| 『随想 膝の上』第13話 大先輩 | |
| 鮠沢 満 作 | |

朝四時になるとカッと目が覚める。 これはこともあろうに、主人である私が飼ってる愛犬マル様に飼い慣らされたからである。 夏の朝、太陽が東の山の稜線をじんわりと染め始めると、 マルはマルケースとよばれるハーフドーム状の寝床から出てきて、 ウリャーとかけ声もろとも準備体操を始める。 いち、にー、さん。 ます前足のストレッチ、続いて後ろ足。 そして背中をピーンと反り上げ、そしてワン。 このワンは、「ご主人様、早く降りて来なさい。 散歩の時間ですよ」と催促するワンである。 はいはい分かりましたよ。 そそくさと着替えをすませ下に降りていく。 ワンワン。 二つ吠えると、これは「遅いぞ。待ちくたびれて痺れがきれたぞ」である。 というわけで、朝四時になると必ず目が覚めるのである。覚めるのはいいが、今は単身赴任の身、そのマル様もそばにいない。 だったら朝寝を決め込めばいいではないか。 通常はそうなる。 でも根っからの百姓根性。 親父もお袋も百姓である。 だからその血を引いているのか、じっとしていられないのである。 そこで体操服に着替え、コップに一杯ウーロン茶をひっかると、四時半頃走りに出かける。 自分から個人情報を漏えいするが、長い間格闘技をやってきた。 自分ではまだ現役だと思っている。 だから身体を鍛えておく。 ランニングに出るのはそのトレーニングの一環である。
朝の四時半にトレーニングですか? そう思うでしょう。 ちょっと変わってますね、そう顔に書いてありますよ。 いいんです、私さえよけりゃ。 人様には迷惑かけてないですからね。 四時半と言えば、漁師、新聞配達、牛乳配達、こそ泥等々を除けば、 まあ普通はみなさん眠りの底にいますよね。 でも朝の空気って気持ちいいんですよ。 知らないでしょう。 自動車の排気ガスやら人間様の垂れ流す工業廃液なんかの悪臭といった、 いわゆる諸々の汚染物質にやられた昼間の空気とは違って、 それはそれは頼もしいくらい凜としてピーンとして、そしてパリッとしているのです。 まるで揚げたてのポテトチップ。 喉が切れるような直角な空気を肺に送り込むと、 肺の細胞が甘い朝の空気に軽く痺れさえする。 自分が朝に染められていく。 そんな感じなんです。
朝の四時だとこれを独り占めできるのだ。 贅沢でしょう。 本当の贅沢というのは、こういうのを言うんでしょうね。 きらびやかな衣装を身に纏うのでもなく、高級な車を乗り回すのでもなく、 高級レストランで高脂肪高コレステロールがいっぱい詰まったおいしいものを食べるのでもない。 そんな人工的な味付けと風味たっぷりの薄っぺらな代物ではなくて、 もっと基本的でささやかなもの。 基本的でささやかだが、酷があって新鮮そのもの。 その一つが朝の四時にある。 それを独り占め。 と思いきや、残念ながらそうは簡単に問屋が卸してくれない。
ご想像のとおりです。 私より早く起きて同じことをやっている人がいるのです。 それも複数。 彼らはいったい何者なんでしょう。 かく言う私も、彼らにそう思われているのかもしれない。 「あの変態野郎、また走っていやがる。夏も冬もウィンドブレーカー着て。 バカの一つ覚えか。 いったい何者なんだ」 その常連さんの中に一人、私が尊敬してやまぬ男がいる。 年の頃は、六〇、六五、それとも七〇? 要するに年齢不詳である。 頭は結構砂漠化が進んでいて、かつてふさふさとして緑の草原だった部分は半ば失われている。 黒縁のメガネがスーパーマンのクラーク・ケントに似ているが、 その奥に座った目は細く鋭く獰猛だ。 鼻は過去にどういう歴史があるのか、途中で約五度くらいの角度で左に振っており、 少し潰れ気味だ。 息がしにくいだろう。 何? 大きなお世話だ、と? ごもっともです。 唇は薄く、やや酷薄的な印象を与える。 タラコの唇が人情味に厚く、少し悪口を言っても許せるのに対し、 この薄い唇はめったに余計な口はきかず、もしそれが口を開くとしたら、 飛び出してくる言葉は辛辣無比で、聞いた者の鼓膜を一生打ち鳴らすに違いない。 走る姿といえば、これがまた少し特徴がある。 身体を右方向に約十五度くらいねじり、左手は通常の腰の位置だが、 右手はどういうわけか力が抜けたみたいに、だらりとさげたままでいるのだ。 そしてパタパタと靴音を立てながら走ってくる。 これは私の想像であるが、この男かつて脳梗塞か何かを患って、 そのリハビリを兼ねて走っているのではなかろうか。
もう一つ私がこの男に興味を覚えたのは、着るものである。 私は夏でもウィンドブレーカーを着て走る。 それを見れば、私もよそ目には少しは変わっているかもしれないが、 それでも季節を問わなければ歴とした運動着には違いない。 なのにこの男、何と普通のシャツとズボンをはいて走っているのだ。 想像していただけますか。 そのままフェリーに乗り込んで、高松の三越でお歳暮を買っていても、 誰も振り向いて好奇の眼差しを向けることもない出で立ちなのである。 ちょっと買い物に出てくると言って、玄関を出た。 ところが何かの衝動に駆られて突然走り出した。 まさにその恰好なのである。
この男に早起きという点でときどき勝つこともあるが、凄い、と私を唸らせるのは、 毎日同じ時間に同じコースを同じ速度で同じ服を着て同じ姿勢で走ること。 それと年齢。 さっきも言ったが年齢不詳だが、間違いなく私より一回り以上は上と思われる。 それなのに私よりはるかに元気なのである。 私の勝手な思い込みかもしれないが、彼は一種の求道者である。 雨の日も風の日もカンカン照りの日も雪の日も走り続ける。 私が二日酔いでときどきちょんぼするのに、男は絶対休むことをしない。 走るという行為を毎日寸分違わず実行する。 三度の食事と同じように、歯磨きするのと同じように、 便器に座って排泄するのと同じように、一年三百六十五日。 これがうならずにおれようか。
単純。繰り返し。 改めて考えてみるに、これほど陳腐で使い古された言葉はない。 まるでコピー機で何万回となく焼いたような言葉。 だがこの裏に真理が隠されていることに、我々の多くは気付かない。 パラドックスだが、単純なことほど難しい。 そして深遠である。 単純は単調。 単調は面白くない。 面白くなかったら飽きる。 それでは繰り返しはどうか。 毎日同じことを繰り返す。 繰り返すと単調になり新鮮味がなくなる。 すると退屈になり、飽きる。 だから単純と繰り返しが結合すると、鬼に金棒でこの上なく至難の業となる。 辛抱のない人間はすぐ途中で放り出してしまい、 こんなこと何食わぬ顔でやってのけるのは求道者 もしくはオタクくらいのものと相場が決まっている。
パタパタパタ。 踵の薄い靴音が闇のしじまを破って聞こえてくる。 今日も来たね。 さすがだ。 すれ違うとき大先輩に対する敬意で、おはようございます、と一声掛ける。 だが、黒縁メガネの男は何の返事も寄こさない。 ただ我が道を行くのみ。 真っ直ぐな一本道を。 その先に何を見ているのか誰も知らない。 それでも身体を右に十五度ねじって、右手をだらりと下げ、 そして普段着でひたすら走り続ける。 男が幻のごとく遠ざかり、闇に消えていく。 哀愁を帯びた後ろ姿に、ちょっぴりくたびれた男らしさが貼り付いている。 ローンランナー。 黒縁メガネの男。 いったい何が彼にそうまでさせるのだ。 その答えは、闇の先にある。 男が独り占めしている闇の先に。
写真は、小豆島の大部・小部で人の住まなくなった家の周辺で見かけた物です。(^_^)/~
覚めるのはいいが、今は単身赴任の身、そのマル様もそばにいない。
だったら朝寝を決め込めばいいではないか。
通常はそうなる。
でも根っからの百姓根性。
親父もお袋も百姓である。
だからその血を引いているのか、じっとしていられないのである。
そこで体操服に着替え、コップに一杯ウーロン茶をひっかると、四時半頃走りに出かける。
自分から個人情報を漏えいするが、長い間格闘技をやってきた。
自分ではまだ現役だと思っている。
だから身体を鍛えておく。
ランニングに出るのはそのトレーニングの一環である。
朝の四時半にトレーニングですか?
