小雪の降りしきるこの日は、訪れる人も少なく静かです。
竹林の中にあるような錯覚に襲われるたたずまい。
訪れたのは高桐院。
肥後細川家の大名細川忠興の菩提寺です。
忠興は文化人で、利休に最も気に入られていた茶人でもあったようです。
だれもいない縁側で、お茶をいただきました。
寒さをやせ我慢する「風流」気取りも辛い物(-_-。
利休の茶室が移築され、禅寺というよりも茶会の舞台の風情。
今回の目的は、前庭のこの「つくばい」
ソウルの宮殿を訪れたときに、次のように教えられました。
「加藤清盛が持ち帰った宮殿の礎石が、細川家の菩提寺にある」と。
忠興は清盛から送られた礎石をつくばいに加工して愛用。
参勤交代の時にも、お抱え力士に持たせて持ち歩いたそうです。
もうひとつがこの灯籠です。
説明文には、こうありました。
この灯籠は忠興候と奥方ガラシャ夫人の墓標である。
初め千利休が「天下一」と名付けて愛用の所、太閤がその名声を聞き所望した。
そこで利休は灯籠の一角を故意に欠いて、不良品として所望を断った。
利休切腹の際に、弟子の忠興に送られた。
忠興80歳の時に、熊本から運び込み死語の墓標とするように遺言
初め千利休が「天下一」と名付けて愛用の所、太閤がその名声を聞き所望した。
そこで利休は灯籠の一角を故意に欠いて、不良品として所望を断った。
利休切腹の際に、弟子の忠興に送られた。
忠興80歳の時に、熊本から運び込み死語の墓標とするように遺言