう言うと、女は深々と頭を下げた。
女はしし垣をじっと見ていたが、やがて諦めたように、山道を下っていった。
女はしし垣を越えようとはしなかった。
数日後、村人の間で話に昇った。
明け方、一頭のシカが足を引きずりながら山道を降りていった。
不思議なことに、その痛めている足には赤い布切れが巻かれていた。
「じいさん、手ぬぐいどうした?」
野良の手を休めてばあさんが訊いた。
「手ぬぐい?」
「そう、あんたの気に入りの赤いやつ」
「さあな。どこぞに置き忘れたかもしれねえな。なんせこの年寄りだ」
じいさんが、はっはっは、と頭上の太陽を真っ二つに割るように笑った。
ばあさんが、なるほど、と頷いた。
台所の木戸裏に焼酎が置かれていた。