そう思うでしょう。
ちょっと変わってますね、そう顔に書いてありますよ。
いいんです、私さえよけりゃ。
人様には迷惑かけてないですからね。
四時半と言えば、漁師、新聞配達、牛乳配達、こそ泥等々を除けば、
まあ普通はみなさん眠りの底にいますよね。
でも朝の空気って気持ちいいんですよ。
知らないでしょう。
自動車の排気ガスやら人間様の垂れ流す工業廃液なんかの悪臭といった、
いわゆる諸々の汚染物質にやられた昼間の空気とは違って、
それはそれは頼もしいくらい凜としてピーンとして、そしてパリッとしているのです。
まるで揚げたてのポテトチップ。
喉が切れるような直角な空気を肺に送り込むと、
肺の細胞が甘い朝の空気に軽く痺れさえする。
自分が朝に染められていく。
そんな感じなんです。
朝の四時だとこれを独り占めできるのだ。
贅沢でしょう。
本当の贅沢というのは、こういうのを言うんでしょうね。
きらびやかな衣装を身に纏うのでもなく、高級な車を乗り回すのでもなく、
高級レストランで高脂肪高コレステロールがいっぱい詰まったおいしいものを食べるのでもない。
そんな人工的な味付けと風味たっぷりの薄っぺらな代物ではなくて、
もっと基本的でささやかなもの。
基本的でささやかだが、酷があって新鮮そのもの。
その一つが朝の四時にある。
それを独り占め。
と思いきや、残念ながらそうは簡単に問屋が卸してくれない。
ご想像のとおりです。
私より早く起きて同じことをやっている人がいるのです。
それも複数。
彼らはいったい何者なんでしょう。
かく言う私も、彼らにそう思われているのかもしれない。
「あの変態野郎、また走っていやがる。夏も冬もウィンドブレーカー着て。
バカの一つ覚えか。
いったい何者なんだ」
その常連さんの中に一人、私が尊敬してやまぬ男がいる。
年の頃は、六〇、六五、それとも七〇?
要するに年齢不詳である。
頭は結構砂漠化が進んでいて、かつてふさふさとして緑の草原だった部分は半ば失われている。
黒縁のメガネがスーパーマンのクラーク・ケントに似ているが、
その奥に座った目は細く鋭く獰猛だ。
鼻は過去にどういう歴史があるのか、途中で約五度くらいの角度で左に振っており、
少し潰れ気味だ。
息がしにくいだろう。
何? 大きなお世話だ、と?
ごもっともです。
唇は薄く、やや酷薄的な印象を与える。
タラコの唇が人情味に厚く、少し悪口を言っても許せるのに対し、
この薄い唇はめったに余計な口はきかず、もしそれが口を開くとしたら、
飛び出してくる言葉は辛辣無比で、聞いた者の鼓膜を一生打ち鳴らすに違いない。
走る姿といえば、これがまた少し特徴がある。
身体を右方向に約十五度くらいねじり、左手は通常の腰の位置だが、
右手はどういうわけか力が抜けたみたいに、だらりとさげたままでいるのだ。
そしてパタパタと靴音を立てながら走ってくる。
これは私の想像であるが、この男かつて脳梗塞か何かを患って、
そのリハビリを兼ねて走っているのではなかろうか。
もう一つ私がこの男に興味を覚えたのは、着るものである。
私は夏でもウィンドブレーカーを着て走る。
それを見れば、私もよそ目には少しは変わっているかもしれないが、
それでも季節を問わなければ歴とした運動着には違いない。
なのにこの男、何と普通のシャツとズボンをはいて走っているのだ。
想像していただけますか。
そのままフェリーに乗り込んで、高松の三越でお歳暮を買っていても、
誰も振り向いて好奇の眼差しを向けることもない出で立ちなのである。
ちょっと買い物に出てくると言って、玄関を出た。
ところが何かの衝動に駆られて突然走り出した。
まさにその恰好なのである。
この男に早起きという点でときどき勝つこともあるが、凄い、と私を唸らせるのは、
毎日同じ時間に同じコースを同じ速度で同じ服を着て同じ姿勢で走ること。
それと年齢。
さっきも言ったが年齢不詳だが、間違いなく私より一回り以上は上と思われる。
それなのに私よりはるかに元気なのである。
私の勝手な思い込みかもしれないが、彼は一種の求道者である。
雨の日も風の日もカンカン照りの日も雪の日も走り続ける。
私が二日酔いでときどきちょんぼするのに、男は絶対休むことをしない。
走るという行為を毎日寸分違わず実行する。
三度の食事と同じように、歯磨きするのと同じように、
便器に座って排泄するのと同じように、一年三百六十五日。
これがうならずにおれようか。
単純。繰り返し。
改めて考えてみるに、これほど陳腐で使い古された言葉はない。
まるでコピー機で何万回となく焼いたような言葉。
だがこの裏に真理が隠されていることに、我々の多くは気付かない。
パラドックスだが、単純なことほど難しい。
そして深遠である。
単純は単調。
単調は面白くない。
面白くなかったら飽きる。
それでは繰り返しはどうか。
毎日同じことを繰り返す。
繰り返すと単調になり新鮮味がなくなる。
すると退屈になり、飽きる。
だから単純と繰り返しが結合すると、鬼に金棒でこの上なく至難の業となる。
辛抱のない人間はすぐ途中で放り出してしまい、
こんなこと何食わぬ顔でやってのけるのは求道者
もしくはオタクくらいのものと相場が決まっている。
パタパタパタ。
踵の薄い靴音が闇のしじまを破って聞こえてくる。
今日も来たね。
さすがだ。
すれ違うとき大先輩に対する敬意で、おはようございます、と一声掛ける。
だが、黒縁メガネの男は何の返事も寄こさない。
ただ我が道を行くのみ。
真っ直ぐな一本道を。
その先に何を見ているのか誰も知らない。
それでも身体を右に十五度ねじって、右手をだらりと下げ、
そして普段着でひたすら走り続ける。
男が幻のごとく遠ざかり、闇に消えていく。
哀愁を帯びた後ろ姿に、ちょっぴりくたびれた男らしさが貼り付いている。
ローンランナー。
黒縁メガネの男。
いったい何が彼にそうまでさせるのだ。
その答えは、闇の先にある。
男が独り占めしている闇の先に。 







「ミカン」
かすかではあるが今度は声になった。
声は嗄れていた。
乾いているのだ。
声が。
「駄目だよ。医者に止められてる。水分を控えるよう言われているだろう」
道夫は会話を切りたかった。
「その紙包みの中に入っている」
父親はミカンにこだわった。
直線的な視線を道夫から外さず、舌で唇を舐めた。
ねばつく唾液が薄く糸を引いた。
父親の意図するところは明らかだった。
道夫は急須に残っていた茶を少しだけ湯飲みに注ぎ、口に含まそうとした。
しかし父親は顔をそむけ、拒否した。
「道夫、ミカン」
父親はなおも食い下がった。
声は何億光年もの彼方から落ちてきたような虚ろさがあった。
目には恨みに似た光があった。
道夫は迷った。
天井に目をやり黒ずんだ斑点を数えてみた。
この病室で、これまで何人がこの黒ずんだ斑点を数えただろう。
退院までの日数、それとも死までの日数?
