「二十四の瞳」の原作者壺井栄は故郷小豆島のことを数多く書いています。
戦前に書かれた物は、半世紀を超えて「資料」的にも価値があるように思います。
そんな中から「しし垣」が出てくる「鹿の角」をご紹介します。

瀬戸内海の静かなな海の中にぽつりと浮んでいる小豆島なのであるが、 島には昔から猿や鹿などがたくさんいたという。 祖母の話を聞いていると、明治の初め頃には人聞の数よりも多い猿や鹿がいたように思える。 鹿のことを祖母はししと云った。 祖母に限らず、昔の人はみなししと云っていたらしい。そのししが本当の猪と一緒に山から出て来ては畑を荒して困るので、 山と里との境に石坦を作った。 それが今も残っている。 その石坦を村の人たちはしし坦と云い、 私たちは万里の長城などと云った。 子供の頃の私はししは猪だけだと思い、 猪が山の奥から里をめかけて向う見ずに、たあっ!と駆け出して来てしし坦に突き当り、 そこで大怪我して死んだのだろうとひとりで決めていた。
そして自分たちの時代になって、ししが村里へ山て家なくなったことを、 大いに安心したものである。 ところが、ししが島にいなくなったのは、しし垣で怪我をしたのではなく、 ししコレラがやって死に絶えたという話であった。 それにもかかわらず、私はししは怪我をしたり、打たれたりして絶滅したのたと信じていた。 今でも村には「ししうち」と呼ばれている家がある。 現在は漁師なのたが、昔は猟師であったにちがいない。 ししに死なれて、山から海に縄張りをかえたものであろうか。
神懸山を根城に猿の方は群れをなしている。 禁漁区になっていて、危害を加えられないと知っている猿は、 その昔の海賊のように峰から峰を伝い歩き、傍若無人の振舞いをしているらしい。 それに比べて鹿の数はまた極めて少ない。
もう二十年も前のことになるが、 ある曰、立派な鹿の夫婦が山の中から突き出している岬の灯台へ、のこのことやってきたことがあった。 燈台から電話で「只今、大きな鹿が二匹来ています」と告げた。 この電話は岬の燈台と、村の郵便局との専用であり、主に船舶の通信用に用いられていた。
その時村の郵便局に勤めていた私がその電話を受けたことは、 当り前のことなのだが鹿を初めて見つけたのが灯台守で、 それをはじめて聞いた村人が私なのたということに私は妙な興奮を覚え、 仕事をおっぽり出して村の人たちに知らせたものである。 猿と同じに禁漁になっているので、生捕りも打ちとりも出来はしないのたが、 死に絶えたと言われていた鹿がいたということが喜びであり、ニュースであって、 長い間、人目にかからなかった位だから、 鹿は(祖母時代にはししである)殆ど全滅であったにちがいない。 その中を、この二匹の鹿夫妻がどのように暮らしていたらうと云うことを考えると、 何か落人的なあわれさと、つつましやかさが感じられた。 後略 壺井栄 随想・小説「小豆島」 光風社 昭和38年発行より引用
そのししが本当の猪と一緒に山から出て来ては畑を荒して困るので、
山と里との境に石坦を作った。
それが今も残っている。
その石坦を村の人たちはしし坦と云い、
私たちは万里の長城などと云った。
子供の頃の私はししは猪だけだと思い、
猪が山の奥から里をめかけて向う見ずに、たあっ!と駆け出して来てしし坦に突き当り、
そこで大怪我して死んだのだろうとひとりで決めていた。
そして自分たちの時代になって、ししが村里へ山て家なくなったことを、
大いに安心したものである。
ところが、ししが島にいなくなったのは、しし垣で怪我をしたのではなく、
ししコレラがやって死に絶えたという話であった。
それにもかかわらず、私はししは怪我をしたり、打たれたりして絶滅したのたと信じていた。
今でも村には「ししうち」と呼ばれている家がある。
現在は漁師なのたが、昔は猟師であったにちがいない。
ししに死なれて、山から海に縄張りをかえたものであろうか。
神懸山を根城に猿の方は群れをなしている。
禁漁区になっていて、危害を加えられないと知っている猿は、
その昔の海賊のように峰から峰を伝い歩き、傍若無人の振舞いをしているらしい。
それに比べて鹿の数はまた極めて少ない。
もう二十年も前のことになるが、
ある曰、立派な鹿の夫婦が山の中から突き出している岬の灯台へ、のこのことやってきたことがあった。
燈台から電話で「只今、大きな鹿が二匹来ています」と告げた。
この電話は岬の燈台と、村の郵便局との専用であり、主に船舶の通信用に用いられていた。
その時村の郵便局に勤めていた私がその電話を受けたことは、
当り前のことなのだが鹿を初めて見つけたのが灯台守で、
それをはじめて聞いた村人が私なのたということに私は妙な興奮を覚え、
仕事をおっぽり出して村の人たちに知らせたものである。
猿と同じに禁漁になっているので、生捕りも打ちとりも出来はしないのたが、
死に絶えたと言われていた鹿がいたということが喜びであり、ニュースであって、
長い間、人目にかからなかった位だから、
鹿は(祖母時代にはししである)殆ど全滅であったにちがいない。
その中を、この二匹の鹿夫妻がどのように暮らしていたらうと云うことを考えると、
何か落人的なあわれさと、つつましやかさが感じられた。
後略 壺井栄 随想・小説「小豆島」 光風社 昭和38年発行より引用





































