不動明王 61点普賢菩薩 1点、地蔵大権現 1点、日天尊 1点般若経転読 1点、大乃御柱・地乃御柱1点大物主命・崇徳帝 1点大々神楽 1点
海上安全 50点船中安全 9点渡海安全 1点家内安全 3点願望成就 1点諸願成就 2点所願成就 2点当病平癒 3点疱鷹如意 1点金毘羅新造1点
①明治7年から明治末年(1874~1912年)までのものが42件、大正期のものが17件、昭和3年のものが一件。6割以上の祈祷札については祈願年が記載なし。②祈願内容については、豊漁に関する「漁猟潤澤」「漁業繁榮」「漁業守護」等が117点で全体の6割③「意願固満」「如意回満」「所願園満」等の諸願成就系統が17点④「家内安全」「家運長久」等が17点⑤「海上安全」「船中安全」等が5点、⑥「武運長久」等が4点
それでは安田家や織田池の護摩札は、金毘羅大権現のどこで供養されていたのでしょうか?

上の元禄期の金毘羅伽藍図を見ると、本社や観音堂(本堂)附近に護摩堂は見えません。よく見ると金光院の境内の中に護摩堂はあります。幕末に書かれた讃岐国名勝図会を見てみましょう。
(前略)此所にて、天下泰平五穀成就、参詣の諸人請願成就のため、又御守開眼として金光院の院主長日の護摩を修る事、元旦より除夜にいたる迄たゆる事なし(後略)
意訳すると
護摩堂では、天下泰平・五穀成就、参詣者の請願成就のため、又御守開眼として、護摩祈願が行われており、元旦から12月の除夜まで、絶えることがない。(後略)
ここからは護摩堂では、連日護摩が焚かれたことが分かります。そのため、護摩堂のことを長日護摩堂とも呼んだと云います。ここからも金毘羅大権現が真言密教の仏閣で、修験者の僧侶の活動が日常的に護摩祈祷という形で行われていたことが分かります。 もっとも、この不動明王は最初から護摩堂の本尊ではなかったようです。
「従来の根津入道作 護摩堂本尊を廃し、伝智証大師作不動尊像にかえる」
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参考文献
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