ますます気持ちが沈んでいった。
そして答えはやっぱり、ノーだった。
道夫は頭を振った。
「この親不孝者が」
非難の言葉が今度は輪郭をはっきり留めた。
「そう、俺は親不孝な倅だよ」
その二日後、父親は死んだ。
ミカン一つをあれほどほしがった父親。
なのにそれをくれてやらなかった倅。
以降、道夫はミカンが食べられなくなった。
酸っぱいミカン。
ふとした折に、その酸っぱさが間歇泉のように吹き出し、
胸にしみ渡ることがある。
人は思い出には生きられない。
誰かがそう言った。
思い出は時間と共に薄れていくものだから、と。
でも逆に、時間の経過に抗うように鮮明になっていくものもある。
それは自分が歳を取ることによって、当時分からなかったことが、
突然霞が晴れたみたいに鮮明に見えてくるからである。
そのとき胸の内にくぐもっていたものが飛散し、
新たなる法悦感を与えてくれたりする。
もしくは虚飾が剥げ落ち、地肌が露呈して愕然とすることもある。
人はみな毎日を賭け事に生きている。
右に転ぶか左に転ぶか分からない。
どんなに賢明な考えの持ち主でも、
ふとしたきっかけから幼児が犯すような過ちに走ることがあるし、
のろまで影の薄い人が、起死回生の逆転ホームランを放つことだってある。
見下ろすと、坂手の家並みが肩を寄せ合ってかたまっていた。
古ぼけた町並み。
じっと息をつめたような空気。
すべてのものが色彩を失い、セピア色に塗り込められていく町。
でもそこに細々と息づくものがある。
陶器の背中がかすかに動いていた。
豆の皮剥きをする老夫婦が、橙色のミカンの間に見え隠れした。
これからは思い出に花を咲かすことが楽しみになり、
新しい冒険を嬉々とした表情で語ることもなくなる。
たとえ心の天秤を振らすことがあっても、
それは手の平にちょこんと載るくらいほんの小さなことに違いない。
私は失礼とは思ったが、一個ミカンを枝からもいだ。
光沢のあるつやつやとしたオレンジ色を確かめると、そっと鼻先に近づけてみた。
苦さを含んだ甘美な香りがあった。
日曜日。
午後のひととき。
秋色の風。
父親の憔悴した顔。
「親父、さあ取れたてのミカンだ。今度こそ食べていいよ」
オレンジ色が目にしみ、ミカンが網膜の上で崩れていった。 
例えば古びた瓦とか戸板をはがしてみる。
すると長年の風雨に耐えてきた黴びた時間の残骸が降り積もっていて、
それらが冬眠から叩き起こされたみたいにのろのろと動き出す。
大きく張り出した大木の枝にすっぽり包み込まれた小さな神社。
その境内から鬼ごっこに興じる子供たちの歓声が、
過去という時間の壁を破って聞こえてくるような気がする。
「もういいかい? まあだだよ」
ぺんぺん草に覆われた廃屋の大黒柱が、
折れた背骨をぐいと青空に突き立てて、
今もって往事の矜恃を見せつけていることもある。
まさに歳月の辛辣さと、それに翻弄される命ある者の儚さを感じてしまう一瞬だ。
坂手港に車を置き、狭い路地を登っていった。
狭い路地といっても住民が普段使っている生活道路で、車も自転車もリヤカーも通る。
わびしいがしっくりそこの空気にとけ込んでしまうある種の安堵感が浮遊している。
アキレス腱に少し痛みを感じながらも、小豆島霊場第一番洞雲山を目指し、
一歩一歩自分を押し上げていった。
少しずつ視界が大きくなっていく。
それに合わせて気持ちも晴れる。
民家が途切れ、段々畑が現れた。
老夫婦が地べたに腰をおろしたまま大豆の皮を剥いていた。
野良仕事に服従してきた背中が丸くて小さい。
陶器の人形のようにも見えるその後ろ姿に、突然、父と母の顔が浮かんだ。
一時の感傷を捨て、さらに上に行く。
もう随分と上まで来ていた。
視界を遮るものはなかった。
家々のくすんだ甍の向こうに別の甍の波が広がっていた。
海だった。
雲間からなだれ落ちる逆行の太陽光線が、鋭い針のように海面に突き刺さっている。
その部分だけがスポットライトを浴びせられたように照り輝いているが、
秋の物寂しい海にやんわりと説得されて周囲の空気と折り合いをつけていた。
太陽が雲に隠れた。
眩しさが引っ込むと、視界に色が戻ってきた。
秋の色が空気だけでなく、木々にも野草にも、
そして土にもこびりついているのが分かった。
目の前に紫色の大きな花がぬっと現れて、その頭を風に揺らしていた。
近寄ってみると、一つの花ではなく、
無数の小さな花弁が寄り集まって一つの房を作っていた。
残念ながら名前は知らない。
私は額の汗を手の甲で拭うと、再び歩き出そうとした。
と、そのとき雲が破れ、その隙間からまたしても太陽の光が落ちてきた。
紫色の花に代わって、今度は無数の黄金色の玉が浮き上がってきた。
それらは洗い立てのようにきらめき、水気を帯びた瑞々しい柔らかささえ放っていた。
目の前に現れたのはミカンだった。
私はこんな光景を子供の頃何度も夢に見たことがあった。
大人になった今もそうである。
オレンジ色のミカンが鈴なりで、その向こうに真っ青な海が広がっている。
その海を割るように真っ白い船が走る。
まさにメルヘンだが、今でも丘の上のミカン畑の向こうに広がる青い海が、
私の想像力をかき立ててやまない。
瀬戸内の風景を語るとき、ミカンと青い海という組み合わせをを欠かすことができない。
まさに私にとっては牧歌的要素の代表格である。
ミカン、か。
思い出すと、小さな溜息が出る。
苦いというか、酸っぱいというか、一つの思い出に行き着く。
今考えたら、自分がなんて親不孝だったのか、と自分を責めずにはおれない。
が、もう遅い。
私の父は他界するまでの約二年間を人工透析の厄介になった。
腎臓疾患だと分かると、医者の勧めで食事療法に乗り出した。
最初はそれで少し進行は抑えられたが、一年くらいすると、
もう食事療法では対処しきれなくなった。そしてやむなく人工透析。
父は人工透析するくらいなら死んだ方がましだと、
頑迷に医者の忠告を聞き入れようとはしなかった。
私と兄がなんとかそれを説得した。
「親父、長生きしたらまだまだいろんなことができる。好きな花や茶も楽しめる」
「そうや。週に三回はしんどいかもしれん。
でも生きとったら、兄貴の言うとおりまだやり残したこともできる。
親父の人生やからとやかく言う筋合いでないかもしれん。
だがわしら子供は親父に悔いのない人生送ってもらいたいんや」
「金もいらん。名誉もいらん。ええ人生やったと言うてくれたらそれでええ」
翌日から透析が始まった。
親父を説得したものの、
透析が終わって病室に帰ってきた親父のぐったりと憔悴しきった姿を見るにつけ、
本当に説得が正しかったのかどうか、二人して顔を見合わせることが何度もあった。 






Tはふる里を捨て奥さんの実家のある静岡へと移っていった。
世間体を憚るような人間ではなかったが、
それでも田舎に住んでいた彼には世間の目が気になったことは間違いない。
それに静岡の方が距離的にも東京に近く、通院にも便利だったことも理由の一つだ。
静岡に移って職探しをし、市内の大きな本屋に就職した。
Tの銀行員としてのこれまでの知識、それに人柄も手伝って、
一年半ばかりで経理・営業を任されることになった。
が、給料は銀行勤めをしていたときとは比べものにならないくらい減った。
医療費もバカにならず、仕事がない日曜日には宅配便のアルバイトをやった。
ある日、新入社員が入ってきた。
以前どこかの会社に勤めていたのを退社し、転職してきたのである。
一見してそれも納得がいった。
口が重い。
その上、身だしなみもどこか普通でない。
普通でないというのは、若い女性であれば当然気に掛けるであろうような化粧、服装、
そういったものには興味がないといった印象だったのである。
短大を出ているということだったが、どうも人付き合いが苦手のようだ。
恐らく前の会社でも口数が少なく社交性に欠けたため、
人間関係の構築がうまくいかず居場所を失ったに違いない。
聞くところによると、親の縁故で本屋に再就職してきたということだった。
名前は桐子。
桐子はTの下で働くようになった。
が、Tが値踏みしたとおり仕事ぶりも思わしくなかった。
言われたことはちゃんとやれるのだが、客相手となるととたんに態度が硬くなる。
口がうまく動かない。
客との受け答えがからっきしダメなのである。
しばらくすると、彼が危惧したような事態になった。
自信を失い、周囲の者ともコミュニケーションが取れなくなり、まさに四面楚歌。
Tはある夕方、仕事がひけるのを見計らって桐子をいっぱい飲み屋に誘った。
ひょっとすると彼の誘いを断るかな、とも思った。
なにせ相手は固い鎧を全身にまとったこちこち女。
それに誘った先が、飲み助が集まる小汚い焼鳥屋である。
彼は騒がしい方が周囲のことを気にせずに、本音で話ができると考えたのである。
桐子はカウンターに俯き加減で黙って座っていた。
ジョッキーのビールにもさらに並べられた焼き鳥にもなかなか手を出そうとしない。
Tは単刀直入に切り出した。
「俺は本音でしか物を言わない。
桐子さんに言っておきたい。
自分に自信が持てないんだろう。
周囲のことを気にして、自分の欠点ばかり見える。
だからそれを直そう直そうと焦って、かえって泥沼に入っていく。
そして結局は自分にまた失望。
でもね、自分のいいところを出せばいいんだ。
他人がどう思おうが関係ない。
自分のいいところだ。分かる?
自分に関して一番自信が持てるもの、それを精一杯出すんだよ。
そしたらもう一人の引っ込み思案だった桐子さんがにっこり微笑む。
例えば、他人を恨まない、羨望しない、貶めない。これだけで十分さ。
実を言うと、これができないやつがこの世の中にはわんさといる。
うわべを繕ってなかなか本音を出さない。
いつも警戒心を解かない。
隙あらば自分のいいように他人を利用する。
そういう連中さ。
でも桐子さん、君は純粋だ。
心がきれいだ。
だから悩むんだ。
逆説的な言い方かもしれないが、そんな君を自慢したらいいんだよ。
もっと誉めてやったらいいんだよ。
さあ、へこんでないで飲んで食べて。ここの焼き鳥、最高だよ」
この言葉に桐子の態度が変わった。
頬が心なしか緩んだのだ。
それからは仕事のことだけでなく、個人的なことも少しずつ話すようになった。
心に余裕が生まれたのか、周囲の人間ともうまく波長を合わせることができるようになった。
彼はひとまず安心した。
しかし、事件が起こったのはそれから一ヶ月くらいしてからである。
梅雨に入って鬱陶しい日々が続いていた。
軽い昼食を済ませて店に戻ると、ほっとする間もなく午後の仕事が始まった。
桐子は新刊本の入れ替えをしていた。
そこに少しインテリ風の男性客がやってきた。
彼はメガネをすこしずらしながら本を探しているようだった。
視線があちこち飛ぶ。
少し神経質だ。
それに苦虫をかみつぶしたような顔。
哲学者のような面相に、Tは彼が店に入ってきたときから嫌なものを感じていた。
桐子がへまをしなければいいが……。
彼の不安は的中した。
その哲学者男は、探している本が見つからなかった。
つかつかと桐子に近づいていくと、何を思ったのか桐子の背中に手を置いた。
桐子は仕事に気を取られていたので、突然背中を触られて不意打ちを食らった状態になった。
キャー。
桐子は思わず悲鳴を上げ、そして
「何するんです、この変態が」
と、その哲学者男に向かって叫んでいた。
桐子の目には恐怖心が宿っていた。
しかし、普段のおどおどした桐子からは想像もつかないくらいはっきりとした口調だった。
当然、悲鳴も罵声も店員だけでなくそこにいた客にも聞こえた。
みんなの視線がその哲学者男に注がれたことは言うまでもない。
哲学者男は自分が痴漢に勘違いされたことにとまどっていたが、すぐに
「俺はただ探している本がどこにあるのか訊きたかっただけだ。
それなのにこいつは大声を出して、それに俺を痴漢扱いしやがった。
この店は従業員にどういう教育をしているんだ」
と、逆に息巻いて形勢を立て直してきた。
Tはすぐさま二人の間に割って入り、
「責任者のTと申します。
とんだ失礼をしました。何分店に出てまだ間がないもので、
これからご迷惑にならないようよく教育をいたしますので、今日のところはご勘弁のほどを」
Tはひたすら平身低頭の姿勢を保ち続け、嵐が収まるのを待った。
哲学者男はTの取りなしに少し不満だったが、桐子にも頭を下げさせたので、一応事は収束した。
後で訊くと、むかしストーカーに狙われたことがあって、
それ以来男性に対して神経過敏になっていると説明された。
それから桐子の状態が悪くなった。
またしても自分の弱点が表面化した状態になり、Tがいくら助言を与えても軌道修正はできなかった。桐子は責任感が強く、自分の失態が許せなかったのだ。
結局、本屋を辞めることになった。
Tは桐子のために送別会を開くことにした。
同僚が数人集まる小さな送別会だったが、その当日の朝、出勤しようとすると、
玄関で奥さんが、
「あなたこれ」
と言って封筒をTに差し出した。
「何だ」
「今晩、送別会でしょう。桐子さんだったかしら。彼女を精一杯励ましてあげて」
Tは頭をゴツンと殴られたような衝撃を受けた。
感激の衝撃だった。
家計は決して楽ではなかった。
子供の治療費に精一杯の生活で、飲み会に回す金銭的余裕があるわけではない。
それなのに黙って夫のために封筒を差し出す妻。
Tの頭をよぎったのは、かつて勤めていた銀行だった。
上司の感情に乏しい顔が浮かんだ。
俺は上司には恵まれなかったが、それよりもっと大事なものが見つかったぜ。
禍転じて福と成す。
まさにこれだな。
その夜、Tは桐子のために最大の慰労をしてやった。
送別会の別れ際、桐子が言った。
「素敵な男性に巡り会えたこと、感謝しています。一生忘れません。
初恋ってこんなのを言うんでしょうね。
もう終わったけど」
「前に向いて歩いてくれ。胸を張って。自分のいいとこを信じてな」
Tの目頭は酒の酔いでもないのに、熱くなっていた。
Tは今でも日曜日には運送会社でアルバイトをしている。 
日本人は儒教の影響がまだあるのか、愛情表現が下手であると言われる。
かといって、欧米人のようにのべつくまなくI love you.では身がもたない。
聞くところによると、欧米人は常に愛情表現をしてないと、
相手に自分の気持ちが伝わっていないのではないかと不安になるらしい。
果たして本当なんだろうか。
外国人の友達がいるが、そういう質問をしたことがないので分からないが、
どうも彼らの所作を見ているとある程度当たっているようにも思う。
私は日本人だからやっぱり「以心伝心」のほうがいい。
奥ゆかしさもあるし、第一他者への理解と愛情がなければこうはならないから、
これこそ取りも直さず真の愛情であり他者への思いやりの表れである。
とは言うものの、こうなるには技術がいる。
それに忍耐。
喩えて言えば、芳醇なワインと同じである。
阿吽の呼吸とやらが分かるまで、お互いを寝かせておかなければならない。
そして色で分かる。
匂いで分かる。
最後には気配を感じるだけで分かるとなる。
相手のことを十分知って初めて以心伝心。
今の若い人は、ろくすっぽ相手のことが分からないまま間違って「以心妊娠」。
自分の子供には言ったことないが、やっぱり人間やっている限り、いつかは別れが来る。
「人間は別れるために生まれてくるのだ」と、あるエッセイで読んだことがあるが、
これは極端な言い方かもしれないが、無常の世界に生きている限りそれも一つ事実である。
だから最後の言葉をどのように言い表すべきか、この頃よく考える。
若い頃にはこんなこと真剣に考えたことはなかった。
それに娘もそんな話をするには小さ過ぎた。
でも、私も五十路の半ばになり娘も社会人になって、ある程度理知的な話ができるようになると、
やっぱりいつかは迎えなければならない今生の別れというものについて考え、
どんな形でそれを言えばいいのだろうか、とふと気になり始めた。
まさか飛行場での別れのように、ちょっと悪ガキを装って強がりをみせてもシャレにならない。
さりとて、死の間際に「死にたくねえよ」なんて、
おんおん泣きつくような恥ずかしい真似だけはしたくない。
やっぱり最後は、家族に対して「ありがとう」と本気を込めてさりげなく言うのが一番かもしれない。
こんなことを書くとどこか思い当たることがないだろうか。
多分、種明かしをすると、おおかたの日本人ならなるほどねと頷くことでしょう。
映画『男はつらいよ』である。
渥美清。
うん三枚目でいて、人情味においては超一流の二枚目。
いつも他人のために自己を犠牲にする主人公。
やっぱり日本人の粋な男の原点が『ふうてんの寅さん』にはある。
涙をぐっとこらえて顔で笑う。
できないよな、こんなこと。
ほとほと感心してしまう。
というのも、最近そんな人情味に溢れた人間が少なくなったからだ。
それにそんなことが粋だなんて誰も思ってやしない。
むしろ馬鹿だくらいにしか考えていない。
まずはてめえのこと。
他人なんて二の次。
そういう生き方だ。
寅さんの場合は、愚直まで真っ直ぐ。
唐辛子をまぶしたようにぴりっと真っ直ぐな生き方をしている。
でもちょっぴり素直さを隠すためにへそ曲がり。
盆と正月は私にとっては浮き浮きした時期ではあるが、
反面、それが終わるときのことを考えると、やはりどこか淋しくなる。
胸の奥に小さな痛みが生まれ、段々とその波紋を広げていく。
娘が東京に帰る最後の晩には、さて明日飛行場で何と言おうかなどと、
死にかかった脳細胞をこねくり回しているのである。
まだ二足歩行ができるときにこの始末だから、
ましてや本当の最期のときとなるとどうなるんだろうか。
それに、もしかするとその場に家族が必ずしもいるとは限らない。
そうなると別れの言葉さえ言えずに終わってしまう。
やっぱり欧米式に、毎日I love you.とやるほうがいいのだろうか。
まさかのときのための保険として。
この保険はお金がかからない。
でも、結構難しい保険だ。
なぜなら、「素直さ」がない人間は加入しても無意味だから。
愛情の掛け捨て。
今の世の中、まあこれもいたしかたないか。 





ついこの間帰島した私は、両親の墓参の時そこを通ると、
トランクを持った旅の学生が柵にもたれて物思かしげな恰好で沖を眺めていた。
妹の云うことに「姉さん、春月の墓に似合うとるのう」とにやにやする。
墓ではなく詩碑なのだろうけれど、私たちは墓なみに、持っていた椿や金盞花を供えた。
絶筆「海図」の詩が原稿のまま銅板で自然石の詩碑にはめこまれ、
後ろに廻ると石川三四郎氏の筆で故人の来歴が刻まれてあった。
小豆島は石の産地でもあり、北浦村あたりには大阪築城の残石が残っている位だから、
この詩碑も島の自然石なのだろうが、
周囲の地盤がコンクリートで固められてあるのは、心ないわざのように思える。
地盤をめぐらした鉄の鎖の外側は雑草が乱れていて、紫の露草の花が咲いていた。
夏が来れば虫も泣くであろうに、コンクリートは雑草もよせつけない固さで
しろじろとしているのは、春月氏のためにも辛い感じである。
村中を見良せるこの丘は山を背負い、静かな海を目の下に眺められる特等席である。
空白の陸地に立って今春月の霊は、どんな気持で海を眺めているであろうか。

私はいつの頃からか、自称『自然愛好家倶楽部』と『麺類捜査探偵団』の会長に収まっている。
と言っても会員は私一人だけ。
勝手に設立して、勝手に命名し、そして勝手に活動している。
準会員らしき者が二人いるが、それは仕方なく私に付き合わされる妻と長女である。
数年前までは、ねじが吹っ飛んだ機械仕掛けのおもちゃのように、
無軌道にうどんを追って香川県中を東奔西走していた。
まさに「うどん行脚」である。
うどんだけではない。
麺類なら何でもこいであった。
ラーメン然り、パスタ然り。
現在は小豆島に住んでいるので、当然、素麺となる。
とにかく、誰かが「あそこのうどんはうまい」と世間話をしているのを小耳に挟んだだけで、
その次の土曜日か日曜日にはそこへ出かけているという有様だった。
しかし、そうやって噂に上るうどん屋とか、最近のうどんブームに乗って
雑誌に取り上げられる多くのうどん屋というのは、確かに噂にたがわずおいしいことは認める。
だが、と言いたい。
そのほとんどはマスコミに名前が出たということで、少なからず商業路線を意識してか、
うどん屋という昔懐かしいほっとする情緒というものがない。
そもそもうどんというのは、いつでも、どこでも、それも気軽に食べられるというのが、
ここ讃岐にあっては絶対必要な条件なのである。
それとどこか素人っぽい雰囲気、
もしくは現在我々が忘れかけている田舎っぽい感触が味わえる場所なのである。
ところが、バスをチャーターして観光客が大挙して押し寄せたり、
店のテーブルに予約と札が立っていたりするのを見ると、もうこれはうどん屋ではない。
さしずめうどんレストランとでも言えようか。
私の実家のそばに、脳梗塞を患いリハビリを兼ねてうどんを打っているおやじさんがいる。
元々は、奥さんがどうしてもうどん屋をやりたいということで始めたのが事の発端だった。
奥さんの思いが叶って、ようやく小さいがこぎれいなうどん屋を開店したものの、
運命のいたずらか、奥さんは癌を患い開店して一年半くらいで他界してしまった。
さぞかし悔しい思いをしたことだろう、奥さんも、また遺されたおやじさんにしても。
不幸はさらに続いた。
奥さんが他界したことも原因していたのか、今度はおやじさん自身が脳梗塞で倒れた。
命は取り留めたものの、手足に麻痺を残した。
退院して、おやじさんはリハビリのつもりでうどんを打ち始めた。
そして四肢の動きにも少しずつ改善が見られ、天国の妻への感謝の気持ちで一大決心をした。
一年ほど閉めていたうどん屋に、ある日暖簾が掛かった。
「またうどん屋を始めたから、気が向いたら寄ってよ」
それは商売気のない一声だった。
いや、むしろ自分の打ったうどんが果たして客の口に合うかどうかまだ思案している、
そんな口調であった。
つまり、今思い返してみると、一度食して商売になるかどうか味見してくれ。
そう言いたかったに違いない。
そのうどん屋、営業時間は午前十一時から午後の二時まで。
おやじさんの体力からして、それ以上営業するほどまだうどんが打てないのだ。
本当はもっとうどんを打ってできるだけ多くの人に喜んでもらいたいはずなのだ。
実は、亡くなった奥さんが何故うどん屋をしたかったか。
それはまさに商売抜きでできるだけ多くの人に喜んでもらいたい、ただそれだけだったのだ。
清廉で無欲。
老後の暮らしに困らない老夫婦の楽しみごととしては、
美しすぎる余生の送り方になるはずだった。
「このつゆ、鰹がよくきいてておいしい。むかし懐かしい味ね」
妻の言葉を借りればそうなる。
まさにそのとおりだった。
以後、土曜日か日曜日のどちらかは、おやじさんのうどんを食べに行くようにしている。
注文は、かけうどん。
それも打ち立てを暖めずにそのままつゆをかけるやつ。
讃岐でうどんの通は生醤油うどん。
でもだしを味わいたい私はかけうどんとなる。
今は亡き植草甚一は、日曜日の午後は読書と散歩と言ったが、
私の場合は、土曜と日曜の昼はかけうどん。そして午後は自然散策。
とにかくうどんを食べているときが、私の至福のひとときである。
つるっと喉の奥をなめらかに滑り落ちるうどん一本一本に、亡くなった奥さんの想いある。
鰹だしのきいたつゆに奥さんの優しさがある。
そしてどんぶりの中に奥さんの笑顔がある。
これでかけうどん一杯百円なり。
う~ん、これは安い贅沢だ。 







彼岸花は、その名のとおり彼岸に咲く花。
彼岸。
こっちではなくあっちの世界。
また、仏教で煩悩を脱して悟りの境地に達することも彼岸と呼ぶ。
それに対する言葉は此岸。
小さい頃、彼岸花に対して一種の恐れのようなものを抱いていた。
それは彼岸というのがあの世を意味する言葉だと母親に教えられたことが原因だったのか、
それとも曼珠沙華という奇妙な呼び名が、
やはり仏教に関わりのある言葉であったことに起因していたのだろうか。
とにかく彼岸花というのは通常の花と違って、
茎には葉っぱがなくて、花といえば毒々しいまでの真っ赤な長いしべ。
どことなく奇異で、あの世から運んでこられた特殊な花といってもおかしくなかった。
だから子供心に空恐ろしい花と想像したのに違いない。
彼岸花にはいろんな呼び名がある。
カミソリバナ、シビトバナ、トウロウバナ。
マンジュシャゲ(曼珠沙華)もその一つ。
中でもシビトバナの印象は子どもには大きかった。
子供たちの間では、ソウレン(=葬式)バナと呼ばれていた。
しかし今はそうではない。
四季の移ろいの中で、彼岸花は大きな役割を演じている。
暑さ寒さも彼岸まで。
そう、彼岸花が咲いて夏が終わり、彼岸花が咲いて冬が終わる。
一種の季節の分水嶺みたいなものになっている。
小さい頃に空恐ろしく思った花をよく観察してみると、長いしべは巨大な睫毛のような格好をしていて、マネキンの大きな瞼からこっそり盗んできたみたいだ。
真っ直ぐ垂直に伸び上がった茎は、曲がったことが大嫌いで、邪心がまったくない。
雨後の竹の子と同じで、空を仰ぎ見る一途さに真摯な志さえ感じる。
汚穢がないのである。
そう考えると、彼岸花というのはとても清い花である。
だから彼岸に咲く選ばれた花なのかもしれない。
彼岸と此岸を年二回行き来する花。
今年は温暖化の影響で開花が二、三週間遅れた。
地球は自転し、季節は巡っているはずなのに、目に映る、または肌に感じる季節は、
昔のようにはっきりとした句読点を打ってないような気がしてならない。
犬の散歩の途中、彼岸花が大挙して咲いていた。
その花の上に広がる空に、春でもないのに雲雀がせわしなく声帯を震わせ啼いていた。
これは果たして正しいことなのか。
まさか雲雀も彼岸花と同じように、年に二度巣作りをするんじゃなかろうね。
私たちの周囲では、私が彼岸花に対して抱いたのとは別種の空恐ろしいことが起ころうとしているのではあるまいか。
もしそうなら、私たちは此岸にいて彼岸にいることになる。

百姓である私の母は、当然のことながら香水を身にまとうことをしなかった。
母は香水よりむしろ土の匂いがした。
太陽をいっぱい吸い込んだ、少し煙ったような土の匂い。
パリでのカルチャーショックの先鋒は香水だった。
今はもう慣れっこになってそういこともない。
何度も海外に出ていると、鼻だけでなく体中の器官が自然とその土地の色、
匂い、形に慣らされていく。
それに香水は欧米の文化的側面の一つであると、頭の中でも十分に理解し受け容れているからである。
香水については他にまだある。
海外経験をするまでは、欧米人は概して体臭がきつい、
だから体臭を消すために香水とかオーデコロンをふりかけるのだ、
というまことしやかな定説を私自身が信じていた節がある。
それは日本人が欧米人のことを深く理解していないがために起こる妄想の類に等しい。
しかし、今はそういう偏見もない。
欧米人の体臭がきついというが、欧米人にしてみれば、彼らとはまったく異なる生活、
それもときとして彼らの目には不衛生に映るかもしれない生活を送っている東洋人の体臭こそきつい。そう思っているかもしれない。
お互い様である。
これは私たちが無知であったり、
他国及びそこに住む人々に無関心で浅学であったりすることから来る偏見である。
この種の偏見は少し努力すれば改善される。
香水を使うのは、耳にピアスをしたり、爪にマニキュアをするのと同じで、
一種の身だしなみの一つである。
そう考えれば、ことさら奇異でも何でもない。
しかし、つい先日経験したことは、頭でいくら理解してもそれでカバーできるものではなかった。
何十年か振りに香水の匂いで吐きそうになったのである。
家に帰る列車の中、仕事で完全に疲労困憊していた私は、座席に沈み込むように座っていた。
するとどこからともなくそれは匂ってきた。
最初は鼻先をかすめる程度だった。
が、匂いは次第にきつくなっていった。
出発時間数分前というときには、もうその車輌に充満していたのだ。
それに仕事を終え帰宅する乗客で随分と混んでいた。
人いきれと香水の匂いがコラボレーションして、とうとう私の中枢神経を刺激してしまった。
昔の弱点が蘇ったのである。
頭はずんやり重く、胃の周辺が軽く蠕動し始めていた。
今回はノートルダム寺院もセーヌ川も見えない。
嗅覚がやられても視覚で慰めるものがあれば救いなのだが……。
私は吐き気を我慢しながら人並みの隙間から匂いの震源地を探した。
当然、女性をターゲットにした。
しかし、分からなかった。
携帯電話でメールを打つ人、雑誌に目を通す人、疲れで居眠りする人と様々だったが、
どうもその服装からして香水の主とは思えなかった。
そのとき他の乗客はどうだったか。
観察してみると、みな迷惑しているだろうが、平然としている。
私のように気分を悪くしている人間など一人もいなかった。
う~ん、私の神経が過敏なのだろうか。
香水のことを頭からはじき出すために、意識を窓外に転じた。
漆黒に近い闇が茫々と広がっている。
汽車は田園地帯を走っていた。
家の灯りがちらちらたき火のように、ぼーっと浮かび上がる。
その先には里山の稜線が、うっすらと空と境界線を分かち合っている。
列車は高松を出て約二十分後、無人駅に停車した。
人並みがごっそり剥がれたように車外に吐き出された。
私の前に立っていた大半の乗客もそこで降りた。
そのとき、すーっと一筋のきつい香水の匂いが鼻孔を刺して動いた。
私はその後を視線で追った。
なんと震源地は男だった。
それも若い、ちゃらちゃらとした男。(おっと失礼。ちゃらちゃらかどうか中身までは分からない)
破れたジーンズにぶかぶかのTシャツ。
股下短いジーンズから、絵柄の派手なパンツが、今晩は、と舌を出していた。
「ああ~」
吐息が私の隣のご婦人から漏れた。
彼女は大きく深呼吸をしていた。
なるほど、男は彼女の右隣に座っていたのだ。
私は彼女の吐息に苦笑し、そして何よりも安堵した。
いや、本当に安心したのだ。
私と同じことを考えている人間がいたこと、それがどれほど私の心を軽くしたことか。
パリのセーヌにノートルダム大聖堂。
ルーブルにオルセー美術館。パリには香水が似合う。
私も結構大人になったものだ。 







九月十一日。これが私の誕生日である。
あの同時多発テロが起きた日と同じ日である。
私が実際にオギャーと産声を上げた九月十一日には、どんなことがあったのだろうか。
日本を含め世界ではいろんなことが起こっていたはずだ。
記録に残るもの残らないものすべて含めて。
両親にとっては、私が生まれたことがその日の最大のニュースだったのか。
それともまた食い扶持が一人増えたくらいにしか思わなかったのだろうか。
これまでの両親の私に対する愛情のかけかたからすると、前者だったらしい。
まあ、ホッとする。
というのも、この世に生まれてきても貧困の犠牲になって、
せっかく刻み始めた命の鼓動をすぐさま奪われてしまう新生児がいかに多いことか。
それを考えると、誕生日を祝うというのは、あながち無意味でないのかもしれない。
生命賛歌の観点から言えば。
今は仕事の関係で一人暮らしをしている。
周囲には猫の子一匹いない。
あえて家族らしきものを挙げるとしたら、
携帯電話を入れておくぬいぐるみ犬モーと、
毎日我が子のように育てている観葉植物十鉢くらいか。
その日も昨日という日をコピー機で焼いたような一日だった。
無味乾燥な書類の山の処理に追われ、
また、同僚の愚痴やら文句やらの処理にと、非建設的な時間を費やした。
しがない宮仕えの身だから文句は言えないが、最近とみにくだらない仕事が多すぎると思う。
やった、という成就感がない仕事にねじふせられて、
晩ご飯も食べずにそのまま布団にもぐり込んでしまいたいと思う日が続いていた。
鉛のつまったような重い身体をなだめすけせて玄関まで辿り着いた。
キーを回してアパートに入ると、ムッとした空気が身体を包み込んだ。
締め切った部屋には残暑がねっとり付着している。
それどころか、まるで随分前からアパートの主みたいな大きな顔をして居座っていた。
疲れのせいだと思うが、自然と腹が立った。
窓を開けても冷気はおろか、一吹きの風さえ入ってこない。
背広を放り出し、身体にへばりついた下着を剥がすように脱ぎ捨てると、浴室に飛び込んだ。
しばらく冷たい水に身体を閉じこめておくと、少し気持ちがしゃんとしてきた。
バスタオルを腰に巻いたまま冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出し、グラスに注いだ。
それを一息で飲み干したとき、携帯電話が鳴った。
メールの着信音だ。モーが口元にこぼれ落ちそうな笑みを浮かべている。
久し振りの着信音を、久しく来なかった友を迎えるような気持ちで楽しんでいるようだった。
メールの送信者は分かっていた。私のメールアドレスを知っているのは三人しかいない。
妻と娘二人。
携帯電話を取り、メールを開いた。
「お誕生日おめでとう。いつも仕事お疲れ様。これからも身体に気を付けて頑張ってね」
その日はやけに疲れていたのと、
少々気分が滅入るようなことが一週間の内にいくつか続いたこともあり、
素直な気持ちで画面に「有り難う」と言った。
と、そのとき、ふと一抹の寂しさが胸を突き上げてきた。
同時に私の脳裏をかすめたものがある。
それは娘がまだ三、四歳くらいの頃の面影だった。
アルバムのページをひらひらめくるように、
そのときどきの情景が浮かび上がっては移り変わっていった。
今は二人とも成人し小さいときの面影は微塵もないが、
彼女たちがいくら歳を取っても、私の記憶のアルバムに刻み込まれた娘の姿というのは、
どういうわけか三歳くらいから小学校に上がる前までのもが圧倒的に多い。
以後、まるで私の時間が止まったかのように、彼女たちの姿は成長していない。
それは何故?
おそらくは娘と私が肌の温もりを躊躇なく体感できた時期だったからではなかろうか。
人間も動物、無意識のうちに我が子の温もりを肌で
しっかり確かめておきたい時期があるに違いない。
家族としての集団性をより強く感じられるのもこの時期をおいて他にない。
だから一番懐かしく感じられるのだろう。
私は子供が親の身近にいると感じられるのは、小学校六年生くらいまでかな、と思う。
中学校に通い出すと、子供たちはクラブ活動に友達との付き合いにと、
土・日曜日はほとんど家にいなくなる。
一家団欒という言葉は、この頃から次第に遠くなっていく。
私自身を振り返ってもそうだった。
仕事と地域の活動と、ほとんど家を空けていた。
だから娘たちとはいわゆるすれ違いで、ろくすっぽ顔を合わせる機会もなかった。
高校になると、それがより顕著になる。
子供たちは自分たちの小社会に属し、大人との交わりを疎遠にしたがる。
私の場合は、これは私の当初からの考えだったのだが、
娘が高校を卒業すると東京の大学に進学させた。
いつまでも親のそばにおいて甘えさせたくなかったからである。
彼女たちが東京に出発するとき、飛行場でそれぞれに見送った。
そのとき、ああ、もうこの子と一緒に暮らすこともなくなってしまうんだな、と思った。
「同じ屋根の下にいるということ」は、取りも直さず家族を構成する根幹ともいうべき要素だ。
それが失われた。
少なくとも私はそう思った。
東京にやらせるというのは私が仕組んだことであったはずなのに、
一抹の寂しさを覚えたのは、自然界の動物たちが子供を独り立ちさせるために断腸の思いで追っ払う、あの感覚をまさに自分自身が味わっていたからではないのか。
親子が肌を温めながら暮らせるのは、本当に短い期間なのである。
胸の中に湧いた何とも言えない感情の渦は少しの間消えなかった。
「お誕生日おめでとう」、か。
これまで祝ってもらわなかった誕生日が、大挙して一度に押し寄せてきたみたいだった。
感激が雪崩現象を起こしていた。
誕生日を気に掛けてくれる人間がいるということ。
それだけで十分過ぎるほど幸せなことなんだ。
「メール有り難う。頑張るよ。君たちも頑張るように」そう返信した。
携帯の画面を閉じたとき、もう少しで忘れるところだったものを思い出した。
私は鞄の中から一枚のCDを取り出した。
仕事が引けて部屋を出ようとしたとき、
ある同僚が
「今日、誕生日でしょう。これつまらないものですが、私からのプレゼントです」と
手渡してくれたものだった。
改めて見ると、「ショパン、ピアノ協奏曲第2番」と書いてある。
じ~んときた。
電気を消して真っ暗な中で音を一つ一つ追っていった。
身体の細胞一つ一つにピアノの音がしみ込んできた。
私はショパンが大好きだった。
その甘美な色調の海に浮かび、流木のようにぷかぷかと漂っていた。
疲れもいつしか消えていた。
三十分ばかりの演奏が終わった。
目が潤んでいた。
演奏も素晴らしかった。
この曲を私の誕生日に選んでくれた同僚の温かい気持も嬉しかった。
が、それ以上に私の気持ちを動かせたものは、
やはりさっき感じた「誰かが自分のことを気に掛けてくれている」という簡単な事実だった。
普段何気なくやり過ごしているが、実はこれほど身体の芯から温まるものはないのかもしれない。
些細でつまらなく思えるもの、モノトーンもしくは無色透明なために気にも留められないものが、
意外や桁違いな幸せを運んでくるものだったりする。
一本のメールを受け取ったとき、私の心を動かせたものは、まさにそれだったに違いない。
こんな誕生日なら、毎年祝ってもらってもいいかな。
いかんいかん。
歳を取るとすぐ調子に乗り、ずうずうしくなるのが中年おやじの悪いところだ。
いや~冥王星に届くくらいの反省じゃ。
同時多発テロが起きた日と同じ九月十一日、私は五十四歳を迎えた。
久しぶりに心満ちた誕生日になった。





しかし、つい先般、あることで再訪の機会に恵まれた。
が、状況は一変していた。
それも壊滅的に。
いつ切られたのか氷河の尻尾はなかった。
蜥蜴の尻尾なら、切れてもまた生えてくるだろう。
しかし氷河はそうはいかない。
肝心の胴体の方も当時より遙かに後退し、栄養失調みたいに痩せていた。
まるで末期のガン患者そのものだった。
数日後、モンテローザを訪ねた。
ここも同じく、目を覆いたくなる状況だった。
眼下には雄大な氷河が夏の太陽に光の帯をきらきらさせていると思いきや、
どす黒く変色し、かつての半分くらいまでに細くなっていた。
これはほんの一例。
北極では氷が溶け始め、北極熊、アザラシ、その他諸々の生物が絶滅の危機に瀕しようとしている。
「人間は何もないことを前提に造られている」とは空海の言葉である。
これは無から無へという俗に言う「無常の世界」を示唆する部分もあるのだろうが、
もう一つ、何もないところから物を造り生きるという、
人間が無から有を生む「生の有意義性」をも示唆しているように思う。
我々が生まれ落ちた自然という器は無の器。
あくまで人間はその無の中の一要素。
その無の器の中で有を創造し、生きる。
間違っても我々を包含する自然を征服しようなどと考えるものではない。
それは金の卵を産むガチョウを内側から傷つけるに等しい。
氷河の尻尾はもう帰らない。
帯も太くはならない。
失ったら取り戻せばいい。
その発想は、出発点がそもそも狂ったルールに支配された現代社会では通用しない。
文字どおり無は無に過ぎない。
祐介はどこからともなく吹いてきた風を背中に感じた。
風の中に芯があり、眠っている意識を呼び覚ます冷ややかさがあった。
彼は自分に何かが起ころうとしていることを意識した。
息を殺し、目を閉じた。周囲の景色が意識の外へと遠ざかっていく。
昨日別れ際に言った祐子の愛の告白とも取れる言葉が、
夏の太陽に舐められたようにぐんにゃりと曲がって、新鮮な意図も失われていった。
それだけではない。
明け方見た夢の断片、それは祐子と愛を確かめ合った瞬間だったが、
それさえも漂白されたうえに、粉末になって飛び散ってしまった。
祐介を包む宇宙は拡大していた。
今まで意味を持っていた一つひとつのものが、
宇宙の拡大に反比例するようにそれほど大事とは思えなくなってきた。
祐介の意識も遠心力に任せ遠のいて薄くなり、
自分が祐介という一個の人間であることさえ忘れかけようとしていた。
意識の最後の糸にぶら下がったとき、自分を遠くから見つめているもう一人の自分を感じた。
草むらに横たわるもう一人の自分は、透明に近い白で、汚れはなかった。
それを見て祐介はハッとした。
祐介は背骨の一つに氷を押しつけられたような刺激を受け、
胸に一筋の風が舞うのをはっきりと感じた。
その瞬間、俯瞰している祐介と大地に横たわる祐介が合体した。
そして透明になって体全体が羽毛のようにふんわり宙に浮いた。
祐介が凭れかかっていた木が、突然サワサワと葉を揺らし始めたかと思うと、
葉のさざ波が大きなうねりになって雑木林全体に広がった。
雑木林全体が祐介の意識の流れに従ってなびいていたのだ。
健全な魂は救われた。
自然というのは、我々の住空間である。
だからいろいろな機能を演じている。
その一つに、癒しと救済がある。
心を癒し、魂を救済する。
自然の色に染められる。
これってとても爽快である。
自分の中に風を感じて、周囲の色彩に染まる。
もう一人の自分を発見することにもなるし、またやるぞっ、と元気ももらえる。
自然の衣に包まれる意味をもう一度考えたい。
もしかすると、もう遅いかもしれない。
もしそうだとしたら……慚愧。 



私は迫り来る影から一粒の種を守ろうとしていた。
デジタル時計がコツコツコツと切り目を入れるようにはっきりと時を刻んでいく。
反対に記憶は過去へとコマ送りされる。
由美の顔が突然大写しになった。
いつものように完璧な歯を見せて笑っている。
背後は海。
青空を引きはがしてそのまま貼り付けたように真っ青だ。
瞳の奥まで青に染まってしまいそうだ。
由美はサンダルを脱ぐと、真っ白な砂浜に素足で立った。
そして軽やかにワルツを踊って見せた。
白いワンピースの襞がゆらゆら揺れ、強い日差しに眩しく輝いた。
波乗りしてきた風が、からかい半分に髪を掬い上げると、流線型の風の形が描かれた。
すーっと柑橘系のシャンプーの匂いがした。
寸分の狂いもない。
しかしそれが甘い考えだとしらされた。
突然、由美が「怖い」と叫んで、顔を覆うようにしてその場にしゃがみ込んだ。
気を引こうとするときに由美がよく使ういつもの冗談だろう。
私はくすくす笑っていた。
しかし何かがおかしい。由美の顔が恐怖に引きつっている。
何か不吉なものを覚え由美に走り寄ろうとしたが、何者かが強い力で押し返してくる。
由美の躯が砂に沈み始めた。白いワンピースの裾が、砂浜に襞の数を増やしていく。
もう胴体の半分まで埋まってしまった。
這いつくばって手を伸ばし、やっとのことで由美の手を取った。
そしてぐいと引っ張った。
だが由美の手がボコっと鈍い音を立てて抜けた。
「お願い、助けて」
由美の阿鼻叫喚の悲鳴が波の背に降り注ぐ。
もう一方の手を差し出す由美。
それをつかもうとする私。
もう由美の顔の半分が砂に消えかかろうとしていた。
さっきあれほど美しかった髪が、邪悪な蛇の胴体のようにとぐろを巻いていた。
ゆっくり由美は砂に呑まれて消えた。
「由美」
私は狂ったように砂を掘り返した。
爪が剥がれ、血が滲む。
それでも掘り続けた。
辛うじて指の先に一本の髪が引っ掛かった。
慎重にそれをたぐる。
やがてもつれた髪の束が出てきた。
それを鷲づかみにし、力任せに引っ張り上げた。
ズルッと何かぬめった音が足下で聞こえた。
尻餅をついて後方に倒れた私がつかんでいたものは、肉のそげた由美の骸骨だった。
茫然とするしかなかった。
白い砂浜が何か凶暴な牙を忍ばせているように思えた。
砂浜だけではない。
押し寄せる波も邪悪なものを含んでいたし、吹き付ける風にもナイフの凶暴性が臭っていた。
私は由美を守れなかった。
カチャッ。
デジタル時計がまた一つ、現在を過去に葬送するための刻み目を入れた。
それは姿を変え、私の背に十字架を残した。
背中がたわみ、きしむほど重い十字架。
私は膝の上にあるごく普通の「ささやかな幸福」さえ見えなかったのだ。
空気のように透明で、実際には存在するのに目に見えないもの。
もしかすると、そういったものに本当に大切なものが隠されているのかもしれない。
なぜって?
大切なものはそう簡単には見えないから。
あなただってそうでしょう。
大切なものは、紙に包んだり箱に入れたりするでしょう。
それに鍵だってかける。
膝の上の「幸せ君」も同じ。
目の前にいるのに見えない。
ときには足を止め、その場にしゃがみ込んで、
それからじっくりと膝小僧を眺めて見るのもいい。
きっと天使のように微笑んでいる「幸せ君」が見えてくるはず。
一言「有り難う」と言ってみても罰は当たらない。
